多くのヨーロッパ諸国同様、スペインもモータースポーツやレースにおいて長い歴史を持っている。古くは1908年、バルセロナに近いシッチェスの道路でさまざまなイベントが開催されていた。初の常設サーキットが建設されたのもこの地で、シッチェス・テラモーレと呼ばれる約2kmのオーバルコースだった。ここでは1923年のスペインGPが開催されている。

スペインが世界選手権カレンダーに登場するのは1951年。場所はペドラルベス・サーキットだった。しかし、1955年にル・マンで多数の観客を巻き込む大惨事が発生し、法律が改正された結果、このサーキットはカレンダーから消えた。

1960年代、スペインはF1復帰に動き出し、ロイヤル・オートモービル・クラブはハラマの新サーキットを認定。非選手権レースが1967年に開かれ、ロータスに乗るジム・クラークが優勝している。1968年、スペインGPはカレンダーに返り咲いたが、その後、ハラマとモンジュイックの交互開催となることが発表された。

モンジュイックで行われた1975年のレースを悲劇が襲う。レース前から安全性が大いに疑問視されており、エマーソン・フィッティパルディは1周目で自らマシンを止めた。26周目、ロルフ・シュトメレンのリアウイングが脱落し、マシンはクラッシュ、4人の観客が命を落としている。レースは中止され、ハーフポイントながらヨッヘン・マスが優勝者となった。このレースでレラ・ロンバルディが6位入賞を果たしており、現在まで世界選手権でポイントを獲得した唯一の女性ドライバーとなっている。

その後、レースはハラマに戻り、1981年まで開催されたが、再びカレンダーから姿を消した。

1985年、ヘレスの市長が地域の観光活性化のために新サーキット建設を承認。1986年の初レース開催に向けて完成したサーキットで、観客はF1史上最も接近したフィニッシュを目撃する。アイルトン・セナとナイジェル・マンセルが大接戦を繰り広げ、サイド・バイ・サイドのままチェッカーが振られた。勝者を判定できたのはスチュワードだけであり、わずか0.014秒先にラインを越えたセナに勝利が与えられた。

ヘレスでのスペインGPは1990年が最後。プラクティス中のクラッシュでマーティン・ドネリーのマシンが粉々に破壊され、ドネリーは重傷を負ったものの一命は取りとめた。1991年にイベントはバルセロナのカタロニア・サーキットに場所を変え、現在まで開催が続いている。