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  • 操作された疑惑のレース

特集:1933年トリポリGP

Martin Williamson / Me 2011年10月23日
1933年トリポリGPのポスター © ESPNF1
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幸いなことにレースでの八百長は非常にまれではあるが、1933年トリポリGPはそうした不名誉なイベントの1つとして伝えられている。しかし、行為が実際にあったとする証拠はスポーツにおける大物が大げさに語ったあいまいな記憶だけであり、悪意があってのものではない。

1933年、当時の技術の粋を集めたトリポリサーキットのオープンはモーターレース界に新たな時代の到来を告げるとともに、ベニート・ムッソリーニの壮大な野望を周知し、イタリア領だったトリポリタニアの新総督ピエトロ・バドリオの後押しとなるはずだった。

トリポリでのグランプリは1925年から1930年にかけて開催されていたが、人気は今ひとつで財政は大赤字。にもかかわらずバドリオは新領土の宣伝にレースは不可欠だとムッソリーニを説得し、プロジェクトの支援と資金の一部負担を求めたのである。

その結果、電子時計やスタート信号など、最新鋭の機器類を備えた立派な会場が完成。難易度の高い全長13.14kmの高速コースで、5月の初イベント開催に向けて予算は惜しまず投入されている。招待されたトップドライバーたちには高額賞金が保証され、王族のようなもてなしが供された。

レース史に名を残すイベントとなるはずだったのだが、結果的には上位者たちが事前に示し合わせてレースを操作したという汚点だけが残る。

マーケティングの一環として当局は宝くじを発売。レース前にその中から30枚のくじが選ばれ、それぞれにエントリードライバーの名前が割り振られた。そのドライバーが優勝すれば大金が手に入る。これが騒動の火種だった。

レース前夜、エントリードライバーの1人、アキッレ・ヴァルツィの部屋をエンリコ・リビオという人物が訪れ、ある依頼をした――必ずレースに勝ってほしいというのだ。理由はやがて明らかになる。彼はヴァルツィの車券を持っていたのだった。リビオはヴァルツィが願いをかなえてくれたら賞金の半分を払うという。これだけでもレース優勝賞金の2倍以上――そして彼は事務弁護士に覚え書きまで作らせて帰っていった。ヴァルツィはできることをしてみるとだけ答えたとされている。

翌日のレースは猛暑となり、日陰で涼を取る高官や観客でコースはあふれかえった。その年の後半、リビアの総督に就任する軍服姿のバルボ司令官がレースをスタートさせた。ここまではすべて順調。マセラティのヘンリー・バーキン卿が4周リードしたが、ジュゼッペ・カンパーリにオーバーテイクされ、その背後にタツィオ・ヌヴォラーリ、バコーニン・ボルザッキーニが迫る。一番人気のヴァルツィは中団を走っていた。

カンパーリがリタイアするとヌヴォラーリがトップに立ち、ブガッティのエンジンに問題を抱えていたヴァルツィがやや遅れてそれを追う。しかしヌヴォラーリは終盤にピットインし、コース復帰するとヴァルツィが前に出ていた。

ファイナルラップに入った時、ヴァルツィのリードは数秒まで縮まっており、場内は歓声で沸いた。最終コーナーで賢明にヌヴォラーリの攻撃をしのぐヴァルツィ。2人はほぼ同時にフィニッシュラインを越えたが、ヴァルツィの方が数メートル先だ。彼は疲れ果てており、アルファロメオのマシンから降ろされると観客たちの肩に抱え上げられるようにして賞を受け取った。

何かがおかしいと言われ始めたのはその夜のこと。ヴァルツィ、ヌヴォラーリとボルザッキーニがホテルで高価なシャンパンを飲んでいるところが目撃されたという。数時間のうちに、不正が行われたとのうわさが広まった。

話はどんどん広がり、『L'Auto Italiana(ロト・イタリアーナ)』は2週間後にこんな記事を書いている。

「多くの者は理由も知らず、ヌヴォラーリの敗北を心から信じてはいなかった。2人のドライバーがそのような"インチキ"に同意するなどあり得ない一方で、2人(とリタイアしたボルザッキーニ)が自分たちの(車券)くじを持つ3人と協定を結んだのは事実だ。誰が1位になるかは関係なかった」

ヴァルツィ自身、グランプリ前にヌヴォラーリ、ボルザッキーニ、車券の持ち主3人と会い、"競技規則に違反しないやり方"について打ち合わせたと認めている――ただし、その場所はローマで、彼のホテルではない。彼ら以外にも車券の持ち主から同様の提示をされたドライバーが複数いたようだ。

この程度の緩い合意は、道義的に問題があるとはいえ、規則違反でもなければ法律違反でもない。彼らのうち誰か1人が勝てばいいのであって、それが誰かは重要でなかったことになる。そのため、ヌヴォラーリが初めからレースを捨てており、ラスト数周のバトルも真剣なものではなかったという推測は成り立たない。

だがこの年の9月、ボルザッキーニとカンパーリがモンツァで事故死してしまい、この話はすぐに忘れられてしまった。イタリアのファシスト党政府も体制に悪影響を及ぼすとしてうわさを弾圧。

そのまま時代の闇に消えてしまうはずだったのだが、ここでメルセデス・ベンツの伝説的チーム監督、アルフレート・ノイバウアが登場する。彼は1958年に発売した自叙伝『Speed Was My Life(邦題:スピードこそわが命)』の中でこのレースを取り上げ、ドライバーたちを告発した。だがノイバウアの本には脚色が多く、何より彼は当時トリポリには行っていなかったことが分かっている。関与したとされるドライバー3人はすでに鬼籍に入っていたため、反論のしようがなかった。

ノイバウアの話はやがて事実として受け入れられるようになる。ただし、明らかな誤りも散見され、実際の出来事と食い違っている部分がある点は理解していただきたい。

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Martin Williamson is managing editor of digital media ESPN EMEA

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Martin Williamson is managing editor of digital media ESPN EMEA Martin Williamson, who grew up in the era of James Hunt, Niki Lauda and sideburns, became managing editor of ESPN EMEA Digital Group in 2007 after spells with Sky Sports, Sportal and Cricinfo