イギリスGPの歴史はヘンリー・シーグレーブが最初のレースを開催した1926年にさかのぼる。シーグレーブは1923年のフランスGPで勝利しており、これを機に興味が高まってのことだった。ブルックランズで行われた第1回イギリスGPを制したのはドラージュ155Bをシェアしたルイ・ワグナーとロベール・セネシャルからなるフランスチーム。完走したのはたった3台だった。

1950年にF1世界選手権が始まるとイギリスが最初のグランプリの地に選ばれ、シルバーストーンの飛行場を利用したサーキットが理想的な舞台を提供した。このレースで記念すべき勝利を飾ったのはアルファロメオを駆ったニノ・ファリーナだ。

シルバーストーンでは1955年までレースが実施され、その後はエイントリーと交互開催になった。1961年と1962年にエイントリーが2年連続で会場となったのを最後に、以降はシルバーストーンとブランズハッチがイギリスGPの開催地を務め、1987年からはシルバーストーンが単独でその任に就いている。

1991年に手直しされるまでシルバーストーンはF1カレンダーでも最も高速なサーキットの一つだった。1982年のチャンピオン、ケケ・ロズベルグが1985年に時速160.92マイル(時速258.983km)という平均速度を記録したのちに築いた予選ラップレコードは16年間破られることはなかった。

F1におけるイギリスの存在は大きく、レースは母国ドライバーの勝者を多く生み出している。中でも注目すべきは1962年から1967年にかけて5回の優勝を決めたジム・クラークだ。イギリスで人気のナイジェル・マンセルは4度優勝しており、デビッド・クルサードとジャッキー・スチュワートが2度、そしてデイモン・ヒルやルイス・ハミルトンを含む6名のイギリス人ドライバーがここでの勝利を経験している。スターリング・モスは自らの手で1955年に、そしてトニー・ブルックスとマシンをシェアして1957年に表彰台の頂点に上った。

2003年、コースの改修についてサーキットのオーナーであるブリティッシュ・レーシング・ドライバーズ・クラブ(BRDC)とFIAの間で議論が起こる。バーニー・エクレストンが要求するレース開催費の支払いをBRDCが拒んだことから、2004年10月には2005年暫定カレンダーからイギリスGPの名が消えた。後に一連の交渉を経て合意に至り、シルバーストーンで2009年までイギリスGPが行われることになった。

2010年からのイギリスGPの契約はドニントン・パークが結ぶ。ドニントンでのF1レースは1993年のヨーロッパGP以来になることから、最新のF1標準にするために1億3,500万ポンドを要する大掛かりな改修が必要になった。しかし、2009年10月になってドニントン・ベンチャーズ・レジャー・リミテッド(DVLL)は資金集めに失敗し、レース開催が不可能になったことを明らかにしている。

結局、2010年以降も改修を経たシルバーストーンでイギリスGPが継続され、同サーキットはさらに施設を拡大する20年計画を打ち立てている。