- 設立 2010
- Also known as ヒスパニア・レーシングF1チーム
- エンジンサプライヤー コスワース
- チーム代表 ルイス・ペレス・サラ
- テクニカルディレクター ジャン-クロード・マルタン

Year | エンジン | Driver | Race | Start | Won | Pod | Class | Best | 1+2 | Pole | Front | Best | Lap | Pts | Pos | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2010 | Cosworth | K Chandhok, C Klien, B Senna, S Yamamoto | 18 | 36 | 0 | 0 | 21 | 14 | 0 | 0 | 0 | 19 | 0 | 0 | - | ||||
2011 | Cosworth | J Charouz, KRN Karthikeyan, V Liuzzi, D Ricciardo | 18 | 36 | 0 | 0 | 27 | 13 | 0 | 0 | 0 | 20 | 0 | 0 | - | ||||
2012 | Cosworth | D Clos, KRN Karthikeyan, QH Ma, PM de la Rosa | 19 | 38 | 0 | 0 | 27 | 15 | 0 | 0 | 0 | 20 | 0 | 0 | - | ||||
Total | 55 | 110 | 0 | 0 | 75 | 13 | 0 | 0 | 0 | 19 | 0 |
グランプリ | サーキット | 開催日 | ||
---|---|---|---|---|
デビュー戦 | バーレーンGP | サヒール | 2010年3月14日 | レース結果 |
ラストレース | ブラジルGP | インテルラゴス | 2012年11月25日 | レース結果 |
グリッド数拡大が予定される2010年シーズンのエントリー受付を開始したFIAは新規参入を目指す15チームからの申し込みを受け取る。そして見事に新規3枠のひとつを手にしたのが、元F1ドライバーのエイドリアン・カンポス代表率いるカンポスだった。
カンポス代表は1998年に自らのチームを立ち上げ、以来、ユーロF3からF1の登竜門と言われるGP2まで、数々のハイレベルなカテゴリーでマシンを走らせている。同チームの記録はかなり印象的で、2008年のGP2シリーズ制覇を含め、参戦したカテゴリーすべてを合わせて、ドライバーズ選手権を制すること6度、チームのタイトルを5度も獲得しているのだ。
スペイン・マドリードに本拠地を置き、イベント運営やスポンサーシップ、PR、肖像権を専門に扱うスポーツマーケティング企業『Meta Image(メタ・イメージ)』と提携する同チームは、カンポス・メタとしてF1に参戦するはずだった。
2009年F1シーズン閉幕直前の10月末には偉大なドライバーとして誰もが知るアイルトン・セナの甥、ブルーノの起用を発表するなど早い段階で動いていたものの、チームは思うようにスポンサーを見つけられず資金繰りに苦悩する。
このまま参戦できないのではないかとの見方が強まる中、開幕ギリギリになってホセ・ラモン・カラバンテがカンポス・チームの株式を買い取り、新たにヒスパニア・レーシングF1チーム(HRT)として2010年のF1世界選手権に参戦することになった。カンポスはチーム代表を辞任、後任にはコリン・コレスが指名されている。
開幕戦直前にはスペインで新生HRTのお披露目が行われ、コスワースエンジンを搭載するダラーラ製F110と、レースドライバーのブルーノ・セナおよびカルン・チャンドックが公の場に初めて登場した。
しかしながら、チームが意図した形ではスタートしないことがすぐに明らかになり、カラバンテファミリーに買い取られてヒスパニア・レーシング・チームに名前を変更。その後もまだシーズン初戦のバーレーンGPに向けてマシンを組み立て続けていた。
カラバンテはうまくチーム運営を舵取りし、4名のドライバーを起用した初年度をコンストラクターズチャンピオンシップ11位で終えた。2011年7月、チームは『Thesan Capital(テサン・キャピタル)』に買収され、HRTに名称変更する。プレシーズンテストで新車を走らせることはできなかったものの、チームは再びランキング11位で2年目を締めくくった。
マドリッドのカハ・マヒカへの移転はチームの将来にとってカギとなる動きに見えたが、2012年も以前同様に走行時間が足りず、開幕戦オーストラリアGPは予選落ちを喫し、決勝への出場資格を得ることに失敗している。新しい本部を構えたにもかかわらず、シーズンが進むにつれて資金不足に直面、テサンは11月初旬にチームを売りに出した。
スペアパーツを欠く状態ながらもチームはラスト2レースを戦い切ったが、買い手は現れない。FIAの2013年エントリーリストが発表された際にHRTの名はなく、チームは静かにその歴史に幕を閉じた。結局のところ、スペインのF1チームというプロジェクト事態が最初から非常に厳しいものであり、3シーズンにフル参戦した事実そのものが大きな業績だったと言えよう。
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