ルノー

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フランス

  • 設立 1977
  • Also known as ルノー
  • エンジンサプライヤー ルノー
  • タイヤ ピレリ
  • チーム代表 シリル・アビテブール
  • テクニカルディレクター ボブ・ベル
F1キャリア / 戦績
Year エンジン Driver Race Start Won Pod Class Best 1+2 Pole Front Best Lap Pts Pos
1977 Renault JP Jabouille 4 4 0 0 0 - 0 0 0 10 0 0 -
1978 Renault JP Jabouille 14 14 0 0 4 4 0 0 0 3 0 3 12
1979 Renault RA Arnoux, JP Jabouille 14 28 1 4 8 1 0 6 9 1 2 26 6
1980 Renault RA Arnoux, JP Jabouille 14 27 3 4 11 1 0 5 12 1 4 38 4
1981 Renault RA Arnoux, AMP Prost 15 29 3 7 14 1 0 6 11 1 2 54 3
1982 Renault RA Arnoux, AMP Prost 16 32 4 8 14 1 1 10 18 1 5 62 3
1983 Renault EM Cheever, AMP Prost 15 30 4 11 19 1 0 3 6 1 3 79 2
1984 Renault P Streiff, P Tambay, D Warwick 16 32 0 5 13 2 0 1 1 1 2 34 5
1985 Renault F Hesnault, P Tambay, D Warwick 15 31 0 2 15 3 0 0 0 6 0 16 7
2002 Renault J Button, J Trulli 17 34 0 0 20 4 0 0 0 6 0 23 4
2003 Renault F Alonso, J Trulli 16 32 1 5 22 1 0 2 4 1 1 88 4
2004 Renault F Alonso, J Trulli, J Villeneuve 18 36 1 6 28 1 0 3 3 1 0 105 3
2005 Renault F Alonso, G Fisichella 19 36 8 18 30 1 0 7 12 1 3 191 1
2006 Renault F Alonso, G Fisichella 18 36 8 19 32 1 1 7 11 1 5 206 1
2007 Renault G Fisichella, H Kovalainen 17 34 0 1 30 2 0 0 0 4 0 51 3
2008 Renault F Alonso, N Piquet 18 36 2 4 24 1 0 0 1 2 0 80 4
2009 Renault F Alonso, R Grosjean, N Piquet 17 34 0 1 27 3 0 1 2 1 2 26 8
2010 Renault R Kubica, V Petrov 19 38 0 3 29 2 0 0 1 2 1 163 5
2011 Renault R Grosjean, N Heidfeld, V Petrov, B Senna 19 38 0 2 32 3 0 0 0 6 0 73 5
Total 301 581 35 100 372 1 2 51 91 1 30
グランプリ サーキット 開催日
デビュー戦 イギリスGP シルバーストーン 1977年7月16日 レース結果
ラストレース ブラジルGP インテルラゴス 2011年11月27日 レース結果
プロフィール

ルノーのF1活動は間に休止期間があるものの、初めてF1でレースをしたのはジャン・ピエール・ジャブイーユをコックピットに座らせ、1台のマシンを送り込んだ1977年のイギリスGPだった。F1史上初のターボチャージャーエンジンを投入したルノーだが、そのカラーリングから"イエロー・ティーポット"という愛称がつけられるほど信頼性が乏しくリタイアが多発する。ルノーはこれまでにチームとして2度のコンストラクターズ選手権王者に輝いたことがあるが、エンジンサプライヤーとしてベネトンとウィリアムズにエンジンを供給した間にも5度のドライバーズタイトル、6度のコンストラクターズタイトルの獲得に貢献している。

ターボエンジンにこだわり続けたルノーは1978年にワトキンス・グレンで開催されたアメリカGPでジャブイーユが4位入賞を果たしてついにポイントを獲得した。同じくジャブイーユの操縦でターボエンジンを搭載したルノーのマシンがトップチェッカーを受けたのは1979年フランスGPだ。同グランプリではチームメイトのルネ・アルヌーも3位フィニッシュを果たしている。この年、ルノーはコンストラクターズ選手権6位でシーズンを終えた。

1982年にはアラン・プロストが加わり、翌年はプロストが4勝を挙げてチームのランキング2位という結果に貢献。しかし、それから3年後、ルノーはコンストラクターとしてのF1活動に終止符を打つ。それでもロータスへのエンジン供給は続けていたが、1986年には完全にF1から撤退している。

再びエンジンサプライヤーとしてルノーがF1に戻ってきたのは1989年。ウィリアムズへの供給と共に、ベネトンにもエンジンを提供し始める。1990年代はルノーエンジンの黄金期とも言われ、ウィリアムズが1992年から1994年に3連覇、1996年と1997年に2年連続してコンストラクターズ選手権を制覇した。また、ウィリアムズがタイトルを逃した1995年は同じくルノーがエンジンを供給するベネトンがチャンピオンに輝いている。

これだけの偉業にもかかわらず、ルノーは再び1997年にF1を去る。その後、2000年にベネトンからF1チームを買収、2001年からエンジンサプライヤーとなっていたルノーが2002年にコンストラクターとしてF1に完全復帰した。

強力な形で復活を遂げ、ランキング4位につけたにもかかわらず、上位勢との戦いには苦戦を強いられたルノー。2003年はフェルナンド・アロンソが2度のポールポジションと1勝を記録するも、前年同様、チャンピオンシップは4位で終えた。翌年のモナコGPではヤルノ・トゥルーリが勝利を収めるも、この年限りでチームを去っている。

そして迎えた2005年。ついにルノーが常勝チームの仲間入りを果たす。力のあるシャシーR25をジャンカルロ・フィジケラとアロンソという実力派ドライバーが操った結果、アロンソがライバルのキミ・ライコネンを抑えて史上最年少のチャンピオンに君臨。チームも最終戦中国GPで、し烈なタイトル争いを繰り広げてきたマクラーレンを見事に破り、コンストラクターズ選手権を勝ち取った。2006年もアロンソとルノーが連覇を果たしたが、アロンソは同シーズンをもってマクラーレンに移籍する。

アロンソが離脱したルノーはグランプリウイナー常連とは言えないフィジケラと、F1フル参戦初年度でタイトル争いに絡める可能性はありそうもないルーキーのヘイキ・コバライネンのコンビをレースドライバーに起用。フィジケラのシーズンは高い信頼性を持って始まったかに思えたが、中盤以降は厳しいスタートを切ったルーキーのコバライネンの方が力を見せつけ、日本GPで初表彰台となる2位という結果を残している。これがルノーにとっては同シーズン唯一の表彰台だった。

翌年、アロンソを取り戻し、その新パートナーにネルソン・ピケJr.を起用したルノーはアロンソの活躍により、シンガポールと日本で表彰台の頂点に上る。2009年も同じラインアップで戦いに挑んだルノーだったが、それまでのシーズンには遠く及ばないパフォーマンスで、ハンガリーGP終了後にはピケJr.が更迭され、新たにロマン・グロージャンがレースシートに座ることになった。

解雇されたピケJr.は2008年シンガポールGPでアロンソの優勝を手助けするため、故意にクラッシュするよう命ぜられたことをFIAに告白。"クラッシュゲート"騒動がぼっ発した。何週間にもわたって紙上をにぎわせたクラッシュゲート騒動は、チームを率いてきたフラビオ・ブリアトーレとチーフテクニカルオフィサーのパット・シモンズへの処分で幕を閉じる。シモンズが5年間、ブリアトーレはモータースポーツから永久的な追放処分を受けた。ルノーにも処分が下されたが、2年間の執行猶予が付いている。一連の処分を受け、ブリアトーレの後任としてテクニカル・ディレクターだったボブ・ベルがチーム代表に就任した。コース上ではグロージャンがノーポイントに終わる一方、アロンソがチームの総得点26ポイントを一人で稼ぎだし、ルノーはコンストラクターズ選手権を8位で終えている。

2009年末にはルクセンブルグの投資会社ジェニー・キャピタルがチーム株式の大部分を取得。新たなチーム代表としてエリック・ブーリエが加入し、ベルはテクニカルディレクター職に復帰した。ドライバーにはBMWザウバーから移籍したロバート・クビサの相棒としてロシアの新人ヴィタリー・ペトロフが起用されている。マシン性能はいまだ上位チームに追いつけない部分があったものの、クビサが第2戦オーストラリアGPでの2位を含む3回のポディウムフィニッシュでチームをランキング5位に押し上げている。

ルノーが保有していた残りの株式はすべて2010年末にグループ・ロータスへ売却され、翌年以降、ルノーはエンジンサプライヤーとしてのみF1にかかわることになった。ロータス・ルノーGPという名称を掲げたチームの新章は波乱のスタートを切り、クビサがオフシーズンに参戦していたラリーで大クラッシュを喫してF1でのドライブが不可能になるという緊急事態が発生。ニック・ハイドフェルドが代役に立てられるも、首脳陣の期待に沿う走りではなかったために中盤でブルーノ・セナに乗り替わった。ユニークな前方排気のデザインを採用したこの年は序盤こそ活躍を見せたものの、シーズンが進むにつれ失速ぎみになっている。

2012年はついにチーム名から「ルノー」が消え、ドライバーラインアップも一新された。2009年を最後にF1から遠ざかっていた人気ドライバーのキミ・ライコネンがロータスから復帰を果たし、同様に久々のF1参戦となるロマン・グロージャンが前年度のGP2タイトルを手土産にそのチームメイトに収まった。この年のロータスは大幅に戦闘力を上げ、上位集団の一員となる。最終戦アブダビGPではライコネンがチームにとって2008年以来の勝利を挙げ、有終の美を飾った。コンストラクターズ選手権では4位に入っている。

ライコネンとグロージャンのコンビ継続で挑んだ2013年は、開幕戦からライコネンが優勝するという好調な幕開けとなった。ドライバーとして成熟したグロージャンも表彰台の常連になり、2人合わせて13回のポディウムフィニッシュを遂げている。一方でチームの財政難が次第に大きな問題になっていき、ドライバーやチームスタッフ、サプライヤーへの未払いが発生。そんな中、フェラーリへ移ることが決まっていたライコネンが再び痛めてしまった背中の古傷の手術を行うためにラスト2戦を欠場し、ヘイキ・コバライネンが代わりを務めた。

翌年はグロージャンの僚友として母国ベネズエラの豊富な資金をバックに持つパストール・マルドナドがロータスに加わった一方、ブーリエがマクラーレンに引き抜かれ、オーナーのジェラルド・ロペスがその穴を埋めた。プレシーズンの開発の遅れとルノー製ターボV6エンジンの不安定さから成績は低迷し、シーズンを通した得点は10ポイント、ランキングは8位にとどまった。

グリッド最強の性能を誇るメルセデスのパワーユニットを搭載した2015年はパフォーマンスが大きく改善し、シーズン半ばの第11戦ベルギーGPでグロージャンが表彰台にこぎつけた。だが、その水面下では財政的苦境がさらに深刻さを増しており、料金の未払いによってチームメンバーがホスピタリティから閉めだされ、食事をとる場所もないなど、問題が目に見える形で表れてくる。そんなロータスにとって救いの手となったのが、エンジン供給先のレッドブルとの関係が悪化し、ワークスチームとしての復帰を検討しだしていたルノーだった。ルノーによるロータス買収は2015年12月に完了し、チームはルノー・スポールF1チームとして再出発を図ることに。2016年のドライバーにはケビン・マグヌッセンとジョリオン・パーマーが指名されている。

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