On This Day

/ 2月

  • アロンソのF1昇格

今日は何の日:2月5日

2001年にミナルディからF1デビューを果たしたアロンソ © Sutton Images
拡大

【1922】

アラン・ド・シャンジーがベルギーのブリュッセルで生誕した。1959年モナコGPの1レースに参戦したのみ。しかし、予選落ちを喫した。F1よりもスポーツカーでのレースで成功を収めている。

【1956】

ドライバーでありチームオーナーであるヘクトール・レバークがメキシコシティで生まれる。F1では5年間活動し、58戦に出走した。また、1978年と1979年は自らが所有するレバークのドライバーを務めている。決勝の最高位はブラバムから参戦した1981年に3度マークした4位。翌1982年はアメリカに渡ってCARTシリーズに参加し、エルクハート・レイク(現ロード・アメリカ)で優勝を飾った。しかしながら、これが彼の最後のレースとなってしまう。ちょうど1週間後に行われたテストで大事故に遭遇し、オーバルレースが危険過ぎると納得したレバークは引退を決意した。

【2001】

フラビオ・ブリアトーレがミナルディからフェルナンド・アロンソがデビューすることを明かす。ブリアトーレはアロンソがF1スーパーライセンスを確実に取得できるようベネトンで数回のテスト走行を経験させ、ミナルディのレースシートをアロンソに与えるようポール・ストッダートを説得したのだ。当時、アロンソはカートを卒業してわずか2年しかたっておらず、前年のF3000を4位の成績で終えたところだった。ミナルディからフル参戦を果たしたアロンソはノーポイントではあったものの、競争力に欠けるマシンで時折、堅実なパフォーマンスを見せる。翌年はテストドライバーとして過ごし、2003年にはブリアトーレのいるルノーに加入。そして2006年に2年連続でF1ワールドチャンピオンに輝くのであった。

【2003】

両大戦間を経験した最後の生存者、元メルセデスドライバーのマンフレート・フォン・ブラウヒッチュが97歳で永眠。1930年代に現代にも継承されるシルバーアローの元祖をドライブしたブラウヒッチュは3度の優勝経験があるが、数々の不運によって幾度となく勝機を逸している。1937年のモナコGPではラップレコードをマークして最高の勝利を収めた。このときの記録はその後18年間破られることがなかった。軍人一家に生まれたブラウヒッチュは戦後、西ドイツで就職に苦労し、1951年にはスパイ活動の容疑で投獄されている。国内のモータースポーツ組織の代表を務めた東ドイツに亡命、1987年にヘルマン・ランクが天に召されてからは元祖シルバーアローチームの唯一の存命者だった。

© ESPN Sports Media Ltd.
Close