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  • 親子2代にわたる成功者

トップ10:父と息子

Martin Williamson / Me 2010年12月17日
洗礼式でのデイモン・ヒル。おもちゃの車に乗る彼を見つめるのは左からブルース・マクラーレン、スターリング・モス、トニー・ブルックス、父グラハム・ヒル、ジョー・ボニエ、ウォルフガング・トリップスという偉大なドライバーたち © Getty Images
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著名な父の足跡をたどるプレッシャーは息子にとって強大であるにもかかわらず、何かが彼らをそこへと駆り立てるようだ。著書『Burning Rubber(バーニング・ラバー)』の中でチャールズ・ジェニングズはつづる。「容赦ない比較、安っぽいあら探しに矢継ぎ早の非難・・・匹敵するのはおろか、しのぐことなどまず不可能と考えられる栄光を手にした著名な先例になぜわざわざ挑もうなどと思うのか。しかしそれでも彼らはやってくる。父を越えねばというエディプスコンプレックスが誰よりも強いとでも言いたげに」

【グラハム&デイモン・ヒル】

この世に生を受けた瞬間から、デイモン・ヒルはマシンやドライバーに囲まれていた。2度の世界タイトルを手にしたグラハムの息子とあって、後を継ぐのは彼の運命のように思われた。だが彼の場合、父がそのレールを敷いてくれたわけではない。デイモンが15歳の時、グラハムは飛行機事故で死亡。彼は生活のため、バイク便の仕事を始めた。23歳まで4輪の経験はなく、続けるために10万ポンドの借金までした。31歳になってようやく(ブラバムから)平凡なF1デビューを果たすが、1993年のウィリアムズ入りで秘めていた才能が開花し始める。一度はチャンスを失ったようにも見えたが、ウィリアムズでの最後のシーズンとなることが決まった1996年、初の親子2代ワールドチャンピオンに輝き、ヒルの名を歴史に刻んだ。このリストに挙がった他のドライバーたちと違い、デイモンの成功は逆境の中、彼自身の力で成し遂げたものだ。

【ジル&ジャック・ビルヌーブ】

1982年にゾルダーで事故死したジルの評判はコース内外であまりにも高く、当時11歳だったジャックが偉大なファミリーネームを継ぐことは不可能と思われた。しかし、1995年にCARTシリーズチャンピオンの座を手に入れ、F1に来て2年目(1997年)でタイトルを獲得したジャックは自らの名前でその評判を高めていく、はずだった。以後のキャリアは低迷し、その後9年間で表彰台が4回――優勝はなし――という結果に終わっている。ジェニングズはこう記す。「時に優れた才能の片りんを見せるジャックではあるが、ビルヌーブの名を伝説にしているのは、やはりジルの圧倒的な存在だ」

息子に声を掛けるネルソン・ピケ © Getty Images
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【ネルソン&ネルソン・ピケJr.】

3度のワールドタイトルを獲得したネルソンは優れたドライビングに定評がある――ニキ・ラウダは彼を"ミスがなく、常に速く、乱れがない"と称した――が、複雑なキャラクターでもあった。人の感情を逆撫でする性格で毒舌、いたずら好きで、プライドの高い彼は多くの人に愛されると同時に嫌われもした。巨額の富を築いた彼――1988年には年俸650万ドルだったと言われる――は引退後、資金とファミリーネームを使ってピケJr.のためにモータースポーツ界の扉を次々と開いてやった。ピケJr.も悪くないドライバーだが、父のレベルには及ばない。クラッシュゲート騒動で彼のF1キャリアは終わってしまったものの、事件発覚後に数々の大言壮語を並べ立てていたのは父の方である。

【ジャック&ゲイリー&デビッド・ブラバム】

ジャックもまた、後に続くのが難しい偉業を成し遂げた人物だ。3度のワールドチャンピオンに輝いたばかりでなく、1966年の最後のタイトルは、3年前に自身が設立したチームで獲得したものだった。デビューから16シーズンを経た1970年、44歳にしてなおグランプリに勝てるほどの力を持っていた。ゲイリーは1990年にライフから2戦に出場、弟のデビッドは1990年と1994年にフルシーズン参戦を果たしたが、いずれも下位チームで不発に終わっている。デビッドが最初に所属したチームはブラバムだったが、数年前に父は事業を売却していた。長男ジェフの息子、ジャックの孫にあたるマシューがF1に来れば3世ドライバーとなる。彼は現在オーストラリアのフォーミュラ・フォードでレースをしている。

【アントニオ&アルベルト・アスカリ】

アントニオ・アスカリはイタリア、ベルギーで勝利をつかみ、わずかな間、偉大なドライバーの仲間入りを果たすかに思えた。しかしながら、1925年のフランスGPでレースをリード中に事故死してしまう。それにも臆さず、アルベルトはF1の初期にトップドライバーの一員となり、1952年と1953年にフェラーリで17の選手権レース中11勝を挙げてワールドタイトルを手にした。彼も父と同様マシンのクラッシュで亡くなっている。モンツァでのテスト中の出来事だった。どちらも享年36。場所は高速の左コーナーで、妻と2人の子供を遺している。また2人とも非常に迷信深かったという。

【ケケ&ニコ・ロズベルグ】

息子が著名な父を上回った唯一の例がアスカリ親子だとすると、ニコ・ロズベルグには父に匹敵する才能があると言える。チェーンスモーカーの健康マニアだったケケについて、ラウダは"信じられないほど熱中する性質(たち)"だったと称している。1982年のチャンピオン(シーズン中1勝しかしていない)で、1985年にも同じウィリアムズで3位に入った。息子ニコのモータースポーツ入りとスポンサー集めには協力したものの、2006年以降のニコの評判は彼自身が確立したものだ。

2007年、Honda Racing F1のマシンでテストするマルコを見つめるマリオとマイケル・アンドレッティ © Getty Images
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【マリオ&マイケル・アンドレッティ】

イタリア移民の息子だったマリオ・アンドレッティはアメリカンモータースポーツで活躍後、35歳でF1のフルタイムドライバーになった。コースの外でも人気者で、技術にも長け、1978年のワールドタイトルを獲得。再びアメリカに戻り、50代まで10年間トップレベルで走り続けた。マイケルもまたアメリカで成功を収めたが、父に続いたのはそこまで。マクラーレンで1シーズンを過ごしたものの、結果を残せずに解雇されてしまう。後にマイケルの息子はチームが契約金の安いミカ・ハッキネンを雇うために"手抜き"をしていたと告発した。これに対し、ヨーロッパに拠点を移すことを拒否したアンドレッティの態度が批判され、低迷は技術的な限界によるものという反論も出た。マイケルの息子マルコが2007年にHonda Racing F1でテストしている。

【マンフレッド&マルクス・ヴィンケルホック】

マンフレッド・ヴィンケルホックのF1キャリアはそのほとんどが集団後方、信頼性不足のマシンでのものだった。唯一のポイントフィニッシュは(トップ2台が失格となった結果)5位に入った1982年のブラジル。アメリカの耐久レース中にその父が事故死した時、マルクスは5歳。彼のF1キャリアはわずか1戦、それも15周で終わった。だが、ニュルブルクリンクを嵐が襲う直前、唯一ウエットタイヤでスタートするというギャンブルに出たおかげで、一瞬だけラップリーダーの栄誉を甘受している。マンフレッドの弟ヨアヒムとトーマスはいずれもレースでそこそこの才能を発揮した。

【中嶋悟&一貴】

34歳と遅咲きのF1デビューだったが中嶋悟は74戦出走を果たし、表彰台こそないものの、トップ6入りを10回達成。現在はナカジマ・レーシングの運営で成功を収めている。ここに挙げられた多くの父親たちに比べると、その業績は控えめではあるが、日本人初のフルタイムF1ドライバーであり、パイオニアとして認められている。息子の一貴は2007年から2009年にかけてウィリアムズから参戦――デビュー戦で2人のメカニックをはねるという波乱の展開だった――最高位は2008年オーストラリアの6位フィニッシュ。2009年末でチームを去り、ステファンGP入りがうわさされたものの、結局チームがグリッドに着くことはなく、一貴のシートは失われた。弟の大祐もレースに出場しており、悟氏によれば大祐の方が速さはあるという。

【ハンス&ハンス・ヨアヒム・シュトゥック】

偉大なドライバーの先例に倣うだけでも十分な試練だ。だが、その父がハンス・シュトゥックのように特徴的な人物となると、もはや不可能に近い。シュトゥックSr.は、1930年代のオート・ユニオンを代表するドライバーの1人で、バックしながらでも勝てると豪語、ギアを逆さまに組んで勝利して有名になった。1926年のこと、名うてのプレイボーイだったオーストリアのジチー伯爵と出会い、シュトゥックのアウストロ・ダイムラーより自分のブガッティの方が速いと挑発された。勝ったらカウントの妻をもらうという条件でスピード勝負の賭けに乗る。結果はシュトゥックの勝利。カウントの妻と彼は、彼女が1931年に亡くなるまで幸せに過ごした。ハンス・ヨアヒムのF1での6シーズンは立派だが、それ以上のものではない。1977年の3位がキャリアのハイライトだった。彼はその後、スポーツカーレーシングではるかに大きな成功を収めた。

最後にミハエル・シューマッハのコメントを紹介しておこう。息子のミックがF1ドライバーになりたいと言ったらどんなアドバイスをするかと尋ねられ、彼はこう答えている。

「できれば、レースコースではなく、ゴルフコースにでも連れ出したいね。僕はジャック・ビルヌーブ、デイモン・ヒル、あるいは弟のラルフを見てよく知っている。名前がどれほどの重圧になるかということをね」

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Martin Williamson is managing editor of digital media ESPN EMEA

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Martin Williamson is managing editor of digital media ESPN EMEA Martin Williamson, who grew up in the era of James Hunt, Niki Lauda and sideburns, became managing editor of ESPN EMEA Digital Group in 2007 after spells with Sky Sports, Sportal and Cricinfo