グリッド数拡大が予定される2010年シーズンのエントリー受付を開始したFIAは新規参入を目指す15チームからの申し込みを受け取る。そして見事に新規3枠のひとつを手にしたのが、元F1ドライバーのエイドリアン・カンポス代表率いるカンポスだった。

カンポス代表は1998年に自らのチームを立ち上げ、以来、ユーロF3からF1の登竜門と言われるGP2まで、数々のハイレベルなカテゴリーでマシンを走らせている。同チームの記録はかなり印象的で、2008年のGP2シリーズ制覇を含め、参戦したカテゴリーすべてを合わせて、ドライバーズ選手権を制すること6度、チームのタイトルを5度も獲得しているのだ。

スペイン・マドリードに本拠地を置き、イベント運営やスポンサーシップ、PR、肖像権を専門に扱うスポーツマーケティング企業『Meta Image(メタ・イメージ)』と提携する同チームは、カンポス・メタとしてF1に参戦するはずだった。

2009年F1シーズン閉幕直前の10月末には偉大なドライバーとして誰もが知るアイルトン・セナの甥、ブルーノの起用を発表するなど早い段階で動いていたものの、チームは思うようにスポンサーを見つけられず資金繰りに苦悩する。

このまま参戦できないのではないかとの見方が強まる中、開幕ギリギリになってホセ・ラモン・カラバンテがカンポス・チームの株式を買い取り、新たにヒスパニア・レーシングF1チーム(HRT)として2010年のF1世界選手権に参戦することになった。カンポスはチーム代表を辞任、後任にはコリン・コレスが指名されている。

開幕戦直前にはスペインで新生HRTのお披露目が行われ、コスワースエンジンを搭載するダラーラ製F110と、レースドライバーのブルーノ・セナおよびカルン・チャンドックが公の場に初めて登場した。

しかしながら、チームが意図した形ではスタートしないことがすぐに明らかになり、カラバンテファミリーに買い取られてヒスパニア・レーシング・チームに名前を変更。その後もまだシーズン初戦のバーレーンGPに向けてマシンを組み立て続けていた。

カラバンテはうまくチーム運営を舵取りし、4名のドライバーを起用した初年度をコンストラクターズチャンピオンシップ11位で終えた。2011年7月、チームは『Thesan Capital(テサン・キャピタル)』に買収される。プレシーズンテストで新車を走らせることができなかったものの、チームは再びランキング11位で2年目を締めくくった。

マドリッドのカハ・マヒカへの移転はチームの将来にとってカギとなる動きに見えたが、2012年もこれまで同様に走行時間が不足。開幕戦オーストラリアGPの予選で決勝への出場資格を得ることに失敗している。新しい本部を構えたにもかかわらず、シーズンが進むに連れて資金の不足が明らかになり、テサンは11月初旬にチームを売りに出した。