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  • 2010年ベルギーGPで迎えた大台

Mr. 300 - ルーベンス・バリチェロ

Adam Hay-Nicholls / Jim 2010年9月24日
ベルギーGPで通算300戦目を達成したルーベンス・バリチェロ © Sutton Images
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ルーベンス・バリチェロが17年に及ぶF1キャリアの重要な局面に達した感想を『GP Week』に語った。

Q: 300戦目を迎えられたお気持ちはいかがですか?

ルーベンス・バリチェロ: 最高の気分だよ。ちょっと感動するのは300(戦)にして、この自分の競争力。(リカルド)パトレーゼは256戦目で陰りが見えていたと思う。彼はもっと長くレースできたかもしれない。でも僕は力がみなぎっている。休みでブラジルに戻ると、1週間後にはまたマシンをドライブしたくなる。妻は僕が永遠にレースをやるつもりなんじゃないかって、おびえているよ。

Q: どなたかが指摘されていましたが、世界選手権のレース全体で言うと3分の1近くに参戦していらっしゃるようですね・・・。

バリチェロ: ワオ、かなりすごいね。"君が誰よりもオー・ルージュを駆け抜けた奴だ"と言ってくれた人もいたな。そういうのは考えたことがなかったけど、いい気分だね。

Q: この偉業達成の秘けつは何でしょう?

バリチェロ: 困難は決して楽しくはないけれど、笑顔で乗り越え、そこから学ぶ。これが最大の秘けつかな。人生のいいところは困難に直面してもそこから学んで成長できること。僕は毎年一歩ずつ、人としてもドライバーとしても成長してきた。いつも自分に正直に生きてきたんだ。ミスを犯したときは自分がミスをしたんだと正直に認める。チームもよく理解してくれていると思うよ。それがこれだけ長くやれた理由かもしれない。

Q: ご自身にまだ貪欲さがあることに驚きはありますか?

バリチェロ: 休みは早く終わって欲しいよね・・・よく分からないけど、不思議とね。(今年の夏休みは)ブラジルに数週間戻り、月曜日からは1時間早く起きてエクササイズをしていた。ヨーロッパの時間帯に合わせていたかったんだ。いつも妻が隣にいるから彼女にはちゃんと言っていたんだけど、僕が4時に起きてジムに行った日には"バカじゃないの"と言われてしまったよ。その3週間は古いビデオテープをDVDに焼いたり、それを見たりしていた。5時に家に戻っても子供たちは寝ているし、妻も寝ていたから何かするしかなかったのさ。皆は7時に起きて学校に行く。その頃僕はもうすっかり目が覚めている。昔のレースを見るのはおもしろかったよ。

Q: いつのレースをご覧になったのですか?

バリチェロ: ビデオに録っていたフォーミュラ・フォード、F3、F3000のレース。あの頃のレースはよく見るんだ。自分がミスをしたレースがあったのだけれど、1カ所か2カ所ほど"んー、何があったんだろう?"と思うことがあってね。何が壊れたのか憶えていないんだ。それはちょっと悲しかったかも。だけど、記憶力には自信がある。

Q: あとどのくらい長く続けられると思われますか? 先ほど奥さまが心配されているとおっしゃっていましたよね?

バリチェロ: 彼女は僕にやめて欲しいと思っているなんて一度も言ったことはない。子供たちは間違いなく僕が一生レースを続けると思っているし、彼らはうれしそうだ。引退すると言うのは難しい決断になるだろうと思う。でも、一方で僕は自分に正直だから、コーナーを走っている時にあまり喜びを感じなくなる日がくれば、まさにそれがやめ時なんだと気づくことになるだろう。

フェラーリで6年を過ごしたバリチェロ © Getty Images
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Q: キャリアの中で後悔されていることはありますか? 例えばフェラーリで過ごした時間など・・・。

バリチェロ: いや、後悔は何もないよ。僕を成長させてくれたからね。"そうだよ、まだチャンピオンシップは勝ったことがないじゃないか"と言われるかもしれない。うん、その通りだ。だけど、僕はたくさんのことを学んできたし、常に成長し続けてきた。僕が今もF1で活動し続ける理由はワールドチャンピオンになりたいという目標が今でもあるからだ。きっと皆はバカだと言うかもしれない。でも、Hondaに乗っていた2008年は自分が表彰台に上れるなんて言うことすらできなかったのに、(その翌年は)それができた。"フェラーリで最悪の時間を過ごしたのなら・・・"と言われても、僕はそう思わない。僕は皆と最高の時間を過ごしてきたのだから。同じように扱ってもらうためにずっと戦っていたことは確かだけど、ある日、"OK、分かった、彼らは僕に同じ条件を与えてはくれない"と気づき、そこから別のことを探さなきゃいけないと思った。だから1年早くチームを離れたんだ。とはいっても、その数年に乗っていたマシンは他のすべてのマシン以上に優れていた。マイケル(シューマッハ)がいても、優勝のチャンスはあったしね。ジョーダンやスチュワートでレースをした頃は本当に楽しかったし、喜びもたくさんあったけど、勝てるマシンじゃなかった。だから、フェラーリで過ごした数年は最高の時間だったと思っている。

Q: フェラーリ時代にマイケルにあれだけの比重が置かれていなければ、あなたが世界チャンピオンになった可能性はあると思われますか?

バリチェロ: そうは言えないよ。まず、"イエス"と答えるのはとても簡単だけどね。もうあの頃に戻れるわけじゃない。僕の人生が変わるわけでもない。所属したすべてのチームに捧げてきたものや、どれだけ努力したかは自分が分かっている。僕はそのすべてのチームで素晴らしい時間を過ごしてきた。これは正直な気持ち。だから、僕がチャンピオンになれていたかもしれない、と考えても何の意味もない。僕は今でもそのために戦っているのだから。

Q: 引退を考えたことはありますか?

バリチェロ: 一度も頭をよぎったことはない。自分の夢をしっかり持って、ずっとがんばり続けてきた。キャリアの中で一番つらかったのは1996年。ジョーダンとの契約がなくなった時だ。スチュワートとの契約にこぎつけられたけどね。その時だけさ、僕がインディカーでレースをしようかと話したのは。それを除けばF1のことしか考えていない。

Q: これだけ長くF1で過ごしていらっしゃいますが、どのコーナーに一番興奮しますか? またどのマシンが最もエキサイティングですか?

バリチェロ: 何度もV10(エンジンの)マシンを駆ってアクセル全開でオー・ルージュを駆け抜けた。その後に続く直線ではずっと冷や汗さ。いくらか危険度はあるけど、その分楽しさもある。僕はそれを何度も経験できた。でも、たったひとつを挙げるのはできない。楽しいところはたくさんあるからね。マレーシアの2つのコーナーはものすごい。シルバーストーンのコプスも最高。だけど、アドレナリン具合と危険度についてはオー・ルージュがいい例だね。V10マシンの方がもっと難しかった。今のV8だと、全開に近いけど全開じゃないところだから、ウエットならスリルがあるかもしれない。ドライだと、(燃料を)160kg載せていれば興奮を味わえるだろうけど、空のタンクじゃそうはいかないだろう。

Q: ハンガリーでのシューマッハとのインシデントではウオールに接近されたわけですが、その時、"ああ、もしかしたら深刻な何かが起きる前にやめるべきかもしれない"とは思われなかったのですか?

バリチェロ: (ウオールは)見えてなかったから。迫っているなとは思ったけど、ウオールが近いというのは、正直に言うと、テレビを見て初めて知った。オーバーテイクは必死でやらなきゃいけないから、僕が見ていたのはマイケルで、ウオールじゃない。正直に話すと、彼がどんどん来ているのは分かったけど、一歩も引こうとは思わなかった。僕はオーバーテイクしてやる、成功させてやる、と、それしか思っていなかったから、あの時は何の恐怖も感じていなかったし、何が迫ってこようが気にしていなかった。ある意味、ウオールは一度も見ていない。ウオールがなくなって、マシンの中からも日陰が見えるくらいだった最後の瞬間の画像を最初に送ってくれたのはサム・マイケル(ウィリアムズ・テクニカルディレクター)だった。指、1本か2本分くらいだったかもしれないけど、幸運にも僕はウオールが迫っているのを見ていなかったからね。

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Adam Hay-Nicholls is editor of GP Week and Formula One correspondent for Metro UK and Metro International Adam Hay-Nicholls joined the F1 circus in 2005 as a founder and senior writer of The Red Bulletin - an irreverent and innovative magazine that was printed at the race track four times every grand prix weekend, and which achieved cult status. In 2010 he became editor of GP Week and is also Formula One correspondent for Metro UK and Metro International - the world's largest circulation newspaper