2008年イタリアGPでチームの初勝利を挙げたセバスチャン・ベッテル © Sutton Images

イタリア語から翻訳すると"Toro Rosso(トロ・ロッソ)"はシンプルにレッドブルと訳される。このことからも分かる通り、トロ・ロッソはレッドブルのオーナーであるディートリッヒ・マテシッツが2005年にポール・ストッダートからイタリアのミナルディを買収して立ち上げられたチームだ。マテシッツは元F1ドライバーのゲルハルト・ベルガーと共同所有する形をとっていたが、2008年にはマテシッツがチームの全株を取得している。

デビューイヤーとなった2006年はポジティブな1年を過ごす。レッドブルの2005年型マシンRB1に酷似したトロ・ロッソの初代マシンには、回転数を制限したコスワースV10エンジンが搭載され、シーズン終盤にはレースでも予選でもシニアチームのレッドブルをしのぐ活躍を見せた。アメリカGPでビタントニオ・リウッツィが8位に入り、チームの初ポイントをもたらしている。

2007年シーズン、トロ・ロッソはレッドブルの契約を引き継いでフェラーリV8エンジンを搭載するも、序盤10戦では2台あわせてリタイア13回という数字を残す。スケープゴートにされたアメリカ人ドライバーのスコット・スピードがシーズン半ばにして解雇され、後任としてセバスチャン・ベッテルが加わった。小規模の改良を施したトロ・ロッソは中国GPでダブル入賞を果たし、シーズンを通して合計8ポイントを獲得している。

2008年のドライバーラインアップにはベッテルとチャンプカーで4連覇を達成したセバスチャン・ボーデを起用。シーズン序盤は4戦連続リタイアと散々な結果だったベッテルだが、STR3パッケージが投入されたモナコGPから大きく躍進する。同シーズンのハイライト はベッテルが初のポールポジション獲得に初優勝の快挙を成し遂げたイタリアGPだ。一方のボーデは厳しい1年を過ごしたものの、4点を手にしてチームのチャンピオンシップ6位という結果に貢献している。

ボーデが残留し、ルーキーのセバスチャン・ブエミをパートナーに据えた2009年もトロ・ロッソにとってはスロースタートとなった。苦戦にあえぐボーデは9戦を終えてチームを離脱。19歳の新人ハイメ・アルグエルスアリがF1史上最年少でレースに出走することになる。信頼性を維持しながらもペースが足りなかったトロ・ロッソはチャンピオンシップを最下位で終えたが、それでも貴重な8点のコンストラクターズポイントを刻んだ。

レッドブルの姉妹チームとしてマシン開発では実質的に"姉"頼りだったトロ・ロッソだが、2010年からは"真のコンストラクター"として独立した開発体制を整える。ブエミとアルグエルスアリの走りで獲得したポイントは前年よりもわずかに増えたが、ランキングでは同年にF1参入を果たした新規3チームを抑えるにとどまった。

それでも少しずつ前進を続けたチームは2011年に同じコンビで41ポイントを積み上げる。チームにとって記念すべき100戦目となった第11戦ハンガリーGPではトロ・ロッソドライバーがダブル入賞を果たした。それにもかかわらず、このシーズンの終わりをもってトロ・ロッソはブエミとアルグエルスアリの放出を決定し、育成ドライバーの中からHRTで経験を積ませたダニエル・リカルドをレースドライバーとして呼び戻す。チームメイトには同じくレッドブルのプログラムに所属するジャン-エリック・ベルヌが選ばれた。

しかし、2012年に2人を待っていたのは厳しい現実だった。競争力が落ち込んだトロ・ロッソで新人コンビは苦戦を強いられ、最初の2戦で6ポイントを上げた後は第3戦中国GPから第11戦ハンガリーGPまで無得点の状態が続いた。後半戦では改善が見え、最終的に26ポイント、9位という成績でシーズンを締めくくっている。

2013年にはよりコンスタントに得点を集め、第7戦カナダGPではベルヌがチームのシーズンベストリザルトである6位入賞を達成。ただし、前年度とは逆にドライバーズチャンピオンシップで上を行ったのはリカルドの方であり、マーク・ウェバー離脱によるレッドブルの空きシートを手にしたのもリカルドだった。

ベルヌは2014年もチームに残留し、弱冠19歳のダニール・クビアトと共にV6新時代を戦う。