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ピーター・ゲシンが永眠

Jim
2011年12月6日 « FOTAの存在は"不可欠"とハウグ | FIAの"ぶれ"を批判するザウバー代表 »
グランプリ史上でも大接戦のレースを制したピーター・ゲシン © Sutton Images
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かつて、マクラーレンとBRMのドライバーとして活躍したピーター・ゲシンが長期間の闘病を経て71歳で永眠した。

ゲシンといえばBRMから参戦したモンツァが舞台の1971年イタリアGPを制したことで有名。スリップストリームを使ってゲシンが勝ち得たレースは2位のロニー・ピーターソンとわずか0.01秒差、しかもトップ5が0.6秒差以内でゴールする史上まれに見る大接戦だった。生涯唯一の勝利となったこのレースでゲシンはファイナルラップを4番手で迎えたため、一度もラップリーダーにならずF1レースを制した唯一のドライバーである。

1,000ギニーやコロネーション・ステークスの両レースを制したこともあるジョッキー、ケン・ゲシンの息子としてイギリスのエプソムに生まれたピーター・ゲシン。1960年代前半にブランズハッチでロータス7を駆りキャリアをスタートさせた後、ロータス23を購入して1964年のガーズ選手権を制している。ピアス・カレッジやジョナサン・ウィリアムズとしのぎを削ったイギリスF3で注目を浴び始めた頃は20代後半に入っていた。その後、F2のグランプリで2位に入り、1969年にはチャーチ・ファーム・レーシングと共にF5000を戦っている。

1969年と1970年にF5000選手権で優勝したゲシンはカナディアン-アメリカン・チャレンジカップ、通称カンナム(Can -Am)に参戦してマクラーレンに勝利をもたらしている。これがF1ドライブのチャンスにつながり、創設者ブルース・マクラーレンの死を受けてドライバーに指名された。出走した12戦中のベストリザルトは6位。BRM移籍後は2レース目にして勝利を収めた。これが唯一の表彰台でもある。

ゲシンが最も落ち着いていたのはF5000の舞台。1973年のレース・オブ・チャンピオンズではF1マシン勢をシェブロンで打ち破っている。翌年はオーストラリアとニュージーランドで行われたF5000タスマン・シリーズに出走、1974年のタイトルを獲得すると共に、F1でもスポット参戦を果たすもリタイアに終わった。ゲシンがグリッドに並んだ最後のF1レースだった。

レース生活から退いたゲシンはマネジメントする側にまわり、1984年にはトールマンのチームマネジャーを務めている。2年後、F3000に活動の場を移してピーター・ゲシン・レーシングを立ち上げ、後にグッドウッドにドライビングスクールも開校した。

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