ポール・ディ・レスタ イギリス
- 氏名 ポール・ディ・レスタ
- 生年月日 1986年4月16日
- 出身地 イギリス・ウェストロージアン州アップホール
- 年齢 27歳64日
- 身長 1.85 m
- 体重 74 kg
- 現所属チーム フォース・インディア
| # | Grand Prix | Circuit | Date | Car | Pos | Pts | Qual | FL |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | オーストラリア | アルバート・パーク | 3月17日 | フォース・インディア (VJM06) | 8 | 4 | 9 | |
| 2 | マレーシア | セパン | 3月24日 | フォース・インディア (VJM06) | - | 15 | ||
| 3 | 中国 | 上海 | 4月14日 | フォース・インディア (VJM06) | 8 | 4 | 11 | |
| 4 | バーレーン | サヒール | 4月21日 | フォース・インディア (VJM06) | 4 | 12 | 5 | |
| 5 | スペイン | カタロニア | 5月12日 | フォース・インディア (VJM06) | 7 | 6 | 10 | |
| 6 | モナコ | モナコ | 5月26日 | フォース・インディア (VJM06) | 9 | 2 | 17 | |
| 7 | カナダ | モントリオール | 6月9日 | フォース・インディア (VJM06) | 7 | 6 | 17 |
| Year | Car | Race | Start | Won | Pod | Class | Best | Pole | Front | Best | Lap | Hat | Pts | Pos | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2011 | Force India | 19 | 19 | 0 | 0 | 18 | 6 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 27 | 13 | ||||
| 2012 | Force India | 20 | 20 | 0 | 0 | 19 | 4 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 46 | 14 | ||||
| 2013 | Force India | 7 | 7 | 0 | 0 | 6 | 4 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 34 | 8* | ||||
| Total | 46 | 46 | 0 | 0 | 43 | 4 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 107 |
| グランプリ | サーキット | 開催日 | ||
|---|---|---|---|---|
| デビュー戦 | オーストラリアGP | アルバート・パーク | 2011年3月27日 | レース結果 |
| ラストレース | カナダGP | モントリオール | 2013年6月9日 | レース結果 |
これまで幾度もF1にふさわしいことを証明するも、スポンサー不足を主な理由として、なかなか最高峰には到達できずにいたポール・ディ・レスタだが、ついに念願だったF1のレースシートを手に入れた。
8歳からスコットランドでカートを初め、頭角を現した彼は、いとこであり2度のインディカーチャンピオンに輝いたダリオ・フランキッティと同じ道を歩き始めた。16歳でフォーミュラ・ルノーUKにステップアップすると、初の選手権フル参戦を果たした2003年にレース初優勝。2年目のシーズンも勝利を重ね、2005年にF3ユーロシリーズでシートを得ると、ルイス・ハミルトン、エイドリアン・スーティル、セバスチャン・ベッテルらと競い合う。ルーキーイヤーは10位という結果だったが、ハミルトンが前年に所属したチャンピオンチームに移籍した2006年は、未来のF1のライバルとなるベッテル、小林可夢偉、中嶋一貴、セバスチャン・ブエミ、ロマン・グロージャンらを従えて堂々のタイトルを獲得。ハミルトンらと同様、F1昇格を果たす資格は十分だったにもかかわらず、彼のキャリアは違う方向へそれていってしまう。
GP2でのシート獲得に必要なスポンサーシップをまとめられなかったディ・レスタは、メルセデスが示したドイツ・ツーリングカー選手権(DTM)のオファーを受ける。2年落ちのマシンに乗りながらもすぐに速さを示した彼は総合ランキングを5位で終えている。2008年は最新のCクラスを与えられて2勝し、王座を獲得したアウディのベテラン、ティモ・シャイダーに4ポイント差まで詰め寄った。このパフォーマンスを認められたディ・レスタは、シルバーストーンで4日間、マクラーレンのテストに参加する機会を与えられた。
マクラーレンに好印象を与えることは成功したものの、F1シートに空きはなく、2009年もDTMに舞い戻るしかなかったディ・レスタ。この年はメルセデスのチームメイト、ゲイリー・パフェットに次ぐ3位に終わったが、ディ・レスタは次第にF1で永続的なポジションを得たいとの思いを募らせていく。メルセデスとのつながりで冬の間にフォース・インディアからテストの機会を与えられ、堅実なパフォーマンスをみせた彼は、チームとリザーブドライバー契約を締結。レース週末はたびたび金曜日のテストを担当しながら、DTMでも戦い続けた。2つのカテゴリーに籍を置いてのシーズンだったにもかかわらず、DTMのタイトルを勝ち取っている。
金曜フリー走行で大きな見出しを飾ることはなかったものの、チームに印象を与えた結果、2011年のレースシートを確保するのではないかとのうわさがささやかれ続けた。数カ月後、ビタントニオ・リウッツィがチームを離れ、ディ・レスタがその後任に就くことが発表される。プレシーズンテストでは新たに採用されたピレリタイヤや新車に慣れつつ、マシン開発に貢献した。
その後、オーストラリアでシーズンが開幕すると、ディ・レスタはデビュー戦で早くもポイントを獲得。マシンペースは中団のライバルたちに劣っていたものの、改善とともにディ・レスタは力を発揮し、開幕戦に加えてさらに7回のポイントフィニッシュを達成した。中でもシンガポールGPでは6位入賞を果たしている。
フォース・インディアでの2年目も同様に堅実なシーズンを過ごし、ベストリザルトはこの年もシンガポールで、表彰台まであと一步の4位に入った。しかしながら、シーズン終盤を迎える頃にはチームメイトのニコ・ヒュルケンベルグに押され気味になる。また、ディ・レスタとヒュルケンベルグの両名がルイス・ハミルトンの後任として2013年のマクラーレンドライバー候補と目されていたものの、その地位を手にしたのはザウバーのセルジオ・ペレスだった。ディ・レスタは2013年シーズンもフォース・インディアと共に戦う。
【長所と短所】
非常に速いドライバーなのは明らかであり、また過去3シーズンのレースでリタイアは4回のみ。同世代のベッテルやハミルトン、ブエミらと同じレベルのスポンサーが付いていれば、もっと早くにF1入りできたはずだ。
【キャリア最高の瞬間】
2006年のF3ユーロシリーズ・タイトル獲得。このタイトルがそのままF1への道筋を切り開くはずだった。
【キャリア最低の瞬間】
3年連続でDTM残留しか道がなかった2009年。この頃、下位カテゴリーで彼が倒したドライバーたちは、すでにF1でレースに勝ち始めていた。
【注目のコメント】
フォース・インディアとのリザーブドライバー契約が決まって。
「もしも、レースシートを手にするチャンスが訪れた時、いつでも出られるように万全の態勢を整えておくためにも、これが最適なプログラムだと思う。フォース・インディアとの末永い未来の始まりであることを願っているよ」
【トリビア】
レーシングキャリアとはまた別に、ディ・レスタには家族の経営するレジャー会社の取締役という顔がある。会社はウェスト・ロジアンにいくつかの施設を所有しており、地元で人気のナイトクラブ、『Twig(ツイッグ)』もそのひとつ。
-
チームとの関係は良好とディ・レスタ (2013年6月11日)
-
フォース・インディアのガレージで殴り合い (2013年6月10日)
-
戦略がはまったとディ・レスタ (2013年6月10日)
-
チームのミスに怒るディ・レスタ (2013年6月9日)
- 批判を黙らせたフォース・インディア (2013年6月4日)
|
2013年6月9日 マルドナドの前を走るディ・レスタ © Sutton Images |
2013年6月8日 コックピットで待機するディ・レスタ © Sutton Images |
2013年6月7日 グランドスタンドを通過するディ・レスタ © Sutton Images |
||

