ロマン・グロージャン  フランス

  • 氏名 ロマン・グロージャン
  • 生年月日 1986年4月17日
  • 出身地 スイス・ジュネーブ
  • 年齢 28歳219日
  • 身長 1.8 m
  • 体重 71 kg
  • 現所属チーム ロータス
  • 過去の在籍チーム ルノー
driver portrait
2014年の世界選手権
# Grand Prix Circuit Date Car Pos Pts Qual FL
1 オーストラリア アルバート・パーク 3月16日 ロータス (E22) - 22
2 マレーシア セパン 3月30日 ロータス (E22) 11 14
3 バーレーン サヒール 4月6日 ロータス (E22) 12 16
4 中国 上海 4月20日 ロータス (E22) - 10
5 スペイン カタロニア 5月11日 ロータス (E22) 8 4 5
6 モナコ モナコ 5月25日 ロータス (E22) 8 4 14
7 カナダ モントリオール 6月8日 ロータス (E22) - 14
8 オーストリア シュピールベルク 6月22日 ロータス (E22) 14 22
9 イギリス シルバーストーン 7月6日 ロータス (E22) 12 11
10 ドイツ ホッケンハイム 7月20日 ロータス (E22) - 14
11 ハンガリー ハンガロリンク 7月27日 ロータス (E22) - 14
12 ベルギー スパ 8月24日 ロータス (E22) - 15
13 イタリア モンツァ 9月7日 ロータス (E22) 16 17
14 シンガポール シンガポール 9月21日 ロータス (E22) 13 16
15 日本 鈴鹿 10月5日 ロータス (E22) 15 16
16 ロシア連邦 ソチ 10月12日 ロータス (E22) 17 15
17 アメリカ合衆国 オースティン 11月2日 ロータス (E22) 11 16
18 ブラジル インテルラゴス 11月9日 ロータス (E22) - 14
F1キャリア / 戦績
Year Car Race Start Won Pod Class Best Pole Front Best Lap Hat Pts Pos
2009 Renault 7 7 0 0 5 13 0 0 12 0 0 0 -
2012 Lotus 19 19 0 3 12 2 0 1 2 1 0 96 8
2013 Lotus 19 19 0 6 15 2 0 0 3 0 0 132 7
2014 Lotus 18 18 0 0 11 8 0 0 5 0 0 8 14*
Total 63 63 0 9 43 2 0 1 2 1 0 236
グランプリ サーキット 開催日
デビュー戦 ヨーロッパGP バレンシア 2009年8月23日 レース結果
ラストレース ブラジルGP インテルラゴス 2014年11月9日 レース結果
プロフィール
© Sutton Images

スイスとフランスの二重国籍を持つロマン・グロージャンは、モータースポーツのキャリアを比較的遅い14歳でスタートさせた。

カートから始めたグロージャンは順当にステップアップし、2006年にはF3ユーロシリーズに参戦、翌年には同選手権を制している。

2008年シーズンに向けて、グロージャンはGP2シリーズに昇格。GP2アジアシリーズでタイトルを獲得したグロージャンだったが、メインシリーズでは大成功とはいかず。

GP2に加えて、レースドライバーに昇格したネルソン・ピケJr.の後を継ぎ、ルノーF1チームのテストドライバーに就任したグロージャン。ARTグランプリから参戦し、ペースを発揮して勝利を手にすることもあったものの、些細なミスを犯したことが選手権4位という結果につながった。

ルノーの恩恵を受け、2009年もGP2に参戦しつつルノーのテストドライバーを務めていたグロージャンだが、2009年8月のヨーロッパGPにてピケJr.と交代する形でグランプリデビューを果たす。デビュー戦で15位に入ったグロージャンのシーズンベストリザルトはブラジルGPでの13位だった。また、デビューから4戦目のシンガポールGPでは、かつてのチームメイトであるピケJr.が意図的に事故を起こしたコーナーでフリー走行中にクラッシュ。ピケJr.の一件が"クラッシュゲート"として議論を巻き起こしたわずか数週間後のことだった。

困難な状況にあったルノーは2010年にオーナー、マネジメント陣、ドライバーらを一新して心機一転を図る。チームから放出されたグロージャンはFIA GT1選手権に新天地を求め、コドライバーのトマス・ムッチとともにフォードGTをドライブしてシーズン序盤に2勝を挙げる活躍を見せた。

グロージャンはその後シーズン半ばにしてシングルシーターの世界に戻り、Auto GP(かつてのユーロ3000選手権)に参戦。全シリーズの3分の2しか戦っていないにもかかわらずチャンピオンシップを勝ち取る。また、DAMSの一員として再びGP2にも参加し、4レースの中で2回の表彰台フィニッシュを果たしている。

翌2011年、グロージャンはDAMSからフルタイムのGP2ドライバーのオファーを受けるとともにルノーから"サードドライバー"の一人に指名される。3戦を残した状態でGP2王者に輝いたグロージャンは、続いてアブダビGPとブラジルGPの金曜フリー走行でルノーマシンをドライブした。これらの働きにより、グロージャンは2012年にキミ・ライコネンのチームメイトの座を射止め、自身2度目となるF1のチャンスをつかんでいる。

フル参戦した2012年シーズンは3度の表彰台フィニッシュという華々しい記録を築くも、繰り返すオープニングラップのインシデントが水を差していた。最悪だったのはスパ・フランコルシャンで、フェルナンド・アロンソとルイス・ハミルトンに加えてザウバーの2台をも1度のクラッシュでリタイアさせてしまったこと。このクラッシュは非常に深刻な事態につながる可能性もあった。スチュワードから次のイタリアGPの出走停止処分を科されたグロージャンは、トラブルを避けなければならないとのプレッシャーにさらされながら以降のレースを戦っている。

それにもかかわらずロータスはグロージャンへの信頼を貫く。用心深いアプローチで2013年のバトルを開始したグロージャンは次第に真の一貫性を示し始め、オープニングラップの障害とも言える存在から一転して立場を取り戻していった。ドイツとハンガリーで印象的な走りを見せたグロージャンは韓国GP以降で3連続表彰台を達成。アブダビの4位で連続記録は途絶えたものの、終盤にマーク・ウェバーを抑えてレッドブル勢の間に割って入り、2位表彰台に上ったオースティンがおそらくグロージャンのベストレースだろう。

成長を遂げたグロージャンが適切なマシンさえ手に入れられれば、2014年の勝利は十分に可能だろう。一方で、キミ・ライコネンがフェラーリへ移籍した同年はチームリーダーとしての重責も担うことになる。

【長所と短所】

新進のF1チャンピオンらのほとんどが5歳前後でカートのキャリアを開始する中、グロージャンは父から学校で成績が上がるまでキャリアのスタートを禁じられていた。その一方で冷静さにおいてはまだまだといったところ。デビュー戦のオープニングラップではフェラーリのルカ・バドエルと接触し、1週間後のベルギーGPでもジェンソン・バトンと衝突して2人ともリタイアに終わっている。

【キャリア最高の瞬間】

強力なGP2シーズンを送っていた2009年、8月にピケJr.の後任に指名されるまでライバルのニコ・ヒュルケンベルグとタイトル争いを演じていたこと。

【キャリア最低の瞬間】

2012年ベルギーGPで重大な事故を引き起こし、続くイタリアGPで出走停止処分を科されたこと。

【注目のコメント】

ロマン・グロージャン

「F1ドライバーになることはいつだって僕の夢だったし、マシンに乗り込むたびに今でも特別な感じがする」

ボブ・ベル

「彼にはまだ特に良いマシンを与えられていないし、若いドライバーがここへやって来るのはハードなことだ。したがって彼のF1デビューは楽ではないが、だからといって彼の豊かな才能が否定されるものではなく、われわれは将来その才能が花開くのを見るだろうと確信している」

【トリビア】

F1ドライバーという華麗な人生を楽しみつつも、グロージャンはジュネーブの銀行でパートタイムの仕事をしてきた。

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2014年11月21日

タイヤをロックアップさせたグロージャン

2014年11月21日

ロマン・グロージャン

2014年11月7日

コーナーを攻めるグロージャン

     

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