ルノー

ルノーのF1活動は間に休止期間があるものの、初めてF1でレースをしたのはジャン・ピエール・ジャブイーユをコックピットに座らせ、1台のマシンを送り込んだ1977年のイギリスGPだった。F1史上初のターボチャージャーエンジンを投入したルノーだが、そのカラーリングから"イエロー・ティーポット"という愛称がつけられるほど信頼性が乏しくリタイアが多発する。ルノーはこれまでにチームとして2度のコンストラクターズ選手権王者に輝いたことがあるが、エンジンサプライヤーとしてベネトンとウィリアムズにエンジンを供給した間にも5度のドライバーズタイトル、6度のコンストラクターズタイトルの獲得に貢献している。

ターボエンジンにこだわり続けたルノーは1978年にワトキンス・グレンで開催されたアメリカGPでジャブイーユが4位入賞を果たしてついにポイントを獲得した。同じくジャブイーユの操縦でターボエンジンを搭載したルノーのマシンがトップチェッカーを受けたのは1979年フランスGPだ。同グランプリではチームメイトのルネ・アルヌーも3位フィニッシュを果たしている。この年、ルノーはコンストラクターズ選手権6位でシーズンを終えた。

1982年にはアラン・プロストが加わり、翌年はプロストが4勝を挙げてチームのランキング2位という結果に貢献。しかし、それから3年後、ルノーはコンストラクターとしてのF1活動に終止符を打つ。それでもロータスへのエンジン供給は続けていたが、1986年には完全にF1から撤退している。

再びエンジンサプライヤーとしてルノーがF1に戻ってきたのは1989年。ウィリアムズへの供給と共に、ベネトンにもエンジンを提供し始める。1990年代はルノーエンジンの黄金期とも言われ、ウィリアムズが1992年から1994年に3連覇、1996年と1997年に2年連続してコンストラクターズ選手権を制覇した。また、ウィリアムズがタイトルを逃した1995年は同じくルノーがエンジンを供給するベネトンがチャンピオンに輝いている。

これだけの偉業にもかかわらず、ルノーは再び1997年にF1を去る。その後、2000年にベネトンからF1チームを買収、2001年からエンジンサプライヤーとなっていたルノーが2002年にコンストラクターとしてF1に完全復帰した。

強力な形で復活を遂げ、ランキング4位につけたにもかかわらず、上位勢との戦いには苦戦を強いられたルノー。2003年はフェルナンド・アロンソが2度のポールポジションと1勝を記録するも、前年同様、チャンピオンシップは4位で終えた。翌年のモナコGPではヤルノ・トゥルーリが勝利を収めるも、この年限りでチームを去っている。

そして迎えた2005年。ついにルノーが常勝チームの仲間入りを果たす。力のあるシャシーR25をジャンカルロ・フィジケラとアロンソという実力派ドライバーが操った結果、アロンソがライバルのキミ・ライコネンを抑えて史上最年少のチャンピオンに君臨。チームも最終戦中国GPで、し烈なタイトル争いを繰り広げてきたマクラーレンを見事に破り、コンストラクターズ選手権を勝ち取った。2006年もアロンソとルノーが連覇を果たしたが、アロンソは同シーズンをもってマクラーレンに移籍する。

アロンソが離脱したルノーはグランプリウイナー常連とは言えないフィジケラと、F1フル参戦初年度でタイトル争いに絡める可能性はありそうもないルーキーのヘイキ・コバライネンのコンビをレースドライバーに起用。フィジケラのシーズンは高い信頼性を持って始まったかに思えたが、中盤以降は厳しいスタートを切ったルーキーのコバライネンの方が力を見せつけ、日本GPで初表彰台となる2位という結果を残している。これがルノーにとっては同シーズン唯一の表彰台だった。

翌年、アロンソを取り戻し、その新パートナーにネルソン・ピケJr.を起用したルノーはアロンソの活躍により、シンガポールと日本で表彰台の頂点に上る。2009年も同じラインアップで戦いに挑んだルノーだったが、それまでのシーズンには遠く及ばないパフォーマンスで、ハンガリーGP終了後にはピケJr.が更迭され、新たにロマン・グロージャンがレースシートに座ることになった。

解雇されたピケJr.は2008年シンガポールGPでアロンソの優勝を手助けするため、故意にクラッシュするよう命ぜられたことをFIAに告白。"クラッシュゲート"騒動がぼっ発した。何週間にもわたって紙上をにぎわせたクラッシュゲート騒動は、チームを率いてきたフラビオ・ブリアトーレとチーフテクニカルオフィサーのパット・シモンズへの処分で幕を閉じる。シモンズが5年間、ブリアトーレはモータースポーツから永久的な追放処分を受けた。ルノーにも処分が下されたが、2年間の執行猶予が付いている。一連の処分を受け、ブリアトーレの後任としてテクニカルディレクターだったボブ・ベルがチーム代表に就任した。コース上ではグロージャンがノーポイントに終わる一方、アロンソがチームの総得点26ポイントを一人で稼ぎだし、ルノーはコンストラクターズ選手権を8位で終えている。

2009年末にはルクセンブルグの投資会社ジェニー・キャピタルがチーム株式の大部分を取得。新たなチーム代表としてエリック・ブーリエが加入し、ベルはテクニカルディレクター職に復帰した。ドライバーにはBMWザウバーから移籍したロバート・クビサの相棒としてロシアの新人ヴィタリー・ペトロフが起用されている。マシン性能はいまだ上位チームに追いつけない部分があったものの、クビサが第2戦オーストラリアGPでの2位を含む3回のポディウムフィニッシュでチームをランキング5位に押し上げている。

ルノーが保有していた残りの株式はすべて2010年末にグループ・ロータスへ売却され、翌年以降、ルノーはエンジンサプライヤーとしてのみF1にかかわることになった。ロータス・ルノーGPという名称を掲げたチームの新章は波乱のスタートを切り、クビサがオフシーズンに参戦していたラリーで大クラッシュを喫してF1でのドライブが不可能になるという緊急事態が発生。ニック・ハイドフェルドが代役に立てられるも、首脳陣の期待に沿う走りではなかったために中盤でブルーノ・セナに乗り替わった。ユニークな前方排気のデザインを採用したこの年は序盤こそ活躍を見せたものの、シーズンが進むにつれ失速ぎみになっている。

2012年はついにチーム名から「ルノー」が消え、ドライバーラインアップも一新された。2009年を最後にF1から遠ざかっていた人気ドライバーのキミ・ライコネンがロータスから復帰を果たし、同様に久々のF1参戦となるロマン・グロージャンが前年度のGP2タイトルを手土産にそのチームメイトに収まった。この年のロータスは大幅に戦闘力を上げ、上位集団の一員となる。最終戦アブダビGPではライコネンがチームにとって2008年以来の勝利を挙げ、有終の美を飾った。コンストラクターズ選手権では4位に入っている。

ライコネンとグロージャンのコンビ継続で挑んだ2013年は、開幕戦からライコネンが優勝するという好調な幕開けとなった。ドライバーとして成熟したグロージャンも表彰台の常連になり、2人合わせて13回のポディウムフィニッシュを遂げている。一方でチームの財政難が次第に大きな問題になっていき、ドライバーやチームスタッフ、サプライヤーへの未払いが発生。そんな中、フェラーリへ移ることが決まっていたライコネンが再び痛めてしまった背中の古傷の手術を行うためにラスト2戦を欠場し、ヘイキ・コバライネンが代わりを務めた。

翌年はグロージャンの僚友として母国ベネズエラの豊富な資金をバックに持つパストール・マルドナドがロータスに加わった一方、ブーリエがマクラーレンに引き抜かれ、オーナーのジェラルド・ロペスがその穴を埋めた。プレシーズンの開発の遅れとルノー製ターボV6エンジンの不安定さから成績は低迷し、シーズンを通した得点は10ポイント、ランキングは8位にとどまった。

グリッド最強の性能を誇るメルセデスのパワーユニットを搭載した2015年はパフォーマンスが大きく改善し、シーズン半ばの第11戦ベルギーGPでグロージャンが表彰台にこぎつけた。だが、その水面下では財政的苦境がさらに深刻さを増しており、料金の未払いによってチームメンバーがホスピタリティから閉めだされ、食事をとる場所もないなど、問題が目に見える形で表れてくる。そんなロータスにとって救いの手となったのが、エンジン供給先のレッドブルとの関係が悪化し、ワークスチームとしての復帰を検討しだしていたルノーだった。ルノーによるロータス買収は2015年12月に完了し、チームはルノー・スポールF1チームとして再出発を図ることに。2016年のドライバーにはケビン・マグヌッセンとジョリオン・パーマーが指名されている。

しかし、その2016年もルノーにとって決して簡単なものではなかった。前体制下であちこちにほころびが出ていた影響で、複数の主要メンバーが既にチームを去っていたのだ。この年のマシンは2015型ロータスをベースに、リア部分にはメルセデスからルノーパワーへのスイッチに適応すべく2014年のパーツが多く使用された。当然の帰結としてマグヌッセンとパーマーのパフォーマンスは伸び悩み、2人合わせてもこの年の入賞は3回、計8ポイントの獲得にとどまっている。ただし、その間にもルノーはエンストンのファクトリーに再び資金を投じ、人員確保に力を入れた。

再建の年だった2016年に続き、ハースに移籍するマグヌッセンに代わってニコ・ヒュルケンベルグが加入した2017年もルノーは立て直しに取り組み続ける。ヒュルケンベルグが少しずつ得点を積み重ねていく一方、パーマーにはなかなか入賞のチャンスが巡ってこず、シーズン中にロータス時代のドライバーであるクビサがルノーと複数回のテストを実施したのを受け、パーマーが降板してクビサが古巣からF1復帰を果たすのではないかとのうわさも流れた。そのうわさが現実となることはなかったものの、ルノーは結果を残せなかったパーマーを放出し、2018年はトロ・ロッソからカルロス・サインツを引き入れることを決めている。この決定の後にようやくシーズン初入賞を遂げたパーマーだが、チームは第16戦日本GPをもって予定より早くパーマーに別れを告げ、翌戦からサインツが合流した。エンジンサプライヤーとしては後にアビテブールが語ったように開発が"アグレッシブ過ぎた"一面があり、シーズン終盤には信頼性トラブルが発生。2018年にはHondaとの提携を解消したマクラーレンが新たな供給先に加わることになった。

前年に引き続いてニコ・ヒュルケンベルグとカルロス・サインツのコンビで臨んだ2018年、開幕戦オーストラリアGPでは2台ともQ3に進出、レースでもダブル入賞を果たし、シーズンに期待を持たせた。その後もシーズン序盤は順調にポイントを積み上げていく。ルノーは2020年までにトップに返り咲くという長期プロジェクトの途上にあるが、トップ3チームに対して肉薄するまでには至っていない。とはいえ、予選ではQ3進出の常連となり、中団グループの中ではハースやフォース・インディアといったライバルチームから抜きん出たパフォーマンスを見せ、「ベスト・オブ・ザ・レスト」の地位を確立しつつあった。夏休み明けから成績はやや停滞するも、第18戦アメリカGPでヒュルケンベルグが6位、サインツが7位に入ると息を吹き返し、最終的にはコンストラクターズランキング4位を達成してシーズンを終えた。なお、これまでタグ・ホイヤーブランドでルノーPUを使用してきたレッドブルが翌年からHondaにスイッチした。

さらなる飛躍が期待された2019年、ルノーは開幕から思わぬ足踏みをすることになる。開幕からのフライアウェイ4戦では合計で12ポイントしか取れず、チームに危機感が募る。マシンにアップデートを加えた第5戦スペインGPでもポイントを獲得するに至らず、マネジングディレクターのシリル・アビデブールは自分たちの目標が達成できていないことを認めている。その後も競争力が大きく向上することなくシーズン前半を終えた。後半に入ると、第14戦イタリアGPでリカルドが4位、ヒュルケンベルグが5位と好成績を残すも波に乗ることはなかった。第17戦日本GPにおいてはリカルドが6位、ヒュルケンベルグが10位でレースを終えるも、ブレーキシステムの違反によりリザルトが取り消された。コンストラクターズランキングでは今年からルノーPUを搭載することになったマクラーレンが直接のライバルとなったが、皮肉にも昨年ルノーをドライブしたカルロス・サインツがマクラーレンで活躍し、ポイント上でも大きく離され、最終的にランキング5位で不本意なシーズンを終えた。