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  • イギリスにクマを!

特集:1974年ヘスケス卿の冒険

Laurence Edmondson / Me 2011年5月19日
1975年、308Cの発表会でのハントとヘスケス卿 © Sutton Images
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最近のF1新車発表会は昔とは違うものになってきている。チームがあらゆる工夫を凝らしてジャーナリストたちにマシンを印象づけようと、スモークやストロボライトを駆使したり、契約したばかりのラルフ・シューマッハを登場させたりといった時代は終わった。今ではブラックシートを敷いた凍えそうなバレンシアのピットレーンであわただしく写真撮影をして終わりだ。直後にチームらはテストという本番を控えているからだ。

しかしだからといって、退屈になったわけではない。1974年、1月初旬の寒い朝、ヘスケス・レーシングというチームがすべての慣例をぶちこわし、テディベアと一滴のウイスキーだけの新車発表会を行った。

うたげの主催者はアレキサンダー・ヘスケス卿。彼は自身が所有する大邸宅に世界中のメディアを呼び集めた。自らル・パトロン(親分)と名乗ったヘスケスは、前年にマーチ731のカスタマーシャシーでF1参戦を決め、アンソニー"バブルズ"ホーズリーというチームマネジャー、ハーベイ・ポスルスウェイト博士という名のチーフエンジニア、そして柄の悪い新人ドライバー、ジェームス・ハントというメンバーで活動を開始。

誰もが驚いたことに、1973年シーズンはヘスケス卿にとって非常に順調に進んだ。そこで彼はF1に本格進出するプランを立て始める。自作マシンでの参戦を望み、ポスルスウェイトに屋敷の厩舎(きゅうしゃ)を与えて新しいシャシーを製作させた。当初の計画ではV12エンジンも製造することになっていたが、当時自らエンジンを作っていたのはフェラーリとBRMだけであり、それ以外は全員パワフルで信頼性にも優れたコスワースDFV V8を使っていた。

ヘスケス308はヘスケス卿の屋敷の厩舎で作られた © Sutton Images
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予想通りというべきか、結局V12は登場しなかったものの、アルミニウム製スペースフレームの308というシャシーは完成した。トム・ルビソンが出したジェームス・ハントの新たな伝記"Shunt(シャント)"によると、ヘスケス卿は発表会の当日、流感にかかっていたというが、"薬代わりのウイスキーでもうろうとした状態"で、プレスの前に姿を現した。イベントの模様は翌日の紙面を飾り、ヘスケスのとりとめのないスピーチもほぼそのまま伝えられた。

「私にとって」と彼は熱弁を振るった。「バブルズこそ、ヘスケス・レーシングを今の形にした人物だ。彼がジェームスを駆り立て、ライドハイトやウイングについて考えているうちに居眠りしてしまうドクターをたたき起こす役目を担っている・・・」

ヘスケス卿は同時に"Back British Bears(イギリスにクマの復活を)"というキャンペーンも立ち上げ、308のフロントには"スーパーベア"なるマスコットが描かれていた。その意味は当時、よく理解されてはいなかった――現在も解明されてはいない――が、ホーズリーが発売した"The Heavily Censored History of Hesketh Racing(知られざるヘスケス・レーシングの歴史)"という本(現在もオンラインで購入可能)の中にヒントがあった。

"スーパーベア"のマスコットを配したヘスケスのポスター © Sutton Images
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その序章でヘスケス卿はこう述べている。「私が初めてモータースポーツに参入した時、ほとんどの人々は私のことを大金持ちで分別のない道化師だと考えた。だが今ではこの説は完全に打ち砕かれた。それは、何度もアームコに飛び込む自殺志願者のようなハントという若者のおかげでもなく、スピード違反の常習犯として、インターポールに追いかけられるバブルズのおかげでもなければ、ポスルスウェイトという、いかれた男の発明のおかげでもない。あなたが、この無意味な出版物のために1シリングと6ペンスを払ってくれたおかげだ。イギリスで絶滅したクマを復活させるために協力しようというその無欲な行為に、私はヘスケス・レーシングの未来に捧げた以上の信念を感じている」

卿がスピーチを終えてベッドに戻ると、308はシルバーストーンに輸送され、そこでウエット状態を含む12周の不完全なテストを終えた。だが結局、選手権序盤の南アメリカラウンドでは投入が見送られることに。本格的なレースデビューはブランズ・ハッチでのレース・オブ・チャンピオンズまで待たねばならなかった。寒いコンディションは彼らのファイアストンタイヤに合っており、ハントが308のデビュー戦で驚きのポールポジションを獲得。しかし大雨で水浸しのレースデーはたった4周でスピンしてしまい、マシンの真のポテンシャルは分からずじまいだった。

シーズンが進むと308で勝利の喜びも味わったヘスケス卿 © Sutton Images
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全F1チームが集結した南アフリカGPでは予選も振るわず、レース中にリタイア。308に対する疑念はふくらみ続ける。だが4月初め、涼しい気候のシルバーストーンに戻ると、ハントがインターナショナル・トロフィーで優勝。マシンにとっては3度目のフルレースだった。スタートはひどいものだったが、ハントは時速170マイルに達するウッドコートコーナーでロニー・ピーターソンに大胆なオーバーテイクを仕掛け、27周目に勝利を確実にした。チームは大喜びで、さすがのヘスケス卿もレース後は言葉にならなかったという。彼は『Daily Express(デイリー・エクスプレス)』の記者に「世界中のどこよりも、私はこのコースで勝ちたかったんだ」とだけ述べている。

ヘスケス卿の厩舎で始まった野心的なプロジェクトが、モータースポーツの強大で有名なチームらを打ち負かしたのだった。翌年、ポスルスウェイトは308を改良した308Bを作り、それはオランダGPでフェラーリのニキ・ラウダを押しのけて勝利した。

ヘスケスの成功がイギリスでのクマの繁殖促進につながったかどうかは不明だが、モータースポーツの歴史に小さく、そして奇抜な一章が刻まれたことは間違いない。

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Laurence Edmondson is an assistant editor on ESPNF1

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Laurence Edmondson is deputy editor of ESPNF1 Laurence Edmondson grew up on a Sunday afternoon diet of Ayrton Senna and Nigel Mansell and first stepped in the paddock as a Bridgestone competition finalist in 2005. He worked for ITV-F1 after graduating from university and has been ESPNF1's deputy editor since 2010