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  • 1977年カナダGP

特集:ハント・ザ・パンチ

Martin Williamson / Kay Tanaka 2010年12月8日
1977年、ディフェンディングチャンピオンとして難しいシーズンを送ったハント © Sutton Images
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ジェームス・ハントが1976年のドライバーズ選手権を制したことを、周囲はおおよそ歓迎ムードだった。時代に逆行する存在として知られた彼は、酒を食らい、思う存分遊び、女性を追いかけて世界を飛び回るような尊大な人物だったのだ。その無鉄砲な生き方は熱狂的なファンを虜(とりこ)にした。

しかしディフェンディングチャンピオンとして迎えた1977年シーズンは物事がうまく進まなかった。結果を残すことができず、ドライバー仲間や関係者たちとの口論も増える。マリオ・アンドレッティは「確かに彼はワールドチャンピオンだ。問題なのは、彼が世界を支配する王様になったと考えていることさ」と批判。F1ジャーナリストたちはハントに、最も非協力的なドライバーとの称号を与えている。

シーズン前半戦におけるハントはランキング9位にとどまり、表彰台も2位に入ったブラジルGPだけ。そのレースでは優勝の可能性があったものの、トップ走行中にギア操作に問題があり2位に転落している。どうやらハントが駆っていたマクラーレンマシンに機械的なトラブルがあったようだが、ハントの特徴として知られるテスト嫌いのせいもあった。

それでもシーズン後半戦には事態が好転し、8レース中完走した3戦すべてで勝利。特にウエットコンディションのアメリカGPでは、アクシデントに見舞われたマクラーレンマシンが再び信頼性の問題を抱える中で輝かしい走りを披露している。

全17戦中第16戦として開催されたカナダGPはモスポート・パーク(モスポート・インターナショナル・レースウェイ)が舞台となった。すでに前戦のアメリカ東GPでタイトル獲得を決めていたニキ・ラウダは契約を巡ってフェラーリと対立し、シーズン終盤の2戦を欠場すると表明。これにスポンサーや外部関係者が怒りを示すも、ハントは「彼にさらなる力があらんことを・・・。面倒なことがたくさんあれば、耐えることしかできないわけだし」と理解を示した。

ワトキンス・グレンで勝利したハントは、カナダGP予選でロータスを駆るアンドレッティに次ぐ2番グリッドを獲得。

アンドレッティとハントが他の25名のドライバーより速いことはレース開始直後に明らかとなる。58周目までにはハントのチームメイトで、すでにマクラーレン離脱が決まっていたヨッヘン・マス以外の全ドライバーを周回遅れにしたのだ。

モスポートでクラッシュを喫する前のハント © Sutton Images
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その翌周、マスを追い抜こうとした際に2輪を芝生に乗り上げてしまったアンドレッティがハントにかわされる。直後、ハントはマスに迫ってイン側からオーバーテイクを仕掛けたものの、マスはアウト側から抜くことも可能だったと主張し、手を上げて抗議。

「彼(マス)のすぐ後ろにいたんだ」とお得意のぶっきらぼうな口調で説明するハントは「左側に寄るしかなかったのに、急に彼が左に動いた。そしてブレーキを踏みつけ、右から抜けと手を振ったんだ。しかし、その時には彼を避けることができず、後ろから突っ込んでしまった」と話す。

一方のマスは「彼が自分のマシンに後ろから突っ込んできた。なぜ彼が判断をミスしたのか分からない。僕としては故意にやったわけではないから。過去にそのようなことはなかった」ともコメント。この6週間前に行われたオランダGPでは、ハントがアンドレッティをイン側からかわそうとして接触している。これについてアンドレッティは「ハントはグランプリのレースではアウト側からかわしちゃいけないと言っている。バカバカしいヤツだ」と批判している。

そのオランダGPでは2台共にリタイアに終わったが、今回のマクラーレン同士の接触ではマスが走行を継続。しかしハントのマシンは制御不能になり、時速160kmで防護ネットに突っ込んでしまった。

自身のF1キャリアで最悪のインシデントと表現するハントはなかなかマシンから抜け出せなかったものの、最終的には自力でステアリングホイールを外して脱出。マシンを降りたハントは安全のためにタイヤバリア方面に歩くのではなく、怒りを表してコース外へと向かう。これに対してマーシャルは穏やかに静止するも、ハントは鋭い右フックを放ってマーシャルをダウンさせた。自らのやってしまったことに気づいたハントはすぐに後悔したようだが、マーシャルはすぐに自らの安全を確保している。

ピットに戻ったハントはマスがマシンに乗って横を通過するたびにげんこつを振りまわした。マスは3位入賞を果たしたが、勝利したのはジョディ・シェクター。アンドレッティのロータスは残り2周のところでエンジントラブルを抱えたため、シェクターは予想外の勝ち星を手にしたのだ。

ハントとマスがすぐに和解することはなかった。ハントがわめいていたと語るマスは「ジェームスは早く口を開くことがよくある。残念なことだ」と述べている。

ハント、恋人のジェーン・バーベックと共に © Sutton Images
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一方、レーススチュワードはハントと面会し、マーシャルを殴ったことについて2,000ドル、"危険なマナーを伴いながら"ピットに戻ったことについて750ドルの罰金を科す。

レース後、イギリス各紙には"ハント・ザ・パンチ"や"プリマドンナの殴り合い"という見出しが踊った。ハントの母親も取材を受け「いつもの息子は人々を殴ったりはしません。しかし、彼はすぐに頭に血が上りますし、ドライブしている時はなおさらそうです」とコメントしている。

ハントの熱しやすい性格はよく知られていた。まだF3に参戦していたキャリア初期、ハントはクラッシュ後に相手のドライバーをたたいたことがある。また1976年にはパトリック・ドゥパイエとクラッシュした後、トム・プライスにブロックされたと思い、腹を立てて接触したこともある。

最終戦の日本GPでは勝利を収めたハントだったが、翌年は完全に勢いを失い、F1活動と人生における嫌気が増したようだ。自らの熱狂が急速に失われていったことは、本人も認めている。1979年、散々な7レースを戦った後にハントは31歳にして引退を決断した。

ハントにとってF1は味気ない舞台だったのかもしれないが、彼が引退したことによって他のドライバーたちはモータースポーツ特有のよくある危険だけでなく、パンチを受ける危険がなくなったことで安眠を取り戻したに違いない。

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Martin Williamson is managing editor of digital media ESPN EMEA

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Martin Williamson is managing editor of digital media ESPN EMEA Martin Williamson, who grew up in the era of James Hunt, Niki Lauda and sideburns, became managing editor of ESPN EMEA Digital Group in 2007 after spells with Sky Sports, Sportal and Cricinfo