パストール・マルドナド
ベネズエラ
| # | Grand Prix | Circuit | Date | Car | Pos | Pts | Qual | FL |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | オーストラリア | アルバート・パーク | 3月18日 | ウィリアムズ (FW34) | 13 | 8 | ||
| 2 | マレーシア | セパン | 3月25日 | ウィリアムズ (FW34) | 19 | 11 | ||
| 3 | 中国 | 上海 | 4月15日 | ウィリアムズ (FW34) | 8 | 4 | 13 | |
| 4 | バーレーン | サヒール | 4月22日 | ウィリアムズ (FW34) | - | 21 | ||
| 5 | スペイン | カタロニア | 5月13日 | ウィリアムズ (FW34) | 1 | 25 | 1 |
| Year | Car | Race | Start | Won | Pod | Class | Best | Pole | Front | Best | Lap | Hat | Pts | Pos | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2011 | Williams | 19 | 19 | 0 | 0 | 13 | 10 | 0 | 0 | 7 | 0 | 0 | 1 | 19 | ||||
| 2012 | Williams | 5 | 5 | 1 | 1 | 4 | 1 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 29 | 9* | ||||
| Total | 24 | 24 | 1 | 1 | 17 | 1 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 30 |
| グランプリ | サーキット | 開催日 | ||
|---|---|---|---|---|
| デビュー戦 | オーストラリアGP | アルバート・パーク | 2011年3月27日 | レース結果 |
| ラストレース | スペインGP | カタロニア | 2012年5月13日 | レース結果 |
GP2で4年ものシーズンを過ごし、2010年に圧倒的な勝利を収めてようやくF1でのチャンスを与えられたパストール・マルドナド。2011年はウィリアムズでドライブすることになったが、2010年の前任者ニコ・ヒュルケンベルグが才能だけを基準に選ばれたのに対し、マルドナドは母国ベネズエラの石油会社から多額の支援金をチームにもたらしているとされる。
しかし、マルドナドは普通のペイドライバーとは少し違う。7歳でカートを始めた彼は、陸軍士官学校で学びながらベネズエラのさまざまなジュニア選手権に奇襲を仕掛ける。次なるステップとしてヨーロッパに渡り、2003年にはイタリアを拠点としてフォーミュラ・ルノー2000シリーズに参戦して大陸を渡り歩いた。同じ年、イタリアの冬のシリーズで勝利を飾り、2004年にはより競争の激しい夏の選手権でタイトルを獲得。
このタイトルによって、ミサノで行われたミナルディのテストに招かれ、次の年にはルノー・ドライバー育成プログラムの一員となった。2005年のワールドシリーズbyルノーでは本領発揮にやや時間を要したが、2006年はタイトルに手が届くところまでいく。だがミサノでのレースで失格となったために機を逸している。
時にはこうした後退もあったものの、彼のパフォーマンスはGP2でトライデント・レーシングのシートを獲得するのに十分なものであり、4戦目にしてモナコの市街地コースで圧巻の初勝利を記録。シーズンは25ポイントを獲得し、ランキング11位だったが、鎖骨骨折のためにラスト4戦は不参加となっている。ピケ・スポーツで戦った2008年シーズンはランキング5位に浮上し、スパ・フランコルシャンで2勝目を挙げた。
チャンピオンチーム、ARTのシートを射止めた2009年シーズンは、大きなチャンスになるはずだった。しかし、参戦初年度でタイトルを取ったチームメイトのヒュルケンベルグに完敗してしまう。この年のマルドナドはヒュルケンベルグに64ポイントも引き離され、6位に終わった。
心機一転、2010年はニューチームのラパックスで再スタートを切り、ようやくポテンシャルを出し切って頂点に立つ。年間6勝は前例のない記録であり、シーズン1戦を残したモンツァでタイトルを決めている。これでF1モーターホームのドアをノックする権利を得たマルドナドだが、それ以上に重要なこととして彼には石油会社『PDVSA』という大スポンサーが付いていた。それが結果的にウィリアムズでのシート獲得につながる。
デビューイヤーのリザルトはわずか1ポイントに終わったマルドナドだったが、それには彼自身のみならずマシン性能にも落ち度があり、そんな中でも予選トップ10に3度入ることでポテンシャルを示したと言えよう。しかしながら、最も注目を集めたのは主にフリー走行で見せたつまらないミスであり、フェアな見方ではないかもしれないが、そのせいでマルドナドは今でもペイドライバーだとみなされる向きがある。
2012年もPDVSAの資金がウィリアムズでのキャリアをバックアップするだろうが、ルーキーとしてのシーズンは既に過ぎ去ったのであり、マルドナドにも自らの価値を示さなければならないときが訪れている。
【長所と短所】
速さは折り紙つき――ライバルが誰であれ、GP2で6勝というのはそうたやすくできることではない――だがミスはまだ多い。F1ではあらゆる弱さが露呈することから、スピードだけでなく荒削りな部分を改善し、一貫した結果を残すべきだろう。
【キャリア最高の瞬間】
4年間の挑戦の末に獲得したGP2タイトル。これによってF1チームへのアプローチが可能となり、ウゴ・チャベス大統領の信頼を得て、オイルマネーのバックアップを取り付けた。
【キャリア最低の瞬間】
2007年シルバーストーンでのGP2スプリントレース。グリッド上でストールし、ピットレーンのスピード違反でペナルティを受ける。イエローフラッグで追い抜きをしたとして再度ペナルティ。最後はエイドリアン・バレスと小林可夢偉にクラッシュしてレースを終えた。
【注目のコメント】
「3歳か4歳の頃からレースがしたかったけど、幼すぎた。でも7歳になったら父がカートを与えてくれて、僕らはそこからスタートしたんだ」
◆マルドナドを支持するチャベス大統領の言葉
「スポーツと政治は切り離すべきものではない。ベネズエラのように、政治はスポーツを支援するべきだ」
【トリビア】
ベネズエラの人々のためのチャリティ活動に熱心なマルドナドは、その功績を認められて何度かチャベス政権から表彰されている。
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2012年5月24日 好ペースを見せたマルドナド © Sutton Images |
2012年5月23日 コースを下見するマルドナド © Sutton Images |
2012年5月15日 ベネズエラ紙のトップを飾ったマルドナドの勝利 © Getty Images |
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