ブルーノ・セナ  ブラジル

  • 氏名 ブルーノ・セナ・ラリ
  • 生年月日 1983年10月15日
  • 出身地 ブラジル・サンパウロ
  • 年齢 30歳312日
  • 身長 1.8 m
  • 体重 69 kg
  • 関係 叔父さん - A.セナ
  • チーム HRT, ウィリアムズ, ルノー
driver portrait
F1キャリア / 戦績
Year Car Race Start Won Pod Class Best Pole Front Best Lap Hat Pts Pos
2010 HRT 18 18 0 0 9 14 0 0 19 0 0 0 -
2011 Renault 8 8 0 0 8 9 0 0 7 0 0 2 18
2012 Williams 20 20 0 0 16 6 0 0 9 1 0 31 16
Total 46 46 0 0 33 6 0 0 7 1 0 33
グランプリ サーキット 開催日
デビュー戦 バーレーンGP サヒール 2010年3月14日 レース結果
ラストレース ブラジルGP インテルラゴス 2012年11月25日 レース結果
プロフィール
© Sutton Images

3度のワールドチャンピオンに輝いた伝説的なドライバーのアイルトン・セナと同じ名字を持つ甥っ子が2010年、ついにF1デビューを飾ることとなった。新人として活躍するかどうかという点だけでなく、セナという名前に負けない活躍を見せることができるかどうかに注目が集まっている。

5歳からカートを始めたブルーノは才能を発揮し、個人的なレースにおいて叔父のアイルトンを打ち負かすこともしばしばあった。しかしアイルトンが1994年のイモラで帰らぬ人となった翌年、ブルーノの父親であるフラビオ・ラッリさんがバイク事故で他界。これを受けて母親のビビアーニ・セナ・ラッリさんは、ブルーノのモータースポーツ活動を禁止したのだ。

その後、10年間ほどはレースと触れ合わなかったブルーノ。しかし自らに芽生えていたレースに対する情熱を無視することはできず、20歳になると再びレース活動を開始。キャリア再開からわずか3レース目のイギリス・フォーミュラBMW選手権で、予選2番手に入る結果で素晴らしい能力を見せつけている。アイルトンの死から10年が経った2004年ブラジルGPでは、アイルトンが駆ったロータス98Tをドライブしてデモンストレーション走行を披露。その場で、将来的にF1を目指すことを口にした。

フォーミュラBMWをわずか5レース戦っただけでイギリスF3選手権にステップアップしたブルーノは、レッドブルの支援を受けるチーム・アーデン・インターナショナルに所属してGP2に参加。その後iスポーツ・インターナショナルに移籍し、2008年GP2でジョルジオ・パンターノに次ぐランキング2位となった。

ブルーノが本格的なF1ドライブを行ったのは2008年シーズンオフのこと。11月に実施されたHonda Racing F1のテストに、同郷のルーカス・ディ・グラッシと共に参加した。スポンサーのつながりもあって、2009年にはジェンソン・バトンのチームメイトとして同チームから出走すると期待されていた矢先、ショックな出来事が起きる。そう、HondaがF1活動から撤退することを決めたのだ。これによってブラウンGPが誕生したが、チーム代表のロス・ブラウンは経験を重視してルーベンス・バリチェロを再起用。ブルーノは、手が届きかけていたF1のシートを逃したのである。

2009年はシングルシーターでレースをする機会がなかったブルーノ。しかしスペインチームのカンポス(現ヒスパニア)と契約を締結し、2010年に待望のF1デビューを飾ることが決まった。チームの開発状況からプレシーズンテストに参加できないままブルーノはバーレーンで初のグランプリに臨み、マシンのオーバーヒートによるリタイアという結果に終わる。さらに8戦でリタイアを喫したブルーノはイギリスGPで山本左近にコックピットを明け渡した。

シーズンが終わってHRTと決別したブルーノは、ルノーのリザーブドライバーに名を連ねて周囲を驚かせる。レースドライバーだったニック・ハイドフェルドがチームの期待に応えられなかったため、ベルギーGPではそんなブルーノにドライブのチャンスが巡ってきた。初めてステアリングを握ったR31でブルーノは予選7番手につける。しかしながら、R31でのドライブは後半戦に入って厳しくなっており、チームメイトのヴィタリー・ペトロフと比べても遜色のない走りをしたにもかかわらず、最終的にはペトロフともども解雇されてしまう。

ブルーノはウィリアムズに2012年のシートを見いだし、ついに実現したF1での初のフルシーズンに備えるべくプレシーズンテストに参加した。しかしながら、チームとの契約には15回の金曜フリー走行1回目での作業をリザーブドライバーのバルテリ・ボッタスに譲ることが条件として含まれており、結果的にシーズンを通して予選成績はチームメイトのパストール・マルドナドに苦戦を強いられる。マルドナドよりも安定してポイントを獲得していたブルーノだが、総得点はマルドナドに劣り、2013年はボッタスにレースシートを奪われている。

【長所と短所】

ブルーノが持つレース本能や才能は特筆すべき長所だろう。10年間レース活動から遠ざかっていたにもかかわらず、復帰してから短期間で競争力を発揮したのだから、やはり、アイルトンが持っていた能力が甥っ子に受け継がれていたということか。それでも、絶対的なレース経験に乏しいという点は、叔父が残した成功に近づくための障害となるかもしれない。

【キャリア最高の瞬間】

初めてルノーマシンを駆ったスパ・フランコルシャンにて、難しいコンディションの中で予選7番手に入ったこと。

【キャリア最低の瞬間】

1995年に父をバイク事故で亡くしたが、その1年前には偉大な叔父がレース中の事故で他界。母親のビビアーニさんは当時11歳のブルーノに対し、モータースポーツから足を洗うことを命じた。ブルーノがレースに復帰したのは2004年のことだった。

【注目のコメント】

アイルトン・セナ(1993年)

「僕のことをいいドライバーだと思っているのだとしたら、甥っ子のブルーノを見てから判断してくれ」

ブルーノ・セナ

「もちろん(セナという)名前が僕の助けになったけど、叔父が僕の代わりにドライブしてくれるわけじゃないからね。ドライブするのは僕なんだ。僕にそれができないと思われているとしたら、誰も僕にドライブさせてくれないはず。でも、いろんな面で叔父は偉大な模範だし、僕は彼のアプローチをたどってみようと努力している。だけど、レースするときは彼のことを考えるわけじゃない。僕はレースや競争が好きだから、レーシングドライバーになったんだ。アイルトン・セナは僕の叔父さ。だけど、僕は僕なんだ」

【トリビア】

2006年10月、ブルーノは"Sky One show Vroom Vroom"に登場。タワー式駐車場を舞台に、毎週異なったマシンでレースを行った。

ノート

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