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/ 6月

  • クビサの命を救ったのは・・・?

今日は何の日:6月28日

2007年カナダGPで大クラッシュを喫したロバート・クビサ © Getty Images
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【1964年】

ルーアンで開催されたフランスGPにて、ダン・ガーニーがブラバムにF1初勝利をもたらした。チームオーナーのジャック・ブラバムもレースに参戦したが、BRMのグラハム・ヒルに次ぐ3位でフィニッシュ。ジム・クラークとガーニーの接戦バトルが展開されたレースは31周目にクラークのエンジンが故障、ガーニーがそのまま優勝している。序盤こそ速さを見せたものの、スピンを喫したグラハムは残りのレースで2番手を争った。マイク・ヘイルウッドは入賞圏外の8位でゴールしているが、前日にアッセンで行われたオランダTTモーターバイクレースに優勝後、航空会社のストライキにより自らがハンドルを握ってルーアンに移動したとあって素晴らしい偉業と言えるだろう。

【1998年】

フランスGPはシーズンのある種ターニングポイントとなった。フェラーリとミハエル・シューマッハがマクラーレン&ミカ・ハッキネンに本気で挑み始めたのだ。序盤7戦で5勝を挙げたマクラーレンだったが、3週間の休養と2回のテストを終えて臨んだマニクールにフェラーリが改良型のマシンを持ち込む。それでもポールはハッキネンが獲得。しかし、レースではシューマッハとエディ・アーバインにスタートでかわされてしまった。アーバインがハッキネンの攻撃を見事に抑え、その間にチームメイトのシューマッハがリードを築いていく。最後はハッキネンがアーバインを追い抜くも、ほどなくしてスピンを喫したハッキネンは4番手まで後退している。続いてフェラーリに立ち向かっていったクルサードは2回のピットストップとも燃料ホースにトラブルが発生。優勝はシューマッハの手に落ちた。その後、3勝を重ねたシューマッハだったが、この年のタイトルはハッキネンが手に入れている。

【2002年】

イタリアの銀行『Mediobank(メディオバンク)』がFIATからフェラーリの株式34%を購入。当時、FIATは財政危機に直面していた。株式購入に際して同銀行は7億6,800万ドルを支払い、その先数年にわたって売却されていった。2005年までには34%の大半が他の銀行に売却され、フェラーリの株式は56%をFIATが、残る10%を唯一存命するエンツォ・フェラーリの息子ピエロ・フェラーリが所有していた。契約が結ばれた時点ではメディオバンクが予測を超える金額を支払っていると考えた者が多かったが、株式が徐々に売却された後、フェラーリの総合価値は22億5,000万ドル前後で安定していた。同じタイミングでフェラーリがマセラティをアルファロメオに売却しており、これによって価値を得たのではないかと考えられている。

【2005年】

安全性に懸念が生じたことを理由にアメリカGPから撤退した1週間後、ミシュランがインディアナポリスを訪れたすべての観客への返金、および翌年のチケットを無料で2万人にプレゼントすることを自主的に申し出た。ミシュランは「インディアナポリスでのグランプリから1週間、ミシュランはグランプリに訪れた人々や、アメリカにおけるF1の発展促進に情熱を捧げるグループに誠意を示したいと考えている」と述べている。

【2007年】

カナダGPで身の毛もよだつ大クラッシュを喫したロバート・クビサの命は故ヨハネ・パウロ二世によって奇跡的に救われた。ポーランドの通信社がそう報じた。同通信社はクビサの生存がカトリック教会の法王ヨハネ・パウロ二世の授福における結果だと伝えている。クビサは故ローマ教皇と同じポーランドのクラクフ出身で、ヘルメットにはヨハネ・パウロ二世の名前を記していることで有名だが、この話を聞いたクビサ本人はいくらか困惑している様子だった。「この件については何も知らない。ポーランドでは真実でないこともたくさん報じられている。誰が僕を救ってくれたのかなんて分からないし、自分が誰かに救われたのかさえも分からない。僕は無事にここにいるから、それについては本当によかったと思っている」と語ったクビサ。この話はヨハネ・パウロ二世が聖者として扱われるに十分な証拠を得ようとした協会関係者が発したものだと言われている。

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