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パストール・マルドナド  ベネズエラ

  • 氏名 パストール・マルドナド
  • 生年月日 1985年3月9日
  • 出身地 ベネズエラ・アラグア州マラカイ
  • 年齢 31歳168日
  • チーム Rapax, ウィリアムズ, ロータスF1
driver portrait
F1キャリア / 戦績
Year Car Race Start Won Pod Class Best Pole Front Best Lap Hat Pts Pos
2011 Williams 19 19 0 0 13 10 0 0 7 0 0 1 19
2012 Williams 20 20 1 1 15 1 1 2 1 0 0 45 15
2013 Williams 19 19 0 0 16 10 0 0 13 0 0 1 18
2014 Lotus F1 19 18 0 0 13 9 0 0 10 0 0 2 16
2015 Lotus F1 19 19 0 0 10 7 0 0 6 0 0 27 14
Total 96 95 1 1 67 1 1 2 1 0 0 76
グランプリ サーキット 開催日
デビュー戦 オーストラリアGP アルバート・パーク 2011年3月27日 レース結果
ラストレース アブダビGP ヤス・マリーナ 2015年11月29日 レース結果
プロフィール
© Getty Images

GP2で4年ものシーズンを過ごし、2010年に圧倒的な勝利を収めてようやくF1でのチャンスを与えられたパストール・マルドナド。2011年はウィリアムズでドライブすることになったが、2010年の前任者ニコ・ヒュルケンベルグが才能だけを基準に選ばれたのに対し、マルドナドは母国ベネズエラの石油会社から多額の支援金をチームにもたらしているとされる。

しかし、マルドナドは普通のペイドライバーとは少し違う。7歳でカートを始めた彼は、陸軍士官学校で学びながらベネズエラのさまざまなジュニア選手権に奇襲を仕掛ける。次なるステップとしてヨーロッパに渡り、2003年にはイタリアを拠点としてフォーミュラ・ルノー2000シリーズに参戦して大陸を渡り歩いた。同じ年、イタリアの冬のシリーズで勝利を飾り、2004年にはより競争の激しい夏の選手権でタイトルを獲得。

このタイトルによって、ミサノで行われたミナルディのテストに招かれ、次の年にはルノー・ドライバー育成プログラムの一員となった。2005年のワールドシリーズbyルノーでは本領発揮にやや時間を要したが、2006年はタイトルに手が届くところまでいく。だがミサノでのレースで失格となったために機を逸している。

時にはこうした後退もあったものの、彼のパフォーマンスはGP2でトライデント・レーシングのシートを獲得するのに十分なものであり、4戦目にしてモナコの市街地コースで圧巻の初勝利を記録。シーズンは25ポイントを獲得し、ランキング11位だったが、鎖骨骨折のためにラスト4戦は不参加となっている。ピケ・スポーツで戦った2008年シーズンはランキング5位に浮上し、スパ・フランコルシャンで2勝目を挙げた。

チャンピオンチーム、ARTのシートを射止めた2009年シーズンは、大きなチャンスになるはずだった。しかし、参戦初年度でタイトルを取ったチームメイトのヒュルケンベルグに完敗してしまう。この年のマルドナドはヒュルケンベルグに64ポイントも引き離され、6位に終わった。

心機一転、2010年はニューチームのラパックスで再スタートを切り、ようやくポテンシャルを出し切って頂点に立つ。年間6勝は前例のない記録であり、シーズン1戦を残したモンツァでタイトルを決めている。これでF1モーターホームのドアをノックする権利を得たマルドナドだが、それ以上に重要なこととして彼には石油会社『PDVSA』という大スポンサーが付いていた。それが結果的にウィリアムズでのシート獲得につながる。

デビューイヤーのリザルトはわずか1ポイントに終わったマルドナドだったが、それには彼自身のみならずマシン性能にも落ち度があり、そんな中でも予選トップ10に3度入ることでポテンシャルを示したと言えよう。

2012年にはスペインGPで大きなチャンスをつかみ、F1初勝利を達成する。しかし、その後は注目を集めたいくつかのミスの影響もあり、9レースにわたってノーポイントが続いた。

マルドナドが才能あるドライバーであることに疑いはなかったが、力不足のマシンで苦戦した2013年にはこらえ性のなさが乗り越えるべき課題であることが露呈している。ウィリアムズ離脱を試みる中でフェリペ・マッサとマルドナドの交代が発表され、マルドナドとPDVSAの巨額のスポンサーシップが2014年のドライバー市場から熱い注目を受けた。

新たな投資家との契約をまとめられずにいたロータスが最終的に選んだのは有望株のニコ・ヒュルケンベルグではなくマルドナドとそのスポンサー。だが、この移籍はマルドナドに災厄をもたらすものだった。新V6ターボ時代が幕を開けた2014年にロータスは苦戦を強いられ、一方のウィリアムズはメルセデスパワーを得てトップチームへの返り咲きを果たす。クラッシュだらけだったこのシーズンに、以前から下されていた無謀という評価を覆す機会はなく、マルドナドはオースティンで何とか一度の入賞を遂げるにとどまった。

スポンサーの力もあってシートを維持した2015年にはロータスもメルセデスのパワーユニットを手にし、マルドナドの調子は前年度より明らかに上向いた。ただし、その間にもクラッシュが頻発し、ついにはファーストネームをもじった"クラッシュトール"というあだ名までつけられてしまった。そんなマルドナドは1年を通して6点のペナルティポイントを科されており、これはシーズン最終戦でトロ・ロッソの新人マックス・フェルスタッペンが罰則点8に達するまでグリッド最多の数字だった。また、チャンピオンシップ上でのマルドナドの得点は、相方のロマン・グロージャンの51ポイントから大きく離された21ポイントにとどまっている。

それでもロータスとの契約を継続したマルドナドだったが、その後チームがルノーに買収されたのを受け、確保したはずのシートを失う可能性が浮上。残留にあたって重要視されていたPDVSAとチームの交渉は実らず、新シーズンの開幕が迫った2月になって2016年のグリッドには着かないことが明らかになった。その時点ではマノー・レーシングにまだ空きがあったものの、バックマーカーでキャリアを継続することを望まなかったマルドナドは、2017年のF1復帰に向けて別の道を模索している。

【長所と短所】

速さは折り紙つき――ライバルが誰であれ、GP2で6勝というのはそうたやすくできることではない――だがミスはまだ多い。F1ではあらゆる弱さが露呈することから、スピードだけでなく荒削りな部分を改善し、一貫した結果を残すべきだろう。

【キャリア最高の瞬間】

スペインGPで優勝し、ウィリアムズの8年間の未勝利期間に終止符を打ったこと。

【キャリア最低の瞬間】

2005年、モナコで開かれていたワールド・シリーズbyルノーのレース中に、イエローフラッグが掲示されている状態でマーシャルに衝突したこと。他には2014年バーレーンGPでエステバン・グティエレスに接触し、グティエレスのマシンを激しく横転させたことも挙げられる。

【注目のコメント】

「3歳か4歳の頃からレースがしたかったけど、幼すぎた。でも7歳になったら父がカートを与えてくれて、僕らはそこからスタートしたんだ」

◆マルドナドを支持していたチャベス大統領の言葉

「スポーツと政治は切り離すべきものではない。ベネズエラのように、政治はスポーツを支援するべきだ」

【トリビア】

ベネズエラの人々のためのチャリティ活動に熱心なマルドナドは、その功績を認められて何度かチャベス政権から表彰された。

ノート

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