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特集:1992年アンドレア・モーダ

Martin Williamson / Me 2011年1月19日
1992年、F1史に残る波瀾万丈のシーズンを過ごしたアンドレア・モーダ © Sutton Images
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集団後方を走り続ける一部マシンの競争力不足に噴出する不満、USF1のエントリーをめぐる茶番劇。昨今のF1に参戦するためには、グリッドに着く前の段階で、ある程度の能力を示さねばならない。それは必ずしも財務力だけに限らないが、昔からそうだったわけではない。比較的最近まで、ある意味で注目を集め、グリッド最後方を、たいていはごく短期間、さまようチームも存在した。

1980年代中頃からの10年は、そうした絶望的チームの宝庫だった。1970年代までは、中古のレーシングカーを手に入れ、低予算でガレージを運営することさえできれば、プライベーターとしてエントリーすることが可能だったのである。しかしながら、1990年代以降はすべての費用が高騰しすぎた。

中でも最もバカバカしく、予算不足で見込みのないチームとして記憶に残るのは――アンドレア・モーダ。彼らの登場は1992年だった。公平に見ればレースに――たった1度とはいえ――出ただけでも、ましな方だったといえるが、その短い挑戦の間、ひっきりなしにFISA(当時のモータースポーツ統括団体、現在はFIAに吸収)を悩ませ続け、誰もが彼らの存在意義を疑問に思うほどだった。

イタリアの靴メーカーで、プレイボーイとしても知られたアンドレア・サセッティは大いなる野望を抱いていた。1991年の終わり、彼はコローニ・チーム――サセッティが登場しなければ彼らが史上最悪のチームとして名を残したかもしれない――を買い取る。価格は1,200万ドルだったと言われており、彼らは1992年シーズンに向けて準備に取りかかった。

初めから不穏な兆しはあったのだ。『Formula One International(フォーミュラ・ワン・インターナショナル)』誌に掲載された、必要以上に豪華なチームのパンフレットには"ヌードの女性サックス奏者のシルエット"が浮かび上がっていたが、それ以外の重要な情報はなかなか入ってこない。

イタリアの靴メーカーだったアンドレア・サセッティ © Sutton Images
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サセッティはオフシーズン中に2人のイタリア人ドライバーと契約――1人はドライバーとしてそこそこの才能を持ちながらも、過去2シーズンで約束されたキャリアを外れてしまったアレックス・カフィで、2人目は3年前にコローニで6度予備予選落ちを喫した不屈の精神の持ち主、エンリコ・ベルタッジア。一方、マシンに関してサセッティはすでに旧型となっていた1991年製コローニを選び、全体を黒に塗り替えた。

「アンドレア・モーダ・ジャッドは元コローニであり、まずは2台とも予備予選通過を目指すべきだろう」とジョン・ワトソンはシーズンプレビューで『BBC』に語った。「大変残念だが、彼らにできるのはそれが精いっぱいだ」

新シーズンの開幕直前になって、サセッティはさっそくFISAと対立。新規参戦者に課される10万ドルの保証金を請求されたことが原因だった。彼は既存チームをリブランドしただけだと主張し、支払いを拒否。サセッティの言い分が正当といえる先例もあったが、FISAとの交渉においては必ずしも有効とは言えない。

少人数のアンドレア・モーダ一行は開幕戦の舞台となる南アフリカに飛び、予備予選の前日、カフィはキャラミで数ラップの初走行をこなす。だが翌朝サーキットに到着すると、彼らの前にFISAのオフィシャルが立ちはだかった。コローニはチームを売り渡しただけで、F1の参戦権を売ったのではないとの見解を突きつけ、保証金の支払いを求めたが、サセッティは拒否。チームは失格となった。

ヨーロッパに戻る途中、サセッティは保証金を払ったとしても、規定によってFISAから旧コローニのマシンを使うことを禁止されるかもしれないと忠告を受ける。その後シムテックのニック・ワースから連絡を受けた彼は、発注されながらも採用されなかったデザインを2つ買い取っている。

アンドレア・モーダのメカニックたちは、次のレースまで3週間以内に新しいマシンを組み立てなければならなかった。ノンストップで作業を続け、追加報酬を受け取ってアルバイトに来た他チームの専門家の助けも受けながら、彼らは周囲の予想に反し、メキシコにS921シャシーを送り出す。マシンの出来についてうわさは多々あったが、予備予選が始まろうという時になって、サセッティは出走を取りやめた。

メキシコのピットレーンに姿を現したアンドレア・モーダS921 © Sutton Images
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その理由についてサセッティは、すべての機材をコースに持ち込めなかったためだと主張したが、周囲は単純にマシンが走れる状態ではなかったのだろうと考えた。FISAは激怒し、チームの後援者たちも渋い表情を見せる。カフィとベルタッジアはまたしても何もできないまま、いら立ちを募らせることしかできなかった。

「最初のテストは良かったんだ。人々も優秀だったし。でもその後・・・よく分からないけど・・・いろいろなことが起きた」とカフィはしばらくして振り返った。「サセッティは・・・クレイジーな男で、結局すべてを台無しにしてしまった」

さらに予測不能な行動に出たサセッティは、怒りをぶつけたドライバーたちを2人とも解雇し、ペリー・マッカーシー、ロベルト・モレノと契約。前者は一度もF1でレース経験がなく、後者はささやかではあるが、ベネトン時代に表彰台経験もあるドライバーだった。

チームはメキシコからブラジルへと向かうも、走行できるマシンが2台そろっていないのではないかといううわさが絶えず、その疑惑を晴らすこともできなかった。急きょ登録されたマッカーシーのスーパーライセンスは、同様の速さでインテルラゴスに着いた途端に取り消される。モレノはどうにか予備予選出場を果たしたものの、全体のペースを15秒も下回っていた。

その後、サセッティには恥辱を晴らす時間が1カ月あった。働きかけの結果、マッカーシーのライセンスを取り戻すことに成功したが、その数日後、事態は複雑化する。シートを取り戻そうとしたベルタッジアが連絡し、スポンサーを引き連れてきたためにサセッティがそれに飛びついたのだ。ところがアンドレア・モーダはすでに認められているドライバー交代枠を使い果たしているとFISAから指摘される。それ以来、マッカーシーを目の敵にしたサセッティはあらゆる妨害手段に打って出た。

スペインGP予選でわずか16m余りを走って動かなくなったマッカーシーのマシン © Getty Images
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イモラで短いテストを終えたチームが次に向かったのはスペインGPの舞台バルセロナ。ピットのそばを通った誰の目にも、マシンが1台しか走れないのは明らかだった。モレノのマシンは予備予選で1周目に壊れたが、ピットレーン出口から18ヤード(約16.5m)でエンジンが音を上げたマッカーシーよりましだろう。モレノは再びコースに戻り、3周を走り切ったが、再びストップ。それでもブラジルに比べて進歩はしており、ペースは10秒遅れに改善していた。

次なる開催地はサン-マリノ。予選通過こそならなかったがモレノにはさらなる進歩が見られた。だがチームメイトと比べても8.5秒遅れのマッカーシーは、ディファレンシャルのトラブルで脱落。

モナコでも状況は悪化の一途をたどる。3周目にピットに呼び戻されたマッカーシーは、そのままリタイアを強いられた。自分より速いチームメイトのためにスペアが必要だというのが理由だった。適切なレースシートが用意されていなかったとも言われており、ほんのわずかな周回だったとはいえ、マッカーシーの体はあざだらけだったに違いない。

一方のモレノはというと、ブラバムのデイモン・ヒルらを破って予選を通過し、周囲を驚がくさせた。最後尾グリッドからのスタートで、オーバーテイクなどできるはずもなかったが、リタイアが相次いだこともあって19番手までポジションを上げる。しかし結局12周目にエンジンが壊れてリタイア。

これでトラブルも出尽くしただろう、そうアンドレア・モーダの関係者が考えたとしたら大間違い。モナコの直後、イタリアの海岸にあるサセッティのナイトクラブが焼け落ち、炎から逃げる際に彼は銃撃を受けた。チームは2台のS921シャシーを持ってカナダ入りしたが、なんと、そこにはエンジンがなかった。貨物機が嵐のために緊急着陸を強いられ、再離陸の際に積み荷のいくつかを下ろさねばならず、空港に置き去りにされたというのが彼らの説明だった。だが、それよりもサセッティがジャッドにエンジン代を払っていなかったという話の方が、真実味があると皮肉られた。

モナコで予備予選通過に挑んだマッカーシー © Sutton Images
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サセッティはブラバムからエンジンを借り受けたが、モレノはまたしても予備予選で大幅な遅れを取った。この件に関してはサセッティの責任ではなかったかもしれないが、チームが崩壊し始めると、真っ先に逃げ出したのはマネジャーのフレデリック・デノーだった。

彼らは2週間後のフランスGPでも評判を悪化させる。トラックドライバーによるストライキで国内の多くの幹線道路が封鎖されてしまい、アンドレア・モーダ・チームはマニクールにたどり着くことができず。しかし、それ以外のチームはすべて到着しており、彼らは経費節約のためにわざと行かなかったのだといううわさが流れた。釈明はさらに続いたが、とうとう残っていたスポンサーのほとんどが離れてしまい、スタッフの流出も止まらなくなった。

イギリスGPの頃にはアンドレア・モーダのマシンからスポンサーの名前はほとんど消えており、黒一色となっていた。走行を終えたモレノのマシンからパーツを乗せ替えなければ走れないマッカーシーは、ドライコンディションのコースに古いウエットタイヤで送り出され、タイムはモレノよりさらに16秒遅れ。最後はクラッチの故障で1日を終えた。ドイツでは重量検査の不手際で、失格処分となった。

8月中旬のハンガリーGP。他チームの撤退によって予備予選で振り落とされるのは1台だけとなり、アンドレア・モーダは1台を予選に進める保証を得た。だが、マッカーシーがこれで自分にも希望があると考えたなら、これまた大間違い。彼がコースインした時、セッションの残り時間はすでに45秒。タイムを出すことすらかなわなかった。結局モレノも予選を通過できずに終わっている。

すでに笑いものになっていたアンドレア・モーダにうんざりしていたFISAは、サセッティに最後通告を突きつけ、マッカーシーのマシンを走らせなければチームを出場停止にすると宣告した。

さらに撤退が相次いだことで、スパでは予備予選がなくなり、マッカーシーのマシンも機能していたが、どちらも予選通過はならず。さらに彼は重大なステアリングトラブルに見舞われる。しかも、エンジニアたちはその問題を把握していたという。「どうにかして全開でいこうと必死でオー・ルージュに入ったんだ。そうしたらステアリングが機能しなくなった。どうやってコーナーを切り抜けたのか、自分でもいまだに分からない」と彼は思い返す。メカニックに詰め寄ったが、彼らは気にも留めず「ああ、知っている。それは前のレースでダメになってロベルトのクルマから外したやつだからね」と言い放ったとのこと。

その数時間後、ベルギー警察は請求書を偽造した詐欺容疑でサセッティを逮捕。ついに堪忍袋の緒を切らしたFISAは、スポーツの信用を失墜させたとしてアンドレア・モーダを即刻追放処分とした。

だがFISAとサセッティの間にはもうひともんちゃくあった。頑として決定を受け入れようとしないサセッティは、イタリアGPの開催地であるモンツァにトランスポーターを向かわせたのだ。結局は追い返されて終わったのだが。

「私がチーム内で受けたさまざまな仕打ちを抜きにしても、FISAの立場はとてもよく理解できるよ」とマッカーシーは言う。

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Martin Williamson is managing editor of digital media ESPN EMEA

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Martin Williamson is managing editor of digital media ESPN EMEA Martin Williamson, who grew up in the era of James Hunt, Niki Lauda and sideburns, became managing editor of ESPN EMEA Digital Group in 2007 after spells with Sky Sports, Sportal and Cricinfo