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トップ10:下位からの巻き返し

Laurence Edmondson and Chris Medland / Me 2011年8月25日

2011年のカナダGPでは気勢あふれるレースを見せたジェンソン・バトンが勝利を手にした。F1の歴史の中で下位からの巻き返しが見事だったレーストップ10を振り返ってみよう。

最終ラップでフィジケラに並んだライコネン(右) © Sutton Images
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【キミ・ライコネン(2005年日本GP)】

1ラップ予選、レース中のタイヤ交換禁止というルールはF1史の中で決して人気があったわけではない。だが、何度かスリリングなグランプリを演出していることは事実だ。その1つが2005年日本GP。土曜日の雨でグリッドはかき乱され、最終的にレースウイナーとなったキミ・ライコネンがスタートしたのは17番グリッドから。1周目の終わりに12番手に上がり、序盤にセーフティカーが投入された影響で各車が接近する中、みるみる順位を上げていった。新ワールドチャンピオンのフェルナンド・アロンソも1つ前の16番手からスタートし同様の巻き返しを試みてはいたものの、ライコネンのペースにはかなわない。それでもアロンソは時速180マイルに達する130Rで外側からミハエル・シューマッハをパス。これは過去10年で最も大胆なオーバーテイクの1つである。一方、ライコネンも大胆さでは負けていない。2番手に浮上すると、19秒先にいたジャンカルロ・フィジケラを追い始めた。最終ラップのピットストレートでライコネンはルノーのスリップストリームに入り、外側からターン1にかぶせてリードを奪っている。そのあまりにも見事なパフォーマンスに、当時のマクラーレンチーム代表ロン・デニスが涙ぐんだほどだった。

【ジョン・ワトソン(1983年アメリカ西GP)】

「タイヤの温度が上がらなかった。つまり、グリップが足りなかったんだ・・・」ロングビーチで行われたアメリカ西GPで予選22番手に終わったジョン・ワトソンが記者たちに語った説明だ。典型的なレーシングドライバーの言い訳に聞こえる。ワトソンにとっては不運な週末のスタートだった。当時、アラン・ジョーンズが彼のマクラーレンのシートを狙っているとのうわさで、ワトソンにはどうしても良い結果が必要だった。先頭からはるか離れたグリッドに着くワトソンは硬めのタイヤを持ち込んだミシュランを使用しており、これは少なくとも理論上は問題を悪化させるだけのはずだった。だが、焼けつくように熱いサーキットでの75周のレースで、ミシュランは結果的に大正解となった。ワトソンのグリッドはチームメイト、ニキ・ラウダの1つ前。2人は序盤にポジションを大幅に上げている。28周目にはラウダが3番手、ワトソンが4番手となり、トップのジャック・ラフィットと2番手のリカルド・パトレーゼを追う。スタートで先行したラウダは強引に前を切り開いていったが、ワトソンはその間タイヤをいたわることができた。33周目、ワトソンが動き、チームメイトを抜き去る。「ニキは楽にパスをさせてはくれなかった。でも僕らはお互い熟練しているし、僕の方がタイヤのアドバンテージを持っていた」と彼はレース後語っている。やがてパトレーゼがミスでコースを飛び出し、その横を2台のマクラーレンが駆け抜けていった。その後2人はラフィットをもパス。レースは30周残っていた。ワトソンが22台を抜くのにかかった時間は70分。暑さの中にもかかわらず、彼はチェッカーフラップまでリードを保った。これは今日まで残る記録であり、ワトソン自身もどうやってあの絶望的な予選順位から勝利にたどり着いたのかうまく説明できず「ミシュランが僕らと同じくらい努力してくれたんだ。彼らもこの結果に面食らっているはずだよ」と話している。

【ファン-マヌエル・ファンジオ(1957年ドイツGP)】

ファン-マヌエル・ファンジオが首差でニュルブルクリンクを制し、彼の生涯最後となる5度目のタイトル獲得を引き寄せた。9分25秒6というタイムでポールポジションを獲得したファンジオは、後ろのマイク・ホーソーンやピーター・コリンズのフェラーリ勢とは違った戦略を選び、半分の燃料とソフト側のタイヤでスタート。2台のフェラーリはレース中に止まらない予定だったため、序盤で3番手に落ちたことはファンジオにとって痛手だった。だがそこから再びトップに返り咲くと、彼は自身のマセラティで13周目にピットインするまでに22秒のリードを築く。それでもピットストップは大失敗で1分以上もかかってしまい、アウトラップが終わる頃には先頭の2人に対し50秒もの差が開いていた。しかし彼はここから次々とラップレコードを塗り替えていく。そのうち7周は連続で記録を更新し、1周で15秒を一気に差を縮めたラップもあった。やがてファンジオは自身のポールタイムを8.2秒上回り、残り2周でコリンズとホーソーンを抜き去る。ホーソーンはあきらめずに最後までプッシュし続けたため、ファンジオは気を抜くことが一切許されなかったものの、結果3.6秒のリードを守り切り、彼の最後、そして間違いなく最高の勝利を飾った。

F1での初優勝を祝うルーベンス・バリチェロ © Getty Images
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【ルーベンス・バリチェロ(2000年ドイツGP)】

ホッケンハイムで開催されたドイツGPでルーベンス・バリチェロが18番グリッドに着いた時には、彼に優勝の望みがあるとはとても思えなかった。8年間、123戦を戦った彼はもっと良いポジションからスタートしたこともあったが、この1時間26分後に起きる出来事を予想した人はいなかっただろう。バリチェロはレース前半に好走し、4番手まで順位を上げた。その前にいたのは30秒ほどのリードを築いたマクラーレンのミカ・ハッキネンとデビッド・クルサード。だがここでレースの流れが変わる。26周目、メルセデス・ベンツに恨みを持つ元従業員がコースに侵入、警備員に追いかけられながらマシンが時速200マイルで通過するストレートを横断する暴挙に出た。直ちにレースコントロールの指示でセーフティカーが出動したが、タイミングを逃したマクラーレン勢はすぐにピットインできず、走り続けた。バリチェロは遅れていたことが幸いし、たっぷり時間をかけてピットストップを行い、3番手でコース復帰。この頃には乱入者も取り押さえられた。クルサードは優勝争いから脱落、バリチェロが待ちわびた初優勝の前に立ちふさがるのはハッキネンただ1人だ。35周目、サーキットのスタジアム区間で雨が降り始め、すぐに反応したハッキネンはピットに入ってウエットタイヤに交換した。一方バリチェロはグルーブドタイヤのままステイアウトを選ぶ。ウエットセクションではタイムロスしたが、コースの乾いた部分でそれを取り戻す見事な走りを見せた。計画は完ぺきにはまり、チェッカー後、表彰台の頂点で歓喜にむせび泣くバリチェロの姿があった。

【ジム・クラーク(1967年イタリアGP)】

勝利こそつかめなかったものの、クラークのベストレースの1つであり、このランキング入りにふさわしいものだ。デニス・ハルムとジャック・ブラバムのブラバム勢が選手権を率いており、クラークがハルムを逆転するには残る3戦すべてで優勝しなければならなかった。ブラバムに0.3秒差をつけてポールを取ったクラークだったが、13周目にパンクチャーを起こしピットインを強いられる。この遅れで先頭グループの後方に落ち、周回遅れの15番手。ハルム、ブラバムとサーティースはモンツァの長いストレートでお互いにスリップストリームを使い、リーダーが次々と入れ代わった。クラークはみるみる集団に追い付きパスすると、1周の遅れを取り戻すためにさらにペースを上げていく。ハルムはオーバーヒートを起こしてリタイアし、クラークのラップタイムから1秒以内で走れる相手はグラハム・ヒルだけとなったが、彼もまたリタイア。容赦なくマシンを限界までプッシュし続けたクラークは、残り7周でブラバムとサーティースに追い付くという考えられない離れ業をやってのけると、あっさり2人を抜いてリードを奪った。最終ラップに入り、ロータスチームは彼を迎えるためピットウオールに結集。だがマシンが見えなくなったところでガソリンを使い果たしたクラークのマシンが異音を上げ始め、残り半周でブラバムとサーティースにかわされた。クラークは無念の3位に終わっている。

【ジョン・ワトソン(1982年デトロイトGP)】

多重衝突のため再スタートとなったデトロイト市街地コースでの大荒れのレース。ジョン・ワトソンは17番手から勝利を飾る。1982年当時のルールで、再スタートが切られた場合は2度のレースを合計して順位が決まることになっていた。再開時に13番手だったワトソンは、アラン・プロスト、ケケ・ロズベルグに20秒の遅れを取っていた。唯一ワトソンが有利だったのは、耐久性の高いミシュランタイヤを使っている点だけ。グッドイヤー勢がアメリカ中西部の太陽でどんどんタレていく中、彼は着々と順位を上げると2番手のエディ・チーバーに15秒のリードを築いてフィニッシュ――勝利を決定づけるのに十分な差だった。

【ジェンソン・バトン(2010年オーストラリアGP)】

ジェンソン・バトンが2010年にマクラーレン移籍を選んだことを疑問視する声は多かった。だが彼は2戦目にしてそうした批判が間違っていたことを証明してみせ、オーストラリアGPで見事な勝利を飾る。2011年のカナダGP同様、彼は変わりやすいコンディションで知恵を使ってライバルを出し抜き、一時は最後尾に落ちながらも1位に返り咲いた。レース序盤に路面が乾き始めると、バトンは周囲のドライバーより2周早くドライタイヤに交換。直後にアウトラップでコースを飛び出し、一瞬判断を誤ったかのように思えた。しかし、これは彼の思い切った決断だった。最後のピットストップを終えると2番手でコース復帰。26周目、先頭のセバスチャン・ベッテルがホイールナットのトラブルでクラッシュアウトするとバトンがトップを奪った。

わずか7周で15台をパスし、勝利へひた走るスチュワート © Getty Images
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【ジャッキー・スチュワート(1973年南アフリカGP)】

キャラミのレースでジャッキー・スチュワートは長い戦いの末にポジションを取り戻したのではない。彼はたった7周で16番グリッドからトップに躍り出た。3台がリタイアした大きなアクシデントに助けられたのは間違いないが、スチュワート自身も前日の予選でティレルのマシンを時速180マイルでクラッシュさせているのだから、彼の勇敢さの成せる業だろう。ティレルのナンバー1ドライバーだった彼はレースでフランソワ・セベールのマシンに乗り換えており、レース後の『Daily Express(デイリー・エクスプレス)』のコラムで「ケン・ティレルのメカニックたちは夜通し、そして最後の瞬間まで仕事に励んでセベールのマシンのサスペンションを僕向けに変えてくれた。リア部分の大幅な変更はとても大きくパフォーマンスを改善した。すべてが素晴らしかったよ――ティレルのクルーはどこよりも優れている――16番グリッドからのスタートだったが、全く問題はなかった」とチームの努力による勝利だと説明している。さらに彼はコスワースV8エンジンとティレルの空力効率も勝因の1つだったと賞賛、「ストレートでは最速といえるマシンを手にしていた」とコメント。だがスタートから7周の彼のドライビングが、キャリアの中でベストに数えられるドライビングだったのは疑いのないことであり、勝利を手にするにふさわしかった。

【ミハエル・シューマッハ(1995年ベルギーGP)】

レーシングドライバーとしてのミハエル・シューマッハの集大成といえるレースだ。一方でそれは究極の技術と勇敢さの表れであり、もう一方では彼の欠点ともいえる気質を感じさせるものだった。シューマッハは16番グリッドからスタート、難コースのスパでじわじわと順位を上げ、1回目のピットストップ前にトップに立つ。ここで雨が降り出し、デイモン・ヒルがピットイン。それでもシューマッハは自らの運に賭け、スリックタイヤのまま先頭を走り続けた。ヒルはすぐにロスタイムを取り戻し、ベネトンの背後につくも、何度抜こうとしてもブロックされてしまう。一般的な考えとして――ヒルを含め――ブランシモンやラディオンの高速コーナーでのブロッキングは危険であり、そうしたポイントでホイールが接触するようなことがあれば大惨事につながりかねない。「マイケル(シューマッハ)の走りはあまりにもディフェンシブだった。僕らのホイールがぶつかるほどだったよ」と話すヒルは「まあそれは一向に構わないさ。偶然であればね。だが、もしも故意だとしたらとても不愉快だ」と語った。そこへ3位のマーティン・ブランドルが「2位じゃなく3位でガッカリだよ――お二人さん、次回はもっと激しくやり合ってよね」と口を挟む。FIAはシューマッハに1戦出場停止を命じたが、リザルトは変わらず。倫理観にもよるだろうが彼のベストレースの1つに数えられるだろう。

【ジェンソン・バトン(2006年ハンガリーGP)】

このトップ10はカナダでのジェンソン・バトンの勝利に触発されたものなので、彼のグランプリ初優勝をリストに付け加えるのは適切といえる。上記の多くの勝利と同様、一流のドライビングとわずかな運を味方につける必要があったという点でランクインにふさわしい。バトンは14番グリッドスタートだったが雨とセーフティカーピリオドを味方につけてみるみる順位を上げ、32周目にはフェルナンド・アロンソに続く2番手に浮上。アロンソも15番グリッドからスタートしており、勝利を手中に収めたかに見えたが、51周目に不幸が襲う。ホイールナットの1つが緩み、彼のルノーは3輪走行からクラッシュを喫した。バトンが113戦目にしてF1初勝利を飾り、ウエットが得意なトップドライバーであることを印象づけた――その評価は今も健在だ。

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Laurence Edmondson is an assistant editor on ESPNF1

© ESPN Sports Media Ltd.
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Laurence Edmondson is deputy editor of ESPNF1 Laurence Edmondson grew up on a Sunday afternoon diet of Ayrton Senna and Nigel Mansell and first stepped in the paddock as a Bridgestone competition finalist in 2005. He worked for ITV-F1 after graduating from university and has been ESPNF1's deputy editor since 2010