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  • チームメイト間に友情は成立するのか

特集:1957年イギリスGP

Laurence Edmondson / Me 2011年11月10日
1957年、エイントリーでジョイント優勝を喜び合うモスとブルックス © Getty Images
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昨年、イギリスGP最初のプラクティスセッションが始まる4日前のこと、イベントのスポンサーがグレート・オーモンド・ストリート病院でルイス・ハミルトンとジェンソン・バトンの記者会見を開いた。私(ローレンス・エドモンドソン)を含め、集まったジャーナリストは15人ほど。それぞれに自分の紙面やウェブサイト用の特ダネを探しにきていた。大きなネタをつかめば、もしかしたらワールドカップのコラムを食うことだってできるかもしれない。

まず部屋の左側から質問が飛び、2人の仲を徹底的に追究する。"マクラーレン内のハーモニーが破れ、激しい争いが勃発しようとしているのではないか?"だが効果はない。ハミルトンは得意顔でいつものフレーズを披露する。2人は優れた役者で、本当はお互いのことが大嫌いなのだと――そして彼らは小学生のように顔を見合わせてクスクス笑うのだった。これでは記事にもならない。すでに何度も聞かされたコメントだからだ。

今度は部屋の反対側から別の質問が。"デイモン・ヒルがお二人をイソップ物語のウサギ(ハミルトン)とカメ(バトン)に例えたのをご存じですか?"だがまたも成果なし。クスクス笑いは続き、質問は受け流されてしまう。

結局、われわれは欲求不満を抱えたまま会場を離れることになった。ワールドカップに対抗できるような特ダネはなく、ドライバーたちは公式見解を繰り返すだけ。それにしても信じがたいのは、同年代、同じ職業でよく似た経験をしてきた2人の青年が本当に親友になどなれるものだろうか。

時間を1週間ほど巻き戻そう。私はスターリング・モス卿とリラックスしたインタビューに臨んでいた。私たちは紅茶を飲みながら彼のコラムについて打ち合わせを終えたところで、話題はエイントリーでの1957年イギリスGPに移った――彼が母国では一番好きだったというレースだ。これはなかなか珍しい選択で、ヴァンウォールのチームメイト、トニー・ブルックスとモスが2人で1台のマシンを駆り、分かち合った勝利だった。だがあの時代は今と状況が違う。モスはジョイント優勝できたことでより大きな満足感を味わったと語った。

「決して優れたサーキットだったわけはないんだ。だが、イギリスのマシンが世界選手権レースで初めて勝った瞬間だった。それをファンタスティックなドライバーであるトニー・ブルックスと共有できたことによって、感動が高まることはあっても削がれることはなかった」

モスはポールポジションを取っていたが、スタートでマセラティのジャン・ベーラに遅れてしまう。当時最も優れた技術を有していた2人は2周にわたって激しくリードを争った。3周目、モスが先頭でラインを通過。もう一台のヴァンウォールを駆るブルックスが3番手、フェラーリのイギリス人コンビ、マイク・ホーソーンとピーター・コリンズが4番手と5番手につけていた。しかしモスのスピードには誰もかなわず、彼はマシンを限界までプッシュして大きなリードを作っていく。

1957年のヴァンウォールを操るモス © Getty Images
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「ヴァンウォールは決して乗りやすいクルマではなかった」とモスは振り返る。「仕事はできたし、タイトルも取った。だが多くの面でマセラティやBRMにさえも届かなかった。BRMは当時それほど良いマシンではなかったものの、後にいいクルマになったと思う。ヴァンウォールの設計者はコーリン・チャップマンで彼のマシンは素晴らしかったが、ジョン・クーパーの作ったマシンのように、ドライバーにとって親切で乗りやすい設計ではなかったのだ」

「クーパーは、フィアットを数台寄せ集めてマシンを完成させてしまう――それなのにいつも乗りやすくて、思い通りに操れるんだ。チャップマンのクルマは違っていた。だが、乗る人が乗れば速かった。たとえばジム・クラークのようなドライバーが乗ればとても速い。とはいえ、決して"コーナーでの感触が最高だ"と思うようなクルマではないんだよ。私はロータスでモナコに勝っているが、マセラティのように楽ではなかった」

1957年よりも1958年の方が深刻だったが、ヴァンウォールが抱えていたもう一つの問題は信頼性。エイントリーでの51周目、モスのマシンはひどいエンジン音を立てながらピットに入ってくる。すぐにベーラがリードを奪い、ヴァンウォールがボンネットの中を調べると、イギリスのファンが最も恐れていたことが現実になった。マシンはもう走れない状態だったのだ。

「確か燃料噴射パイプが壊れていたか何かだったと思う」とモスは記憶をたどる。「そこでコース上のトニーを呼び入れることにしたんだ。彼はル・マンでのクラッシュの後遺症に苦しんでいて、全く本調子ではなかった。レースを続けていたが私がリタイアしたのを見て、本当に安堵した様子でクルマを譲ってくれた。何しろあの頃のレースは(終わるまで)最低3時間かかったからね」

マセラティのベーラはホーソーンを抑え、安全なリードを築いていた。モスは9番手でコース復帰すると追い上げを開始。

「かなり後方での復帰だったが、私は構わなかった。トップを走行中にクルマが壊れると、壊し屋というレッテルを張られる。だが後ろから追い上げている時は壊しても何も言われないんだ。少なくとも巻き返すチャンスは残されていた」

エイントリーの地元ファンはモスに熱狂的な声援を贈った © Getty Images
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彼はそれを有言実行し、チームメイトのスチュワート・ルイス・エバンスの後ろ、4番手まで浮上。ルイス・エバンス自身もデビューシーズンで素晴らしいレースをしていた。だがモスはプッシュしながらも気難しいヴァンウォールを気づかっていた。

「エイントリーはブレーキに非常に厳しいサーキットなので、ディスクに気を配りながら3時間を走り切らねばならなかった。当時としては珍しいことだ。ディスクブレーキは非常に性能が優秀で信頼性に優れた代物だったからね。だがあのレースで私はとても気をつかっていたことを覚えている。ハードに攻めてはいたが、頭の片隅では常にブレーキのことを考えていた」

これは賢明な戦略だった。残り21周となったところで再びモスに有利な展開となる。ベーラのクラッチとフライホイールアセンブリが破裂。コース上にはマセラティのドライブトレーンの残骸が散らばり、そこへ差しかかった2番手のホーソーンはデブリを踏んでタイヤをパンクさせ、順位を落としてしまう。すぐに状況を理解したモスはクリーンにルイス・エバンスを抜いてトップに立った。

ヴァンウォールの堂々たる母国1-2勝利かと思われたが、ルイス・エバンスのスロットルリンケージが故障し、コース脇でドライバー自ら修理を施す中、ポジションを落としていった。モスは、ルイジ・ムッソのフェラーリ、遅れを取り戻したホーソーンを引き連れて悠々とチェッカーを受けた。顔を泥だらけにしたモスとブルックスが2人でトロフィーを掲げる表彰式の様子は今も語り継がれている。

「トニーは本当にいいやつだった。2人のイギリス人が、イギリスのマシンでイギリスGPに勝つというのは素晴らしいこと」とモスが言い終えた時、妻のスージー夫人が部屋に入ってきてインタビューに耳を傾け始めた。すぐにどの場面かを理解した彼女は相づちを打った。

「あの頃の表彰式は今のように素っ気ないものではなかったわ。あるのは敬意だけ」と彼女はほほえむ。「2人は心から互いをたたえ合っていたの。2人で一緒に、チームで手に入れた勝利だったのよ」

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Laurence Edmondson is an assistant editor on ESPNF1

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Laurence Edmondson is deputy editor of ESPNF1 Laurence Edmondson grew up on a Sunday afternoon diet of Ayrton Senna and Nigel Mansell and first stepped in the paddock as a Bridgestone competition finalist in 2005. He worked for ITV-F1 after graduating from university and has been ESPNF1's deputy editor since 2010