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  • 序盤戦大量リードを築いたドライバー

トップ10:開幕からの独走

Chris Medland / Me
2011年8月18日

どんなタイトルチャレンジでもスタートは重要である。今年はセバスチャン・ベッテルがほぼパーフェクトに近い序盤戦を演じたが、F1の歴史の中でも圧倒的だったシーズンスタート、トップ10を振り返ってみよう。

ザントフォールトで圧勝し、喜ぶジム・クラーク © Sutton Images
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【ジム・クラーク(1963年)】

これ以前の10年間にも、アルベルト・アスカリ、ファン・マヌエル・ファンジオの両名が圧倒的なシーズンを展開しているが、1963年のジム・クラークはそれを完全に新しいレベルに導いた。開幕戦のモナコで彼は大きなリードを築くも、残り22周でギアボックスが壊れてリタイア。しかしながら、この驚くべきシーズンで彼がポイントを取り損ねたのはこのレースだけである。クラークは大荒れのコンディションとなった次のスパで勝利し、オランダ、フランス、イギリスと連勝を重ねてなお勢いはまだ止まらない。ニュルブルクリンクではシリンダーの1つがミスファイアを起こしたため2位に甘んじたものの、モンツァでは再び頂点に。3戦を残してタイトルを決めてしまった。ワトキンス・グレンでは点火トラブルでグリッド上に取り残され、周回遅れにされるも怒とうの追い上げを見せ、3位まで巻き返している。残りのメキシコ、南アフリカでも勝利を飾り、目覚しいシーズンを締めくくった。

【ジム・クラーク(1965年)】

ロータスとのタッグはさらに力を増し、ジム・クラークは2年前の成功を再現しかけた。開幕戦の南アフリカGPでは1周早くチェッカーフラッグを振られるハプニングがあったものの、クラークが早くも独走態勢を築く。2戦目のモナコは欠場したが、それはロータスとインディアナポリス500に出場するためであり、彼はアメリカで勝利を飾った。F1に戻ると雷雨のスパで勝利、フランスではプラクティス中に本来のマシン32が故障し、1963年のタイトルマシンで勝利を収めた。シルバーストーンではミスファイアを起こすエンジンをいたわりながら勝利に導き、ザントフォールトでは悠々と先頭をひた走った。だがこの時、チームオーナーのコーリン・チャップマンは大変な目に遭っている。認可証が間違っているとして、グリッドから追い出そうとした警官に手を挙げ、逮捕されてしまったのだ。クラークはニュルブルクリンクも支配し、ここまでスタートしたすべてのレースで勝利。当時の選手権は6戦有効システムだったため、彼は最大ポイントを獲得したことになる。つまり、再び3レースを残してタイトルを手に入れたのだった。

【ジャッキー・スチュワート(1969年)】

もう1人、新聞の見出しを飾ったスコットランド人ドライバーがいる。継続して対抗できるライバルが誰一人としていない中、ジャッキー・スチュワートが初のドライバーズタイトルを獲得した。マトラに所属していたスチュワートは、ロータスのグラハム・ヒルに大差をつけて開幕戦南アフリカGPを制している。次戦のスペインでグラハムはリアウイングの破損で高速クラッシュを喫し、スチュワートに反撃できず。モナコではスチュワートがレース半ばで大きなリードを築きながらリタイアしたため、グラハムが一矢報いた。しかし、それ以降はライバルの信頼性があまりにも乏しく――最たるものがロータスのヨッヘン・リントだ――スチュワートの独走を許してしまう。リントは第4戦ザントフォールトでポールを取り、最初の16周をリードしたもののリタイア。3勝目をスチュワートにプレゼントした。次のフランスでスチュワートは1分近い大差をつけて優勝。シルバーストーンでもリントが彼に迫ったが、ウイングが緩み、ピットインを強いられて4位に落ちた。スチュワートの才能が遺憾なく発揮されたのは第8戦イタリアGPだ。上位4台がスリップストリームを使い、0.2秒以内でフィニッシュラインを越えるという壮大なバトルが繰り広げられ、スチュワートはリントを半車身差でかわして6勝目を飾り、タイトルを決定した。

ハントを従えるラウダ。だが1976年のタイトルはハントの手に収まった © Sutton Images
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【ニキ・ラウダ(1976年)】

順調なシーズンスタートを切り、ニキ・ラウダの世界王座獲得はもはや時間の問題かと思われた。しかし、天は彼に試練を与えた。彼のフェラーリには競争力があったが、ほかより数段勝っているとはいえず――開幕戦ブラジルではジェームス・ハントにポールを奪われ、ジャン-ピエール・ジャリエがリタイアを喫するまで追い回された。南アフリカも同様の展開。スタートでラウダはポールシッターのハントの前に飛び出しリードを築くも、差は徐々に縮まり、最後はスローパンクチャーを起こしながらどうにか1秒差で逃げ切った。ロングビーチでのラウダは予選4番手止まり。決勝レースはチームメイトのクレイ・レガツォーニに敗れ、2位。第4戦スペインでは再びハントがポールを取り、ラウダは1コーナーで彼を下したものの、速さは明らかにマクラーレンの方が上。ハントが楽に勝利を飾った。ただし、彼のマシンは幅が広すぎたとして一度失格となり、勝者はラウダに書き換えられた。ハントは異議を申し立て、最終的にウイナーに返り咲いている。ベルギーのゾルダーではラウダが圧勝、第6戦モナコでも勝利を飾り、ラウダはこの時点で2位が1回、5勝を挙げていた。ハントの抗議が認められた後もラウダのタイトルは決定的と思われたが、第10戦ニュルブルクリンクでの大クラッシュで命に関わるケガを負い、最終戦の日本GPでは安全を危惧してリタイアしたため、ハントがこの年の王者となった。

【アラン・プロスト(1988年)】

マクラーレンがライバル全員を屈服させたこの年、アラン・プロストは新しいチームメイト、アイルトン・セナよりわずかに良いシーズンスタートを切った。開幕戦ブラジルでは3番グリッドからのスタートだったが、ポールシッターのセナがグリッド上でギアボックストラブルに見舞われ、スペアカーに乗り替えて失格になると、プロストが勝利をさらう。次のイモラでもポールを獲得したのはセナ。この時のマクラーレンの2台は周囲と比べて3秒も速かった。スタートで出遅れたプロストは大幅にポジションを落とすも、見事なリカバリーを見せ、2秒遅れの2位でフィニッシュ。第3戦モナコでプロストはレースの大半をゲルハルト・ベルガーに抑えられ、チームメイトに1分以上離されていた。だがセナはバリアに接近しすぎてリタイア。プロストがリードを引き継ぎ、優勝を飾っている。4戦目のメキシコではプロストが勝ち、3勝目を達成。ドライバーズランキングで快適なリードを築いた。モントリオールとデトロイトではセナの後塵を拝して2位に終わったが、スピードに絶対的な自信を持っていたプロストは母国フランスでぶっちぎりの速さで優勝する意地を見せる。あまりにも圧倒的なレース展開で、「レースを面白くするためだけにゆっくりドライブすることなどできない」とプロストがコメントしたほど。第7戦終了時点で4勝、2位が3回という結果を残したにもかかわらず、プロストはこの年のタイトルを取れなかった。セナがその後4連勝し、プロストの7勝に対し、年間8勝を挙げたからだ。

【アイルトン・セナ(1991年)】

日本GPでアラン・プロストをリタイアに追い込むという物議を醸す形で1990年のタイトルは決着したが、アイルトン・セナの快進撃は1991年も止まらなかった。引き続きマクラーレンで戦うダブルチャンピオンは初戦フェニックスでそれまで一度もマシンをテストしていないにもかかわらず、全周回をリード。ブラジルではギアボックストラブルが発生し、ラスト7周、雨も降り出す中で6速のみの走行を強いられたが、それでもリカルド・パトレーゼを抑え切って優勝、2勝目を飾る。ヨーロッパに戻っての第3戦イモラで、セナは再びポールを獲得したものの、パレードラップでプロストがスピンアウト。ウエットスタートでセナはパトレーゼにポジションを奪われ、2位止まりかと思われた。ところがレース半ばでウィリアムズのマシンがミスファイアを起こし、パトレーゼが脱落。ベルガーに接近されながらもセナがレースを制し、ダラーラのJJレートが3位に入るという消耗戦で3勝目を達成。モナコのポールもやはりセナ。ティレルのステファノ・モデナが2番手を獲得するという意外性にも助けられて大きなリードを作ると、再びポール・トゥ・ウインを決めている。勝者に与えられるポイントは当時10ポイントで、4戦4勝のセナは2番手のプロストに29ポイントの大差を築いた。残りのシーズンはナイジェル・マンセルが果敢な追い上げを見せたが、最終戦1つ手前の日本GPでクラッシュアウトし、セナが3度目、そして最後のワールドタイトルを手にした。

タイトルを決め、前年の王者セナに祝福されるマンセル(左) © Sutton Images
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【ナイジェル・マンセル(1992年)】

前年のアイルトン・セナの最大のライバル、ナイジェル・マンセルはようやく勝てるマシンを与えられ、開幕4連勝という1991年のセナの記録を塗り替えた。プレシーズンテストから圧倒的強さを見せていたウィリアムズFW14Bは前評判に違わぬパフォーマンスを発揮し、マンセルはセナに1秒近い差をつけて開幕戦ポールを獲得。レースでは全周回でトップを快走し、チームメイトのリカルド・パトレーゼを従えてチェッカーを受けた。2戦目のメキシコも同様で、再びマンセルがポール。同じようにチームメイトを従えてウィリアムズの1-2を飾った。彼らの強さはブラジルでさらに際立つ。マンセルのポールタイムは3番手のセナを2秒以上、上回るもの。ウィリアムズは3度目の1-2を決めたが、4戦目のスペインでこれは途絶えた。2番手走行中のパトレーゼが雨でスピンしてしまったのだ。マンセルにそのようなトラブルはなく、4回目のポール・トゥ・ウインを達成している。この時も2位のミハエル・シューマッハに30秒近い差をつけた。ライバルたちのタイトルへの望みは薄れ始めたものの、マンセルはイモラでも順当にポールを取り、チームメイトを10秒近く引き離して勝利。第5戦まで全勝、すべてのポールポジションを獲得し、この時点でどのドライバーよりも2倍以上のポイントを稼いでいた彼の王座は、事実上決まったようなものだった。続く2戦では勝利を逃したが、マンセルはその後再び3連勝を飾り、全16戦のうち11戦目でタイトルを決めた。

【ミハエル・シューマッハ(2002年)】

過去2年連続タイトルを獲得したミハエル・シューマッハの圧倒的な支配は、2002年になると退屈と称されたほどだった。だが彼の連続勝利はドライビングの手腕のみならず、フェラーリの細かなデータ分析、チーフデザイナーのロリー・バーンが作り上げたF2002によるものだ。オーストラリアではチームメイトのルーベンス・バリチェロがポールを獲得したが、ターン1で弟のラルフが兄を思ってか、バリチェロを巻き込んでリタイア。セーフティカー後にデビッド・クルサードが脱落すると、シューマッハはファン-パブロ・モントーヤとのバトルを制して勝利を飾った。マレーシアではウィリアムズの2台に続く3位に終わったが、フェラーリはここまでF2001を使用しており、シューマッハは新車を手にすると再び独裁体制を築く。第3戦ブラジルで優勝、イモラではチームメイトを圧倒、2位に30秒以上の差をつけて帰ってきたスペインで3連勝を達成している。しかしながら4勝目のオーストリアではチーム内に亀裂が生じる。予選で勝利したバリチェロがレースでも前に立っていたが、チームはシューマッハを先に行かせるよう指示。最終ラップでバリチェロが指示に従い、大きなブーイングが巻き起こった。これがきっかけでFIAはチームオーダーを禁じるルールを設けることとなる。それでもシューマッハは6戦目までに獲得可能な60ポイントのうち、54ポイントを稼いでいる。これは直近のライバルに対し、倍近い得点だ。続く5戦で3勝、2位を2度記録し、全17戦のうち6戦を残して当時の最多タイトル記録、ファン・マヌエル・ファンジオの5回に並んだ。

【ミハエル・シューマッハ(2004年)】

ミハエル・シューマッハの5年連続、7度目のワールドタイトルは世界選手権史上最も圧倒的で、最も総合的な勝利だった。その驚異的なシーズン"スタート"はいつまでも終わらなかった。メルボルンではフェラーリが1-2を決め、セパンとバーレーンでもシューマッハが優勝。連続ポールこそ、イモラでB・A・Rのジェンソン・バトンに食い止められたが、冷静なレース運びを見せたシューマッハはピットストップでバトンを逆転、4連勝を飾った。スペインでもポール・トゥ・ウインを達成し、マンセルの開幕5連勝記録に並んだ。モナコでは珍しくクラッシュを喫し、ヤルノ・トゥルーリの勝利によってすべてが思い通りにいかないことを思い知らされたが、その後は何と7連勝。ニュルブルクリンク、モントリオール、インディアナポリスはすべてフェラーリの1-2、フランスでは急成長を遂げる若手のフェルナンド・アロンソを抑え、イギリスではキミ・ライコネン、ドイツではバトンを抑え切った。第13戦ハンガリーでポールを獲得、全周回をリードして、ファステストラップをたたき出したレースは12勝目だった。スパでは2位に甘んじたものの、4戦を残したまま7度目のタイトルを手にするには十分だった。

バトンがレースをリードする2009年おなじみの光景 © Sutton Images
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【ジェンソン・バトン(2009年)

2008年まで所属していたHonda Racing F1が撤退し、開幕直前までシートも決まっていなかっただけに、ジェンソン・バトンの2009年シーズンの始まりは目を見張るものだった。幸いにもチーム代表のロス・ブラウンや首脳陣がチームを買い取り、ブラウンGPの名前で2009年用に作られていたマシンを走らせることになった。彼らがデザインしたダブルディフューザーは新レギュレーションの穴を突いたもので、テストから好調ぶりを発揮。メルボルンではレース終盤に出たセーフティカーに助けられてルーベンス・バリチェロが2番手に浮上したとはいえ、バトンが先頭で楽々1-2を飾った。続くマレーシアの序盤でバトンは3番手を走行していたが、1回目のピットストップ後に速いタイムを刻み、リードを奪う。しかし、天候が荒れたためレースは途中で赤旗中止となり、獲得ポイントは半分に。中国では台頭の兆しを見せ始めていたレッドブルの1-2によって3位に甘んじたものの、第4戦バーレーンではバトンが再び1位を取り返し、「シーズンのこの段階はアグレッシブにいかなきゃならない――2位や3位で満足してはいられない。安全策ではダメなんだ」との発言も飛び出した。スペインではチームメイトの3ストップに対し、2ストップ作戦を成功させて才能を見せつけ、モナコでもバリチェロを圧倒。トルコではセバスチャン・ベッテルがポールをつかんだが、1周目でラインを外してしまい、バトンのリードを許した。これでバトンは7戦目までに6勝を達成。その後のブラウンGPはレッドブル、フェラーリ、マクラーレンの開発ペースについていけず、バトンに勝利は1度もない。だが、スタートで大量リードを築き、第16戦ブラジルで5位に入るなどの素晴らしい走りによって、バトンはとうとう悲願のドライバーズタイトルを手に入れた。

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