マノー

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イギリス

  • ニックネーム マノー
  • エンジンサプライヤー メルセデス
  • チーム代表 デビッド・ライアン
  • テクニカルディレクター ジョン・マキリアム
F1キャリア / 戦績
Year エンジン Driver Race Start Won Pod Class Best 1+2 Pole Front Best Lap Pts Pos
2012 Cosworth M Chilton, T Glock, C Pic 20 39 0 0 32 12 0 0 0 18 0 0 -
2013 Cosworth J Bianchi, M Chilton, R Gonzalez 19 38 0 0 35 13 0 0 0 15 0 0 -
2014 Ferrari J Bianchi, M Chilton, A Rossi 16 31 0 0 25 9 0 0 0 12 0 2 9
2015 Ferrari F Leimer, R Merhi, A Rossi, W Stevens 18 33 0 0 29 12 0 0 0 13 0 0 -
Total 73 141 0 0 121 9 0 0 0 12 0
グランプリ サーキット 開催日
デビュー戦 オーストラリアGP アルバート・パーク 2012年3月18日 レース結果
ラストレース アブダビGP ヤス・マリーナ 2015年11月29日 レース結果
プロフィール

ジョン・ブース率いるマノー・レーシングがヴァージンの名でF1に参戦してから2年後、チームは2012年に"マルシャ"へ名称を変更している。ロシアの自動車メーカーであるマルシャは2010年末にチームの主要株主となり、2011年の時点ですでにチーム名はマルシャ・ヴァージン・レーシングとなっていた。

チームのデビューイヤーを支えたVR-01はF1初のコンピューター・シミュレーション・テクノロジーのみを使用してデザインされたマシン。ドライバーはティモ・グロックとルーカス・ディ・グラッシを起用するも、コンストラクターズ選手権最下位と、チームにとっては落胆の初年度だった。

マルシャの共同投資者であるアンドレイ・チェグラコフは当時、"チーム自体の認識を高めるため"にチーム名に"ヴァージン"の名を残しておくことを望むと話していた。その意向からリチャード・ブランソンが率いるヴァージンから財政的な支援はないまま、同社の名がさらに1年の間グリッドに存在していたが、オーナーらは2012年にチーム名変更をもって露出を増やすことを決定する。

ティモ・グロックのチームメイトとして資金持ち込みが可能なドライバーであるシャルル・ピックを迎えた新生マルシャ・レーシングは、2012年の最終戦でケータハムからコンストラクターズ10位の位置を奪われるという苦汁をなめた。また、同シーズンにはテストドライバーのマリア・デ・ビロタがテスト中のクラッシュで右目の光を失う事故が起こっている。

2013年はジュール・ビアンキとマックス・チルトンのコンビで戦いに臨むも、またしてもバックマーカーの常連となり、シーズンを通してケータハムとバトルすることに。チルトンがルーキードライバーとしては初めてのシーズンフル完走を果たし、チームはやはり無得点ながらもケータハムを抑えて10位につけている。ビアンキとチルトンのコンビは2014年も継続された。

新V6ターボ時代に突入した2014年にはエンジンサプライヤーをコスワースからフェラーリに切り換える。この年はマルシャにとって成功と悲劇の間の微妙なラインを浮かび上がらせる1年だった。小規模チームを襲う財政難が深刻度を増す中、モンテカルロで記憶に残るドライブを披露したビアンキがマルシャ待望の初得点を獲得。だが、その後数カ月で状況は急速に悪化する。ウエットコンディションの中で開催された日本GP決勝レースでビアンキが頭部に重症を負う大クラッシュを喫したのだ。さらに、ソチを舞台に初開催されたロシアGPが終わると、ロシアを拠点とするチームのスポンサーが手を引いてしまう。苦境極まったマルシャは管財人の管理下に置かれることになった。

同時期にF1参戦を果たして以来、常にライバルだったケータハムも時を同じくして破産を申請し、両チームはロシアGP後の2戦を欠場する。ケータハムがシーズンフィナーレに復帰したのと対照的に、戦線を離脱したままのマルシャはシーズン終了を待たずに精算手続きに入り、チーム資産をオークションにかけた。

それでも、イギリスの電気・ガス供給会社『OVO Energy(OVOエナジー)』のオーナーであるスティーブン・フィッツパトリックの支援を得て2015年の開幕戦にこぎつけたチームはマノー・マルシャF1チームへと名を変えて、一度もプレシーズンテストに参加しないままチャンピオンシップを戦うことになった。レギュラードライバーにウィル・スティーブンスを指名し、もう1台のマシンを担当するロベルト・メルヒとは1レースごとの契約を結ぶ。2014年のシャシーを新ルールに合うよう修正した間に合わせのマシンは、当初は満足に走行することのできない状態だったが、チームは地道な努力で少しずつ態勢を整え、やがて安定した信頼性を発揮するようになる。夏には1年前にクラッシュしたビアンキの訃報が届き、チーム全体が悲しみの中でビアンキのためにレースを続けていくとの誓いを新たにした。第13戦シンガポールGP以降はメルヒに代わってアレキサンダー・ロッシを起用し、ロッシのGP2レースと日程が重なるロシアGPならびに最終戦アブダビGPではメルヒがコックピットに戻っている。ポイントには届かないながらも、この年には14回のダブルフィニッシュを果たした。

2015年の閉幕間際にデイブ・ライアンが新設されたレーシングディレクターの役職に就き、チーム代表のジョン・ブースとスポーティングディレクターのグレーム・ロードンはシーズン末をもってチームを去った。また、年が明けるとニコラス・トンバジスがチーフエアロダイナミシストに任命されている。ようやく新車で挑むことのできる2016年にはチーム名をマノー・レーシングと改め、新エンジンサプライヤーのメルセデスが抱える若き精鋭パスカル・ウェーエレインとインドネシア初のF1ドライバーであるリオ・ハリアントがステアリングを握る。

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