2004年11月にジャガー・レーシングを買収したエナジードリンクメーカーのレッドブルがF1に参入したのは2005年。買収価格は1ドルだったものの、新オーナーはそれから先の3年間に4億ドル(約358億6,400万円)を投資することになる。
チームを率いることになったのはF1史上最年少でチーム代表に就任したクリスチャン・ホーナーだ。コスワースエンジンを搭載して初シーズンに臨んだレッドブルはすぐさまパフォーマンスを発揮し、序盤2戦を終えてすでに前年にジャガーが獲得した総得点を上回るポイントを手にした。
2006年シーズンに先だって、レッドブルはテクニカルディレクターとしてエイドリアン・ニューイを起用。マクラーレンとウィリアムズで活躍してきたニューイはF1で最も優れた技術屋の1人として名高い。また、エンジンをコスワースからフェラーリV8に切り替えている。 しかし、レッドブル・フェラーリにとって2006年は大きく後退した1年だった。モナコGPではクルサードが素晴らしい走りで3位に入り、チーム初の表彰台と6ポイントをもたらしたが、残りのシーズンは苦戦を強いられる。結果、シーズンが進むにつれ、チームはRB2シャシーの開発を中止し、ニューイが手がける2007年型マシンRB3の開発に焦点を当てることを決断する。全18戦で16ポイントを獲得したレッドブルはチャンピオンシップを7位で終えている。
ルノーエンジンを載せたニューイの新作がデビューした2007年にはクルサードのパートナーにはマーク・ウェバーを起用。マシンは一見して高い競争力を持っているように思われたものの、信頼性の低さに泣いた。レッドブルはジェフ・ウィリスを採用してニューイと共にテクニカル部門の強化にあたらせている。中盤にはアップデートがいくらか功を奏したが、チームのベストパフォーマンスはウェバーが3位表彰台に上り、クルサードが5位入賞を果たしたハンガリーGPだった。
翌年も失望のシーズンを味わうことになったレッドブルは序盤戦こそウェバーが入賞常連になるも、ライバルのルノー、トヨタ、そして姉妹チームのトロ・ロッソに後れを取ってしまう。結果、トロ・ロッソのひとつ後ろの7位でシーズンを終えたレッドブルのシーズン最高位はクルサードが記録したカナダGPの3位だ。
2009年、レッドブルは世界初の試みとしてWebサイト上で3D映像を用い、2009年型マシンを公表する。ナレーションを務めたのはトロ・ロッソから移籍したセバスチャン・ベッテルだ。実際にシーズンが始まると、第3戦中国GPでベッテルがチーム初のポールポジションを記録。決勝レースではポールシッターのベッテルが優勝し、さらにウェバーが2位表彰台に上るというレッドブルの圧勝劇だった。スタートダッシュを決めたブラウンGPを打ち負かすべく、懸命にプッシュを続けたレッドブルはドイツでも1-2フィニッシュを果たしている。この時、先にチェッカーを受けたのはウェバーでF1初優勝を果たした。加えて、最終戦アブダビGPでも圧倒的な速さを見せつけたレッドブルはタイトルこそ逃したものの、コンストラクターズ選手権2位には十分なポイントを獲得してシーズンを締めくくっている。

