フェラーリのモータースポーツに対する情熱はその歴史の始まりにまでさかのぼる。1950年に初参戦を果たしたフェラーリのF1参戦歴は最長を誇っている。多くの主要自動車メーカー系チームが撤退していく中、F1参戦60周年を迎えたフェラーリは2010年もF1活動を継続すると明言した。

フェラーリのF1初勝利は1951年イギリスGPで、ドライバーはホセ・フロイライン・ゴンザレスだった。翌年にはアルベルト・アスカリがドライバーズタイトルを獲得し、さらにその1年後にも世界王者の称号を手にしている。また、フェラーリが初めてコンストラクターズ制覇を成し遂げたのは1961年のこと。チームを王者へと導いたフィル・ヒルがドライバーズ選手権でも優勝した。以来、フェラーリは16度のコンストラクターズチャンピオンに輝いている。

1964年、ジョン・サーティースによってフェラーリに2度目のタイトルがもたらされる。彼は2輪と4輪、両方のチャンピオンシップに勝利した唯一の人間としても有名だ。

その後、フェラーリがコンストラクターズチャンピオンの座につくまで長い時間がかかったものの、1975年になってようやくチャンピオンシップ3勝目を記録すると、1977年まで3連覇を達成する。2年後、フェラーリに再びタイトルをもたらしたジョディ・シェクターがドライバーズタイトルも手にしたが、次にフェラーリから世界王者が生まれたのは21年もの時間が経過したあとだった。1982年と1983年に再びコンストラクターズ選手権タイトルを獲得したフェラーリだが、ライバルであるマクラーレンやウィリアムズの支配から抜け出せず、長い低迷期に入る。

苦しい時期を乗り越え、1999年に久々の王冠を手に入れたフェラーリは2004年まで圧倒的な支配力を誇った。これがシューマッハ時代と呼ばれるフェラーリの黄金期だ。ミハエル・シューマッハは2000年から2004年までドライバーズ選手権を5連覇する。勢いが止まったのは2005年。新レギュレーションへの調整に苦戦したフェラーリはランキング3位でシーズンを終えた。一年後、シューマッハが引退し、新たな時代に突入したフェラーリ。マクラーレンのスパイ騒動がぼっ発した2007年はマクラーレンのポイントがはく奪され、コンストラクターズ選手権から除外されたこともあり、フェラーリがコンストラクターズタイトルを手中に収めている。また、最終戦ブラジルGPまでもつれたドライバーズ選手権はシューマッハの後任として同年からフェラーリに加入したキミ・ライコネンが制した。

2008年シーズンを通して8勝を挙げたフェラーリは最大のライバルであるマクラーレンに21ポイント差をつけてコンストラクターズ選手権16勝目を記録。フェリペ・マッサは勝利数でマクラーレンのルイス・ハミルトンを上回ったが、わずか1点差で世界王者の称号はハミルトンの手にわたった。

大幅なレギュレーション変更が課された2009年、フェラーリは前半戦から大苦戦を強いられる。新生ブラウンGPやレッドブルに先行を許し、序盤10レースで未勝利、第6戦モナコGPでライコネンが3位フィニッシュを果たすまで表彰台にすら上れなかった。それでも、マッサが3位でチェッカーを受けたドイツGPから調子自体は向上する。しかし、復活劇が期待されたハンガリーGP予選で他車から脱落した部品がマッサの頭部を直撃、意識を失ったマッサはそのままウオールに激突する大クラッシュを喫した。 当然ながら、以後のマッサの参戦は見送られたが、注目が集まったのはその後任ドライバー。1週間ほどさまざまなうわさが駆け巡った後、フェラーリは究極の選択を決断する。マッサが回復し、前線に復帰できるまでミハエル・シューマッハを現役復帰させると発表したのだ。しかしながら、それから2週間後、2009年2月に負った首のケガの回復が芳しくないとの判断から、シューマッハの復帰は夢と消えた。

最終的に臨時のレースドライバーとしてフェラーリのマシンに乗り込んだのはテストドライバーのルカ・バドエル。最後にF1で戦ってから10年を経てのレース復帰だったバドエルは与えられたチャンスで思うようなパフォーマンスを発揮できず、わずか2戦で交代させられる。次にコックピットに収まったのはフォース・インディアから引き抜かれたジャンカルロ・フィジケラだった。バドエル同様、ドライビングの難しいマシンに苦戦したものの、フィジケラはシーズン最終戦までレースドライバーを務めている。F1参戦60周年の記念年をチャンピオンシップ4位で締めくくった。

2010年シーズンに先だって、フェラーリはライコネンとの契約を予定より1年早く打ち切り、フェルナンド・アロンソを起用すると発表。復活を目指す跳ね馬はケガから復帰するマッサと、アロンソの新コンビで次のシーズンに挑む。

跳ね馬ドライバーとなったアロンソは早速その存在感を発揮、移籍後初戦となる開幕戦で3番グリッドから優勝を決めてみせた。アロンソはマッサをしのぐナンバー1ドライバーの地位を確立しつつ、ポイントリーダーとして最終戦アブダビに臨む。条件はアロンソに有利だったが、戦略ミスの影響を受けて7位に沈み、セバスチャン・ベッテルの逆転優勝を許してしまった。チームとしてのランキングはレッドブルとマクラーレンに次ぐ3位に終わっている。

2011年はライバルのレッドブルやマクラーレン勢に押され、第9戦イギリスGPでのアロンソの勝利がこのシーズン最初で最後の勝利だった。アロンソがチャンピオンシップ4位、マッサが同6位だったこの年、フェラーリは前季と同じくランキング3位でシーズンを締めくくっている。

今度こそ巻き返しを図りたいと意気込んで臨んだ2012年も、プレシーズンテストの段階からフェラーリの戦闘力の低さが浮き彫りとなる。苦戦が予測される中、雨で波乱の展開となった第2戦マレーシアGPを制したアロンソはシーズン中盤までにランキングトップの位置まで巻き返す。レッドブルとのドライバーズタイトル争いはシーズンフィナーレに持ち込まれるも、3ポイント差でまたもやベッテルに軍配が上がった。

2013年は長年のライバルであるマクラーレンが不調に陥る一方で、前年度よりもはるかに良い状態で開幕を迎えたフェラーリだったが、なおもレッドブルの優勢が続く。さらにはメルセデスやロータスといったチームが力をつけたために、フェラーリは激しい2位争いの渦中に。シーズン半ばにして常にうわさの絶えなかったマッサ放出が明らかになり、2013年シーズンを3位で終えたフェラーリは翌年に備えてアロンソとライコネンというチャンピオンコンビを用意している。