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  • F1屈指の変わり者たち

トップ10:エキセントリックなドライバー

Martin Williamson / Me 2011年3月3日
イタリア軍から救急車の運転を禁止されたタツィオ・ヌヴォラーリ。コース上での速さは抜群だった © Getty Images
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タツィオ・ヌヴォラーリ

F1誕生以前の歴史で最も偉大なドライバーといえばおそらくヌヴォラーリだろう。彼と実際に戦ったライバルは"最も大胆かつ優れた技術を持つ、史上最大級にいかれた男"と彼を表現した。手作りのパラシュートで家の屋根から飛び降りるような子供だったというから(着地は失敗)、成人しただけでも驚きと言える。ティーンエイジャーの頃に飛行機を買い、その場で干し草の山に突っ込んだという逸話も。第一次世界大戦ではイタリア軍から"危険すぎる"という理由で救急車の運転を禁止された。コース上でいくらケガを負っても彼はあきらめなかった。1934年に大事故を起こした際には病院を勝手に抜け出し、脚にギプスをつけたままレースに出たのである。2年後、トリポリGPのプラクティス中にクラッシュを喫した時は、石膏のコルセットをはめられて休むよう指示された。彼はにっこり笑うとサーキットに引き返し、ほとんど身動きできないにもかかわらずグランプリに参加している。1940年には乗っていたフェラーリのボンネットが接触の影響でめくれ上がり、視界を妨げる状態に。取り除けないと知った彼はマシンをわざとブリッジの側面に衝突させてボンネットをもぎ取ったという。

ヘンリー・シーグレーブ卿

2度の大戦間で最も有名なイギリス人ドライバーの1人であるシーグレーブは、スピードとレースに取りつかれた人物で、地上と水上でいくつも最速記録を残している。また普段の運転でも慣例に従うことを拒み、交差点に通行車がいようが、信号が赤だろうが、構うことなく全開で突っ切った。「時速60マイルで交差点を通過すれば、20マイルの時よりも"危険地帯"は3分の1になる。つまり通行車に出くわす可能性も3分の1だ」というのが彼の説明だが、あまり説得力はない。レース中に飽きてしまうこともたびたびで、ある時はブルックランズで6時間の耐久イベントに参戦中、コースを外れたかと思うとそのままサウサンプトンまで直行し、ボートで出航。そんな彼を破滅させたのはやはりスピードで、1930年にウィンダミア湖で水上記録に挑戦中、命を落とした。

パトリック・ドュパイエ

ドュパイエにとって、F1で感じる危険だけでは人生に満足することはできなかったようだ。ティレルから1973年シーズン最後の2戦への出場を打診された直後、モーターバイクで転倒して脚を骨折。その結果、契約にはバイクに乗ることを禁じる条項が付け加えられることになった。彼がピットレーンで自転車を乗り回すのは見慣れた光景で、それもハンドルバーに腰掛けるのが定番。そのため、1979年にハンググライダーで大けがを負ったときも当時の雇い主、リジェ以外に驚く者はほとんどいなかった。チームは直ちにドライバーを交代させている。デュパイエは1980年にドイツGPプラクティス中の事故で死亡した。

ベルント・ローゼマイヤー

ローゼマイヤーは戦前の伝説的なチーム、アウト・ウニオンの優秀なドライバーで、1936年にヨーロッパ選手権で勝利。運命論者として、気ままな生き方を好んだ彼はしばしばチームのマネジメントと対立。1937年にはメジャーレースのプラクティスセッションにヘルメット、グローブ、短パンにサンダルという軽装で出走・・・そしてラップレコードを10秒以上更新してみせたという。1938年、地上最速記録に挑戦中、命を落とした。数週間後には30歳の誕生日を迎えるはずだった。

ヘンリー・バーキン卿

バーキンは有名なベントレー・ボーイズの一員だったが、再婚後、妻にレースを禁じられ、一度は夢を断念。だがやがて彼は結婚生活よりレースの方が大事だと判断し、1927年に活動を再開----"引退"生活中はピカデリーからノーフォークのパブまで車を飛ばすことによって腕を養っていた。目標タイムをクリアできれば朝食を腹いっぱい平らげ、できなければ空腹のままロンドンに引き返した。マン島TTレースで弟を亡くしてもひるむことなく、バーキンはどんなドライブでも引き受けた。1933年のトリポリGPではメカニック不在にもかかわらず3位入賞を果たす。だが悲しいことに、これが彼の最後のレースとなった。タバコを取ろうとして手を伸ばした際に、マシンのエキゾーストパイプで腕をひどくやけど。そのけがが感染症を引き起こし、3週後に敗血症のため亡くなった。

"ファッティ・ポルシェ(太っちょ・ポルシェ)"に乗るカレル・ゴダン・ド・ボーフォール © Sutton Images
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カレル・ゴダン・ド・ボーフォール

オランダの貴族だったド・ボーフォールは、最後の純粋なアマチュアドライバーである。自ら走らせた彼のマシンはオランダを示す鮮やかなオレンジ色で、エキュリー・マールスベルゲンというチーム名もド・ボーフォールの出身地から取ったものだった。初めのうち彼の参戦は冗談としかみなされず----無骨なフレームのマシンは"ファッティ・ポルシェ(太っちょポルシェ)"と呼ばれ----邪魔者扱いされた。だが時が経つと次第に尊敬を集めるようになり、1962年には2度の6位入賞を果たして2ポイントを獲得。また人物像も平凡ではなく、しばしば靴を履かずにドライブしたり、時にはヘルメットの代わりにビートルズ風のかつらをかぶったりもした。ある時ランスでプラクティスセッション中に停止すると、魅力的な若い女性を乗せてサーキットを一周し、オフィシャルを激怒させた。1964年のドイツGP、ニュルブルクリンクでプラクティス中、ポルシェ718をクラッシュさせて死亡した。

グウェンダ・ホークス

1920年代にスピード記録を出したことで名前を知られるようになったホークス。当時は女性がレースをするなどもってのほか、運転するだけでもモラルの低下だと眉をひそめられた時代だ。当然レースへの道のりは容易ではなく、戦時中に砲撃を浴びながら救急車を運転して腕を磨いた。軍隊出身ということがピットクルーにはすぐ分かった。彼女は常に一点の汚れもない白いオーバーオールを着用するよう言いつけ、一滴でもオイルの染みがついているのを見つければ、その場で首にすることも辞さなかったという。

アラン・ステイシー

ステイシーは1960年ベルギーGP中に亡くなった2人のドライバーの1人。だが彼には脚が片方しかなかったことを思うと、レースに出ていたこと自体が驚きである----17歳の時にモーターバイクの事故で右足の下半分を切断していた。スロットルを手で操れるよう改造されたロータスに乗り、ある時フランスでは健康診断をパスするために一計を案じたという。「医者がゴムのハンマーでひざをたたき、反射をチェックするテストがある」とジャーナリストのジェラール・クロンバックは著書につづっている。「そこでアランはまず健康な方の脚を出し、次に私が医師の注意をそらす。その間に彼は2度目も同じ側の脚をたたかせるように仕組んだんだ!」さらに奇妙な符合として、ステイシーのメインメカニック、ビル・ボッサムは隻腕だったという。クロンバックは奔放なステイシーが「ジャガーXK140のシートに立ち、ハンドルを回す時だけかがみながらキングズ・ロードを駆け抜ける」様子を振り返った。彼の障害と死は無関係で----事故の原因は鳥が顔を直撃したためだと考えられている。

アンドレ・デュボネ

デュボネは個性豊かなキャラクターに事欠かなかった時代でも、とりわけ風変わりなドライバーだ。フランスの有名アペリティフ・メーカー一族の出身で、享楽やレースに熱中する人生を謳歌(おうか)した。1924年のオリンピックにボブスレー競技の選手として参加し、4度も結婚を経験。第一次世界大戦中は1、2を争う戦闘機パイロットとして名をはせたという。1920年代には自動車に金を注ぎ込み、イスパノ・スイザやブガッティからレースに出たが、チームメイトとしては必ずしも理想的なタイプではなかった。1926年イギリスGPではレースを率いていたロバート・ブノワがデュボネと運転を交代。しかし背広とベレー帽姿のデュボネはそれまで一度もブルックランズ・サーキットを走ったことがなく、結局3位に転落した。また彼は多くの発明に投資しており、その中にはゼネラル・モーターズに売りつけたサスペンション・システムなども含まれている。家族会社は1960年代に売却され、デュボネはその熱意を太陽エネルギーに向けた。それでも、ぜいたくな暮らしは高くつき、亡くなった時にはほとんど無一文の状態だったという。

ジル・ビルヌーブ

タイトルを取ることのなかった最も偉大なドライバーとして知られるジルは、1982年ベルギーGPの事故で生涯を閉じるまで、その短いキャリアの中で強い印象を残した。あまりにも危険を冒してばかりいたため、彼は天から与えられたわずかな時間を生きていたのだとシド・ワトキンス教授は信じている。「彼は(運転中)"ギャップセオリー"なるものを信じていた----高速での衝突時には必ずどこかに入り込むすき間があるというね」ワトキンス氏はビルヌーブの運転でサーキットまで乗せてもらった時のことを振り返る。「赤信号は無視、止まっている車があれば、止まることもためらうこともなく押しのける。彼の妻と話そうと振り返ったが、彼女の姿はなかった・・・床に伏せていたんだよ。これがいつものことだと言わんばかりにね」ジルはしばしば、燃料計がほとんどゼロのヘリコプターで飛び立ち、送電線や鉄塔の間を縫って飛行した。「彼は僕らとは違うんだ」とジャック・ラフィットは言った。「別のレベルの存在だ。彼には恐れというものが欠如している」

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Martin Williamson is managing editor of digital media ESPN EMEA

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Martin Williamson is managing editor of digital media ESPN EMEA Martin Williamson, who grew up in the era of James Hunt, Niki Lauda and sideburns, became managing editor of ESPN EMEA Digital Group in 2007 after spells with Sky Sports, Sportal and Cricinfo