イギリスGP

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トップ10:シルバーストーンでのレース

Alan Henry / Me 2010年8月12日
先頭争いをするヨッヘン・リントとジャッキー・スチュワート © Sutton Images
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F1ジャーナリスト歴40年のアラン・ヘンリーがシルバーストーンでのレーストップ10を選ぶ。

【1969年:スチュワートとリントのホイール・トゥ・ホイール】

シルバーストーンで開催されたレースの中でこれこそ最も面白く、センセーショナルなレースだった。40年経った今でも熱く語り継がれているイベントだ。ジャッキー・スチュワートとヨッヘン・リントはこの時代最も優れたドライバーといわれ、彼らは親友でもあった。だがその友情をいったん脇に置き、2人は4.711kmのサーキットで84周にわたりホイール・トゥ・ホイールのバトルを繰り広げた。スチュワートのマトラMS80とリントのロータス49Cが入れ替わりながらレースをリード。しかしリントはウイングのエンドプレートが緩み、ピットイン。その後も燃料を継ぎ足すために2度目のピットインを強いられ、勝利はスチュワートの手に渡った。

【1973年:才能を証明したレブソン】

このイベントで話題をさらったのはジョディ・シェクターだった。実際、新聞各紙でトップページを飾ったのは彼だ。レースのオープニングラップ、ウッドコートコーナーでマクラーレンM23マシンをスピンさせた彼は多重クラッシュを引き起こした。当然、レースは赤旗中断。再スタートでは人気者だが過小評価されがちなアメリカ人ドライバー、ピーター・レブソンが控えめかつ正確な判断で優位に立つ。その後方ではロニー・ピーターソンのロータス72、デニー・ハルムのマクラーレンM23、新星のように現れたジェームス・ハントのヘスケス・マーチ761の4台が4秒ほどの間にひしめいていた。

【1958年:コリンズ、最後の勝利】

ポールポジションを獲得したのはヴァンウォールのスターリング・モスだったが、レースは友人同士でもあり、フェラーリのチームメイトでもあったピーター・コリンズとマイク・ホーソーンの2人が主役となった。この時は友人をよく理解していたコリンズが、称賛に値する正確なドライビングでディーノ246を彼の母国でチームの1-2勝利へと導いた。だが、注目すべきは3位のロイ・サルバドーリ。クーパー・クライマックスのようなフロントエンジンのF1マシンが通用する時代は終わろうとしていた。

【1965年:クラークの4年連続優勝】

1.5リッターのレギュレーションでF1イギリスGPが開催された最後の年であり、キーファクターは2つ。ロータス、ジム・クラークがイギリスGPで4年連続優勝を達成、リッチー・ギンサー操るHondaにとってはイギリス・デビュー戦であった。予選で日本製マシンをフロントローに導いたアメリカ人ドライバーのギンサーは、オープニングラップのストウコーナーまで先頭を走った。以降はジミーの独壇場、彼のロータスは終盤油圧の低下でスローダウンしたが、ジェントルタッチで知られる彼はマシンをいたわりながら最後まで走り切り、グラハム・ヒルのBRMを下した。

表彰台でほほえむハント © Sutton Images
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【1977年:ハント、母国で圧勝】

ここでの成功はジェームス・ハントにとってキャリアの転機になると考えられた。前年に彼をタイトルに導いたユーザーフレンドリーなM23ではなく、トリッキーなマクラーレンM26をドライブしていたということもある。確かに、序盤では水平対向アルファロメオ・エンジン搭載、ブラバムBT45のジョン・ワトソンに先を行かれたが、この好パフォーマンスは燃料のピックアップトラブルで損なわれてしまい、ブレーキトラブルを抱えたニキ・ラウダに大差をつけてハントが勝利を飾った。

【1960年:グラハム・ヒルの不運】

レースの大半をグラハム・ヒルのBRMがとてつもない速さで走り続けたことで記憶に残るレースである。口ひげをたくわえたこのイギリス紳士はラスト数周になるまでリードし続けたが、手練手管のジャック・ブラバムにプレッシャーをかけられ、遅いマシンを周回遅れにしようとしてスピン。結局クーパーのブラバムが作戦勝ちした。このレースはヒルの才能を示しただけでなく、グランプリデビューで見事2位に入ったジョン・サーティースも輝かせた。彼はロータス18で自分より経験豊富なイネス・アイルランドより前でチェッカーフラッグを受けている。

【1987年:マンセルの本領発揮】

ウィリアムズ・ホンダ・チーム内のナイジェル・マンセルとネルソン・ピケのライバル関係は1986年、1987年シーズンのハイライトだった。それが頂点に達したのは1987年イギリスGPだ。スタートからピケがリードしたものの、マンセルも負けてはいなかった。だがバランスウエイトが脱落し、フロントホイールにバイブレーションが発生するというトラブルに見舞われる。仕方なくフレッシュタイヤへの交換を決めたマンセルは35周目にピットイン――残りは30周――28秒まで開いていたピケとの差を埋めることは不可能だと誰もが思った。だが彼はそれをやってのけた。さらにラスト2周、ストウコーナーでピケの裏をかき、時速288kmで鮮やかに彼を抜き去り、勝利を奪った。

【1983年:チャンピオンシップに名乗りを上げたプロスト】

アラン・プロストは1983年のチャンピオンシップに勝つことはできなかったが、灼熱のコンディションに見舞われたシルバーストーンでルノーRE40を駆り、序盤にフェラーリのパトリック・タンベイとルネ・アルヌー、ブラバムBMWのネルソン・ピケを退けた彼の速さや才能に人々はくぎ付けとなった。マンセルもまたこのショーのスターの1人で、新車ロータス94Tのデビュー戦で4位に入る活躍を見せた。

【2000年:クルサード最良の日】

この年は週末の豪雨で駐車場が水浸しになってしまった。レース序盤をリードしたのはフェラーリの新たなナンバー2、ルーベンス・バリチェロだったが、やがてミカ・ハッキネンとデビッド・クルサードのマクラーレン・バトルに取って代わる。結局クルサードがF1ベストパフォーマンスの1つといえる走りでハッキネンを約1秒引き離して勝利。フェラーリのミハエル・シューマッハが3位に入り、ウィリアムズBMWの弟ラルフが続いた。

【2008年:真価を証明したハミルトン】

予選は4番手に終わったマクラーレンのルイス・ハミルトンだったが、オープニングラップ、ずぶ濡れのコプスコーナーに集団で飛び込み、直ちにチームメイトのヘイキ・コバライネンに続く2番手に浮上。その後5周目の半ば、ストウでチームメイトを抜いてトップに立ち、これでレースはほぼ決着した。ハミルトンはその後のレースを完全に支配し続けた。

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Alan Henry Close
Alan Henry is a journalist at the Guardian and author Alan has been reporting on F1 since 1973 since when he has covered more than 600 Grands Prix and written more than 40 books on motorsport subjects. Currently a columnist for the Guardian and Autocar, he has edited the prestigious AUTOCOURSE annual for 20 years and contributed to a wide variety of publications across the world