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  • ポールポジション関連の記録を持つスターたち

スティーブンに聞く! - 2011年3月6日

Steven Lynch / Jim 2011年3月12日

ESPNの常駐エキスパート、スティーブン・リンチがF1に関連する皆さまのご質問にお答えします。F1のホットな話題に関する質問や、スティーブンへの挑戦状など、何でも結構です! ご質問がある方は携帯サイトF1-Live.com MOBILESよりご投稿ください。

ポールポジション獲得率58.86%を誇るファン・マヌエル・ファンジオ © Getty Images
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Q: アイルトン・セナが通算161戦に出走したうち65回もポールポジションを獲得していると知りました。実に4割の確率です。これ以上のポール記録を持っているドライバーはいるのでしょうか? セナの確率を上回ることはあり得なさそうに思えるのですが・・・。
(デイブ・トーマスさん/イギリス・エセックス)

A: おそらく予想はつくと思いますが、ミハエル・シューマッハはアイルトン・セナの65回よりも多くのポールポジションを記録しています。事実、267レースを戦ってポールに着くこと68回、確率は25.46%です。また、セナより高い確率でポールを手にしたドライバーは3名います。51戦中29回で56.86%のファン・マヌエル・ファンジオ、72戦中33回で45.83%のジム・クラーク、32戦中14回で43.75%を誇るアルベルト・アスカリです。

Q: 初参戦のグランプリでポールポジションを獲得したドライバーはいますか?
(テリー・プライスさん/イギリス・サリー)

A: なんと世界選手権では4人がこの偉業を達成していました。ちょっとびっくりです。初レースの1950年イギリスGPでポールシッターとなり、初代ドライバーズチャンピオンに輝いたニーノ・ファリーナが該当するのは当然のことながら、それ以外では1968年にワトキンス・グレンでロータスを駆り初めてのグランプリに挑んだマリオ・アンドレッティ、1972年アルゼンチンGPでブラバムのステアリングを握ったカルロス・ロイテマン、そして1996年にウィリアムズから待望のF1デビューを飾ったジャック・ビルヌーブが初戦のオーストラリアGPでF1初となるポールポジションを記録しています。

Q: 優勝するまでに最も多くのレースを経験したドライバーは誰ですか? また未勝利のまま最も長く参戦し続けたのは誰ですか?
(ジェーン・クラークさん/イギリス・ヘレフォード)

A: 優勝まで100戦以上を費やしたドライバーは5名、うち4人は現役ドライバーです。ジェンソン・バトンが初めてトップチェッカーを受けたのは通算113戦目の2006年ハンガリーGPでした。2004年のモナコGPを制したヤルノ・トゥルーリは2010年シーズン終了時点でこの1勝のみ、デビューから119戦かかりました。123回目のグランプリでようやく表彰台の頂点に上ったのはルーベンス・バリチェロ。2000年ドイツGPのことです。とはいえ、このカテゴリーでマーク・ウェバーにかなう者はいません。ウェバーがF1で1勝目を飾ったのは130戦目の2009年ドイツGPです。他に、フェラーリのリザーブドライバーを務めるジャンカルロ・フィジケラも2003年ブラジルGPでグランプリウイナーとなるまでに110戦を要しています。後半の質問に答えると、1980年から1994年にかけてF1に参戦したイタリア人ドライバー、アンドレア・デ・チェザリスが208レースを戦ってなお優勝することができませんでした。これに次ぐ記録を保持しているのが、ニック・ハイドフェルドで173戦出走の経歴を持ちながら未勝利です。

Q: デイモン・ヒルはドライバーズ選手権を制した翌1997年にたった7点しか獲得しておらず、ランキングも12位でしたが、"ディフェンディングチャンピオン"としてはこれがワーストパフォーマンスですか?
(ブライアン・マーチバンクスさん)

A: 世界チャンピオンとなったドライバーの中には王者に輝いた年で引退したり、不運にも天に召されたドライバーもいますが、"翌シーズン"のワーストパフォーマンスとしては1.14ポイントの獲得にとどまった1954年のアルベルト・アスカリです。アスカリの過ちはすべてを制したフェラーリを離れ、競争力の劣るマセラティで運試しに出たことでしょう。また、ジョディ・シェクターについても触れておかなければなりません。1979年にフェラーリでタイトルを獲得したシェクターですが、翌年はフェラーリが新レギュレーションへの対応に苦戦し、わずか2点しか得点できませんでした。1980年のチャンピオンであるアラン・ジョーンズは当時のフェラーリを"動くシケイン"と表現しています。シェクターはタイトル争いにからむことなく19位でシーズンを終えました。ファン・マヌエル・ファンジオは5度目にして最後のタイトルを獲得した後、1958年シーズンはデイモン・ヒルと同様に7ポイントしか手にしていません。とはいえ、ファンジオの場合、この年に出走したのは2戦だけでした。

Q: ナターシャ・ガシュナンという女性ドライバーがF2に参戦していたと思うのですが、F1昇格はありそうですか?
(コリン・ポーターさん/イギリス・ヨークシャー)

A: FIA F2選手権に参戦したスイス人ドライバーのナターシャ・ガシュナンは2ポイントを記録したものの、翌2010年に事実上後退してしまいましたが、私はまだ可能だと思っています。2010年の彼女はシングルシーターを離れてGT1世界選手権に転向、アブダビの初戦でクラッシュを喫して脚を骨折しましたが、ル・マンで復帰を果たしています。残念ながら59周目でリタイアを余儀なくされたものの、1991年以来初となる女性のみのチームで24時間耐久レースに出走しました。それでも、若干23歳のナターシャにはまだ時間がありますし、F1へのコネクションも持っています。というのもトロ・ロッソのレースドライバーであるセバスチャン・ブエミは彼女のいとこなのです。

Q: 先日、回答不能なクイズを出されました。"1950年代のグランプリレーシングにおけるエングルベール(エンゲルベルト)の役割とは?"という問題だったのですが、まさか国歌を斉唱していたなんてことはありませんよね!?
(マット・デューカーさん/スコットランド・グラスゴー)

A: 1950年代にグランプリで歌うには、エンゲルベルト・フンパーディンク(1936年5月2日生まれの歌手)といえど若すぎると思いますよ! 本当のところ、この問題の回答はいたって平凡です。エングルベールは1950年代にグランプリで8勝を記録したタイヤメーカー。すべての勝利をフェラーリと共に成し遂げています。最後の優勝は1958年にシルバーストーンで開催されたイギリスGPで、ピーター・コリンズがマイク・ホーソーンを率いてトップでチェッカーを受けました。エングルベールは1898年にベルギーで設立され、後にユニロイヤルと合併しています。エングルベールのブランド名がなくなったのは1970年代後半でした。

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