ロマン・グロージャン フランス
| # | Grand Prix | Circuit | Date | Car | Pos | Pts | Qual | FL |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | オーストラリア | アルバート・パーク | 3月17日 | ロータス (E21) | 10 | 1 | 8 | |
| 2 | マレーシア | セパン | 3月24日 | ロータス (E21) | 6 | 8 | 11 | |
| 3 | 中国 | 上海 | 4月14日 | ロータス (E21) | 9 | 2 | 6 | |
| 4 | バーレーン | サヒール | 4月21日 | ロータス (E21) | 3 | 15 | 11 | |
| 5 | スペイン | カタロニア | 5月12日 | ロータス (E21) | - | 6 |
| Year | Car | Race | Start | Won | Pod | Class | Best | Pole | Front | Best | Lap | Hat | Pts | Pos | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2009 | Renault | 7 | 7 | 0 | 0 | 5 | 13 | 0 | 0 | 12 | 0 | 0 | 0 | - | ||||
| 2012 | Lotus | 19 | 19 | 0 | 3 | 12 | 2 | 0 | 1 | 2 | 1 | 0 | 96 | 8 | ||||
| 2013 | Lotus | 5 | 5 | 0 | 1 | 4 | 3 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 26 | 7* | ||||
| Total | 31 | 31 | 0 | 4 | 21 | 2 | 0 | 1 | 2 | 1 | 0 | 122 |
| グランプリ | サーキット | 開催日 | ||
|---|---|---|---|---|
| デビュー戦 | ヨーロッパGP | バレンシア | 2009年8月23日 | レース結果 |
| ラストレース | スペインGP | カタロニア | 2013年5月12日 | レース結果 |
スイスとフランスの二重国籍を持つロマン・グロージャンは、モータースポーツのキャリアを比較的遅い14歳でスタートさせた。
カートから始めたグロージャンは順当にステップアップし、2006年にはF3ユーロシリーズに参戦、翌年には同選手権を制している。
2008年シーズンに向けて、グロージャンはGP2シリーズに昇格。GP2アジアシリーズでタイトルを獲得したグロージャンだったが、メインシリーズでは大成功とはいかず。
GP2に加えて、レースドライバーに昇格したネルソン・ピケJr.の後を継ぎ、ルノーF1チームのテストドライバーに就任したグロージャン。ARTグランプリから参戦し、ペースを発揮して勝利を手にすることもあったものの、些細なミスを犯したことが選手権4位という結果につながった。
ルノーの恩恵を受け、2009年もGP2に参戦しつつルノーのテストドライバーを務めていたグロージャンだが、2009年8月のヨーロッパGPにてピケJr.と交代する形でグランプリデビューを果たす。デビュー戦で15位に入ったグロージャンのシーズンベストリザルトはブラジルGPでの13位だった。また、デビューから4戦目のシンガポールGPでは、かつてのチームメイトであるピケJr.が意図的に事故を起こしたコーナーでフリー走行中にクラッシュ。ピケJr.の一件が"クラッシュゲート"として議論を巻き起こしたわずか数週間後のことだった。
困難な状況にあったルノーは2010年にオーナー、マネジメント陣、ドライバーらを一新して心機一転を図る。チームから放出されたグロージャンはFIA GT1選手権に新天地を求め、コドライバーのトマス・ムッチとともにフォードGTをドライブしてシーズン序盤に2勝を挙げる活躍を見せた。
グロージャンはその後シーズン半ばにしてシングルシーターの世界に戻り、Auto GP(かつてのユーロ3000選手権)に参戦。全シリーズの3分の2しか戦っていないにもかかわらずチャンピオンシップを勝ち取る。また、DAMSの一員として再びGP2にも参加し、4レースの中で2回の表彰台フィニッシュを果たしている。
翌2011年、グロージャンはDAMSからフルタイムのGP2ドライバーのオファーを受けるとともにルノーから"サードドライバー"の一人に指名される。3戦を残した状態でGP2王者に輝いたグロージャンは、続いてアブダビGPとブラジルGPの金曜フリー走行でルノーマシンをドライブした。これらの働きにより、グロージャンは2012年にキミ・ライコネンのチームメイトの座を射止め、自身2度目となるF1のチャンスをつかんでいる。
フル参戦した2012年シーズンは3度の表彰台フィニッシュという華々しい記録を築くも、繰り返すオープニングラップのインシデントが水を差していた。最悪だったのはスパ・フランコルシャンで、フェルナンド・アロンソとルイス・ハミルトンに加えてザウバーの2台をも1度のクラッシュでリタイアさせてしまったこと。このクラッシュは非常に深刻な事態につながる可能性もあった。スチュワードから次のイタリアGPの出走停止処分を科されたグロージャンは、トラブルを避けなければならないとのプレッシャーにさらされながら以降のレースを戦っている。
それにもかかわらず、ロータスはグロージャンへの信頼を貫き、2013年も同チームから参戦することが決まった。
【長所と短所】
新進のF1チャンピオンらのほとんどが5歳前後でカートのキャリアを開始する中、グロージャンは父から学校で成績が上がるまでキャリアのスタートを禁じられていた。その一方で冷静さにおいてはまだまだといったところ。デビュー戦のオープニングラップではフェラーリのルカ・バドエルと接触し、1週間後のベルギーGPでもジェンソン・バトンと衝突して2人ともリタイアに終わっている。
【キャリア最高の瞬間】
強力なGP2シーズンを送っていた2009年、8月にピケJr.の後任に指名されるまでライバルのニコ・ヒュルケンベルグとタイトル争いを演じていたこと。
【キャリア最低の瞬間】
2012年ベルギーGPで重大な事故を引き起こし、続くイタリアGPで出走停止処分を科されたこと。
【注目のコメント】
ロマン・グロージャン
「F1ドライバーになることはいつだって僕の夢だったし、マシンに乗り込むたびに今でも特別な感じがする」
ボブ・ベル
「彼にはまだ特に良いマシンを与えられていないし、若いドライバーがここへやって来るのはハードなことだ。したがって彼のF1デビューは楽ではないが、だからといって彼の豊かな才能が否定されるものではなく、われわれは将来その才能が花開くのを見るだろうと確信している」
【トリビア】
F1ドライバーという華麗な人生を楽しみつつも、グロージャンはジュネーブの銀行でパートタイムの仕事をしてきた。
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グロージャンが罰点方式を支持 (2013年5月14日)
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プレッシャーはまだあるとグロージャン (2013年5月10日)
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年俸でアロンソに追い付いたハミルトン (2013年5月8日)
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再出発の時とグロージャン (2013年5月4日)
- グロージャン、トラブルは過去のものに (2013年5月2日)
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2013年5月9日 パドックに到着したグロージャン © Sutton Images |
2013年4月21日 チームのW表彰台を喜ぶブーリエとグロージャン © Sutton Images |
2013年4月21日 表彰台に上ったベッテル、ライコネン、グロージャン © Sutton Images |
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