フォース・インディア

2009年にフォース・インディア初の表彰台をもたらしたジャンカルロ・フィジケラ © Getty Images

FIAによってチームの改名が認められたため、現体制下でのフォース・インディアは2008年のF1デビューとなっているが、チームの起源は1991年にまでさかのぼる。

元々はジョーダン・グランプリとして活動していたものの、オーナーのエディ・ジョーダンが2005年シーズンに先だってミッドランド・グループに売却、ミッドランドF1レーシングが誕生したが、オーナーシップ変更から1年とたたずして同シーズン半ばに自動車会社スパイカーによるチーム買収が発表され、ミッドランドの短いF1活動が幕を閉じる。しかし、スパイカーも財政難により、たった1年でチームを手放すことに。買収価格は元値より高い8,800万ユーロ(約143億円/当時)だった。所有権はインドの億万長者ビジェイ・マルヤと、元々チームの役員だったミシェル・モル率いる『Orange India Holdings(オレンジ・インディア・ホールディングス)』にわたっている。

チーム名とマシンカラーを除けば、2008年シーズンに登場した同チームに大きな変化はなかった。コリン・コレスが引き続きチーム代表を務め、F1ディレクターにモル、最高技術責任者にマイク・ガスコインが就任。ポイントを手にすることなく2008年シーズンを終えたフォース・インディアのハイライトと言えば、結果的にはチェッカーを受けることなく、トンネル出口でフェラーリのキミ・ライコネンに衝突されて無念のリタイアだったが、トリッキーなコンディションの中、エイドリアン・スーティルが一時4番手を走る活躍を見せたモナコGPだろう。

2年目を迎えるにあたって、首脳陣にテコ入れを施したフォース・インディアはマルヤがチーム代表を兼任することになった。エンジンサプライヤーとしてメルセデスと契約したものの、シーズンが始まって11レースを終えてもポイントを獲得できずにいた。

そんなフォース・インディアの転機はベルギーで訪れる。予選でポールポジションを獲得する快挙を成し遂げたジャンカルロ・フィジケラがレースでも2位チェッカー、チームに初のポイントのみならず初表彰台をもたらした。チームの躍進はこれにとどまらず、続くイタリアGPではスーティルが4位でフィニッシュし、5ポイントを加えている。シーズンを通して13点を獲得したフォース・インディアはトロ・ロッソを抑えてランキング9位で2009年を締めくくった。

2010年も同様にトップスピードが重要なサーキットで強さを見せる。スーティルが2度達成した5位フィニッシュが最高到達点だったものの、円熟味を増したマシンによってチームはコンスタントに得点を挙げ、コンストラクターズチャンピオンシップでは6位のウィリアムズまでわずか1ポイントまで迫った。

翌年にはすべてのサーキットでポイントを獲得すべく、より一貫性のあるマシン作りに取り組む。開幕当初はスピードに欠けていたとは言え、優れたベースラインを備えたVJM04は月日とともに進歩し、ランキング5位のルノーに肉薄している。

2012年には前年度のリザーブドライバーだったニコ・ヒュルケンベルグがレースドライバーへ昇格を果たし、長年チームに所属したスーティルがフォース・インディアを去った。ディ・レスタとヒュルケンベルグの安定した走りによって数多くの入賞を決めるも、選手権の順位は中団チームでトップクラスの存在感を示したザウバーに敗れて7位に終わる。

最終戦ブラジルGPで一時ラップリーダーに立つという輝きを見せたヒュルケンベルグは2013年に強敵ザウバーへ移籍し、それと入れ替わりでスーティルが古巣に帰還した。スーティルとディ・レスタの健闘で順調なすべりだしとなったが、シーズン中のタイヤ変更が悪い方向に影響し、マクラーレンを抑えてランキング5位を死守するとの目標は果たせず。翌年はドライバーラインアップを一新し、ザウバーから戻ってきたヒュルケンベルグとセルジオ・ペレスの2人を迎えた。

エンジンレギュレーションが変更された2014年はメルセデスパワーの優勢が顕著になり、いきおいフォース・インディアにも追い風が吹いた。ヒュルケンベルグがシーズン初戦から10戦連続入賞を果たしたほか、第3戦バーレーンGPではペレスが3位表彰台へ。結果としては前年と同じコンズトラクターズ選手権6位ながらも、入賞回数やポイントにはっきりとした進歩が表れていた。

一方でフォース・インディアも小規模チームが立たされている経済的苦境と無縁ではなく、財政難のうわさが広くささやかれる中で2015年に向けた準備作業に遅れが生じる。新車が走行できたのは3回のプレシーズンテストが最終回に入ってからで、出遅れを挽回しようと奮闘するヒュルケンベルグとペレスはマシンの大幅アップデートに期待をかけた。長く待たれたBスペックマシンが第9戦イギリスGPでデビューして以降は特にペレスの活躍が大きく、フォース・インディアは順調に得点を集めてランキング5位でシーズンに幕を引いた。2015年の成果を足がかりにさらに上を目指すフォース・インディアは、新シーズンもペレスとヒュルケンベルグのラインアップをキープしている。

2016年に入ってもフォース・インディアは良い意味での変化を続け、小規模ながらも巧みに運営されたチームは21戦中18戦でポイントを獲得。それを舞台裏で支えたのがアンドリュー・グリーン率いる技術陣であり、トヨタがケルンに構える風洞やCFDを用いた開発プログラムに力を入れたことがチームに実りをもたらしている。2016年の成功は第5戦スペインGPで投入したチームが"Bスペック"と呼ぶ大幅アップデートによるところが大きく、もう少し運に恵まれていれば序盤にもさらにポイントを重ねられたはずだが、ともあれアップデートに後押しされたフォース・インディアはウィリアムズを抑えてトップ3に次ぐコンストラクターズ選手権4位でこの年を締めくくった。シーズン終盤に入ってヒュルケンベルグのルノー移籍が明かされた後、フォース・インディアは2017年にペレスのチームメイトとしてマノーからエステバン・オコンを迎えることを発表している。

新たなラインアップで上位勢の仲間入りを目指した2017年は、シーズン第6戦モナコGPを除く全てのレースでポイントを獲得。ランキングは前年と同じく、メルセデス、フェラーリ、レッドブルに次ぐ4位だった。この数字だけ見れば順調と言っていい1年だったが、コース上では新コンビのペレスとオコンの間に激しいバトルが繰り返し生じ、取れるはずだったポイントが失われている。それまで自由な競争を許してきたフォース・インディアも、シーズン中盤にはチーム内バトルを禁じる方向へ転換。チーム首脳陣は2人のマネジメントに手を焼く一方、その能力を評価もしており、シーズン第14戦シンガポールGPの期間中に翌シーズンもペレスとオコンのコンビを継続することが明らかになった。また、この年にはインドに限らず世界中の潜在的なスポンサーに訴求すべく、チーム名変更に向けた動きが始まっている。目指していたランキング3位には届かなったものの、限られた予算の中で"ベスト・オブ・ザ・レスト"であることを証明した。

前年の勢いを継続しトップ3チームに迫りたい2018年シーズンは、予想外の不振から始まった。序盤の3戦で獲得できたのはわずかに1ポイント、荒れた展開となった第4戦アゼルバイジャンGPでペレスが3位で表彰台に乗ったものの、その後もマシントラブルやアクシデントが続き、チームとして200戦目となる第9戦オーストリアGPでようやくダブル入賞を果たした。マシンに前年ほど競争力が無いことは明らかだった。チームに深刻な資金難のうわさが流れるようになり、5月にはチーム共同オーナーで法的問題を抱えるビジェイ・マルヤがマネジングディレクターの座を退いた。そして7月、ペレスが未払い分の報酬を求めて法的措置を取ったことによってチームは破産手続きに追い込まれた。ペレスによると、これはチームを管財人の手に委ね、働く人々や資産を保全し、チームを解散させることなく買い手を探してもらうために行動を起こしたという。

そんなチームに救世主が現れた。ウィリアムズドライバーのランス・ストロールの父親ローレンス・ストロール率いる投資家のコンソーシアムが債権者への支払いを約束し、新たなチームオーナーとなったのだ。チーム名が「レーシング・ポイント・フォース・インディア」となり新規エントリー扱いとされたため、それまでに獲得していたコンストラクターズポイント59を失った。オトマー・サフナウアーが新たにチーム代表兼CEOに就任し、新体制で迎えた第13戦ベルギーGPでは予選で2台ともセカンドローにつけ、レースでも5位と6位という好成績を残す。その後も何度かダブル入賞を果たし、最終的には52ポイントを獲得しランキング7位でシーズンを終えた。10月の時点でペレスの残留が発表され、シーズン終了後にウィリアムズからランス・ストロールが移籍することが正式に発表された。これによりオコンはシートを失い、2019年はメルセデスのリザーブドライバーとなる。