エイドリアン・スーティル ドイツ
- 氏名 エイドリアン・スーティル
- 生年月日 1983年1月11日
- 出身地 ドイツ・シュタルンベルク
- 年齢 30歳132日
- 身長 1.84 m
- 体重 75 kg
- 現所属チーム フォース・インディア
- 過去の在籍チーム スパイカー, ミッドランド
| # | Grand Prix | Circuit | Date | Car | Pos | Pts | Qual | FL |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | オーストラリア | アルバート・パーク | 3月17日 | フォース・インディア (VJM06) | 7 | 6 | 12 | |
| 2 | マレーシア | セパン | 3月24日 | フォース・インディア (VJM06) | - | 8 | ||
| 3 | 中国 | 上海 | 4月14日 | フォース・インディア (VJM06) | - | 13 | ||
| 4 | バーレーン | サヒール | 4月21日 | フォース・インディア (VJM06) | 13 | 6 | ||
| 5 | スペイン | カタロニア | 5月12日 | フォース・インディア (VJM06) | 13 | 13 |
| Year | Car | Race | Start | Won | Pod | Class | Best | Pole | Front | Best | Lap | Hat | Pts | Pos | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2007 | Spyker | 17 | 17 | 0 | 0 | 10 | 8 | 0 | 0 | 19 | 0 | 0 | 1 | 19 | ||||
| 2008 | Force India | 18 | 18 | 0 | 0 | 7 | 13 | 0 | 0 | 16 | 0 | 0 | 0 | - | ||||
| 2009 | Force India | 17 | 17 | 0 | 0 | 13 | 4 | 0 | 1 | 2 | 1 | 0 | 5 | 17 | ||||
| 2010 | Force India | 19 | 19 | 0 | 0 | 15 | 5 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 47 | 11 | ||||
| 2011 | Force India | 19 | 19 | 0 | 0 | 17 | 6 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 42 | 9 | ||||
| 2013 | Force India | 5 | 5 | 0 | 0 | 3 | 7 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 6 | 13* | ||||
| Total | 95 | 95 | 0 | 0 | 65 | 4 | 0 | 1 | 2 | 1 | 0 | 101 |
| グランプリ | サーキット | 開催日 | ||
|---|---|---|---|---|
| デビュー戦 | オーストラリアGP | アルバート・パーク | 2007年3月18日 | レース結果 |
| ラストレース | スペインGP | カタロニア | 2013年5月12日 | レース結果 |
エイドリアン・スーティルはレースキャリアのスタートが比較的遅かったドライバーだ。カートを始めたのは14歳の時で、すぐにスイスのフォーミュラ・フォードに参戦。全12戦でポール・トゥ・ウインという圧倒的な速さを見せる。その後に挑んだフォーミュラBMWでは大きな成功を収められなかったが、F3ユーロシリーズでは本領を発揮。チームメイトのルイス・ハミルトンと切磋琢磨(せっさたくま)した結果、2005年シーズンのランキング2位に入った。2006年にはMF1のテストドライバーとなり、F1ドライブを経験した。
2006年は全日本F3選手権に参戦し、タイトルを獲得。翌年にはMF1からスパイカーに名前を変えたチームのレースシートを勝ち取り、F1デビュー。初戦では17位だったが、前年に慣れ親しんだ富士スピードウェイで行われた日本GPでは、予選20番手から8位入賞を果たしている。その年で消滅したスパイカーにとっては、スーティルがもたらした1点が生涯唯一の獲得ポイントとなった。
2007年オフ、スパイカーはインド人大富豪のビジェイ・マルヤに買収され、チーム名がフォース・インディアと改まる。スーティルは引き続きレースシートを確保したが、2008年はポイント獲得ならず。11戦でリタイアを喫した。
しかし2009年になるとマシンパフォーマンスが高まり、速さを見せるようになったスーティル。モンツァではマクラーレンのハミルトンに次ぐ予選2番手につける大躍進。期待されたレースでは初めての表彰台を逃すも、自己最高位となる4位入賞を果たした。
ブラジルGPでも予選3番手からレースに挑んだが、オープニングラップでヤルノ・トゥルーリ(トヨタ)と接触。その後、フェルナンド・アロンソ(ルノー)を巻き込んでリタイアとなり、トゥルーリはクラッシュの原因がスーティルにあるとして一方的に責め立てた。しかしレーススチュワードはスーティルに何のおとがめも与えず、代わりにトゥルーリにペナルティが科されている。
2010年は自らのポテンシャルを発揮し、合計で47点を獲得。チームメイトだったビタントニオ・リウッツィを上回り続けた。しかしながら、韓国GPではバリアや他車と危機一髪の瞬間が何度も見られ、無謀ともとれる走りで再びスーティルのレース技術に疑問符が灯る。
それにもかかわらず、フォース・インディアは2011年もスーティル続投を決断。これにより、スーティルは名前やオーナーは違えど、同じチームで5年目のF1シーズンを迎えた。見栄えはしないにしても堅実なスタートを切ったスーティルはラスト3戦で14ポイントを獲得し、力強い形で1年を締めくくる。とは言え、その結果もレースシートを維持するには十分ではなく、2012年はニコ・ヒュルケンベルグと交代する形でグリッドから去った。
しかしながら、それから1年でヒュルケンベルグがザウバーへと移籍することが決まり、フォース・インディアは空席を埋めるドライバーを探すことになる。その候補に挙がったのはスーティルと前年にチームのテストドライバーを務めたジュール・ビアンキだった。第2回プレシーズンテストに両者が参加した後、最終的にレースドライバーに選ばれたスーティルは、ポール・ディ・レスタと再びコンビを組んで新たなシーズンに臨む。
【長所と短所】
生まれ持った才能により、予選アタックでは印象的な走りを見せるスーティル。たとえ競争力が低いマシンであっても、驚くようなポジションを手にすることも多い。しかし特に2009年シーズンは接触シーンが多く、一部では危険なドライバーというレッテルをはられてもいた。
【キャリア最高の瞬間】
2009年イタリアGPでは、F3時代のチームメイトで親友のハミルトンと共にフロントローに並んだ。レースでもファステストラップをマークし、自己最高位となる4位入賞を果たしている。
【キャリア最低の瞬間】
2008年モナコGPで18番手からスタートしたスーティルは、混乱に乗じて4番手まで浮上。しかし、後ろを走っていたキミ・ライコネンがトンネル直後のシケインでブレーキングミスすると、そのままスーティルと接触。スーティルのマシンは大きなダメージを受け、ピットに帰還してリタイアを喫している。これにはスーティル本人だけでなく、フォース・インディア初ポイントを期待していたチームスタッフも大きな落胆に暮れていた。
【注目のコメント】
エイドリアン・スーティル
「自分に何ができるかはコース上で証明したいんだ。自分自身がもっとやれると分かっているのに、いつも後方で戦うというのは本当に辛い。自分の力を証明したいけど、マシンがそれを許してくれないんだ」
コリン・コレス(元スパイカー代表)
「彼は才能ある若きドライバーだが、マシンパフォーマンスについてはわれわれの能力を現実的に受け止めなければならない。常にマシン改良に努めているが、彼が最高のチームや最高のドライバーと戦うためには、彼により良いものを提供しなければならないのだ。エイドリアンは将来有望。いずれ、コース上でルイス・ハミルトンの大きなライバルになるものと信じているよ」
【トリビア】
父ホルヘ・スーティルはウルグアイ出身のバイオリニストだ。スーティル自身も幼いころからピアノの英才教育を受けており、カートに出会うまでは父と同じ音楽家というキャリアをまい進するつもりだった。
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2013年5月23日 並んでヘアピンを走るウェバーとスーティル © Getty Images |
2013年5月12日 最終シケインを攻めるスーティル © Sutton Images |
2013年4月19日 ピットに戻ってきたスーティル © Getty Images |
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