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  • F1のダークサイド

トップ10:F1事件簿

Fraser Masefield / Me
2010年8月25日
チームメイトのフェルナンド・アロンソを助けるためにわざとクラッシュを引き起こしたネルソン・ピケJr. © Sutton Images
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F1にはしばしば論争が巻き起こる。不名誉な理由でニュースのヘッドラインを飾った10大事件を振り返る。

【2009年:"クラッシュゲート"】

2008年シンガポールGPで予選15番手に沈んでしまったルノーのフェルナンド・アロンソ。レース12周目、給油とタイヤ交換のためにルーティンのピットストップを最初に行い、コースに戻ったのが彼だった。その3周後、アロンソのチームメイト、ネルソン・ピケJr.がターン17でウオールにクラッシュし、セーフティカーがコースイン。ピットレーンがオープンになるまでその後ろには行列ができた。そのため、先頭集団の大部分がピットストップ後はアロンソの後ろに戻ることになり、ピケJr.のタイムリーなアクシデントに助けられたアロンソが勝利する。ところが2009年ハンガリーGP後にルノーから解雇されて怒ったピケJr.は、レースでアロンソの状況を有利にするために、チームから故意にクラッシュするよう依頼されたことを暴露。FIAは直ちにルノーを謀略の疑いで告訴した。争わない姿勢を示したルノーはマネジングディレクターのフラビオ・ブリアトーレと、エグゼクティブディレクターのパット・シモンズがチームを離脱したと発表。ブリアトーレはF1とFIAが管轄するイベントからの永久追放、シモンズには5年間の追放が決まった。その後フランスの法廷で処分は覆されたが、両者とFIAの和解により、当面の間、F1とFIA管轄イベントには関わらないことで同意した。

【2007年:マックス・モズレーのセックス・スキャンダル】

2007年3月、タブロイド紙『News of the World(ニュース・オブ・ザ・ワールド)』がある動画を公開した。当時FIA会長だったマックス・モズレーが、5人の娼婦を相手にチェルシーのアパートの一室でSM行為をしているという衝撃的なものだった。モズレーは彼の家族とスポーツを辱めたことについては謝罪したが、ナチス風のコスチュームプレイをしていたとの報道は事実ではないと主張。自分の名誉を傷つけるための秘密工作が行われたとし、プライバシーの侵害を訴えた裁判で6万ポンドの損害賠償金と45万ポンドの裁判費用を手に入れた。

【2005年:インディアナポリスと3チームだけのレース】

2005年のアメリカGPはF1の歴史で最も物議を醸したレースだった。タイヤトラブルの頻発したミシュランからカスタマーチームらに対し、供給されたタイヤは安全にレースを完走できるものではないとの勧告が出された。2005年当時のルールではレース中のタイヤ交換が認められていなかったため、ミシュランユーザーたちはレースを棄権するしかなかった。結局フェラーリ、ミナルディ、ジョーダン勢の6台しか出走せず、茶番劇のレースとやゆされた。

【2009年:"ライゲート"】

レーススチュワードに偽証してスポーツの評判を傷つけたとして、マクラーレンがオーストラリアGPでのポイントをはく奪された事件。発端は、マクラーレン側が3位に入ったトヨタのヤルノ・トゥルーリに対し、セーフティカー中にハミルトンを違法にオーバーテイクしたとして抗議したことだった。閉じられたドアの向こうでハミルトンはスチュワードらに対し、トゥルーリをパスさせるような指示は受けておらず、故意にやったことではないと主張。しかし、後に無線の通信記録からマクラーレンがポジションを譲るよう伝えていたことが判明し、トゥルーリは再び3位の座を取り戻した。ハミルトンとマクラーレンはスチュワードに対し証拠に矛盾する証言をしてミスリードしたと判断された。ハミルトンは失格となり、マクラーレンはコンストラクターズポイントを失った。この件でマクラーレンのスポーティングディレクター、デビッド・ライアンが解雇されている。

【2002年:オーストリアGPのチームオーダー】

2002年のオーストリアGPは、演出されたフィニッシュとして永遠に人々の記憶に残るだろう。レースリーダーだったルーベンス・バリチェロに、フェラーリからミハエル・シューマッハを前に出し、勝たせるようにとの命令が出された。フェラーリはシューマッハにドライバーズチャンピオンシップでできる限り多くポイントを取らせたいと考えており、バリチェロは渋々この指示に従って、最終ラップのフィニッシュライン直前でシューマッハをパスさせた。その後FIAはレース結果に影響を及ぼすチームオーダーの禁止という新たなルールを設けた。

【2007年:"スパイゲート"】

F1を襲った最大のスキャンダルといえば、このスパイ事件だろう。元従業員のナイジェル・ステップニーが重要なテクニカルデータをマクラーレンのエンジニア、マイク・コフランに渡したとフェラーリが主張し、イタリアのモデナ地方検事が捜査を開始。FIAによる注目のヒアリングの結果、マクラーレンは不法な手段でフェラーリから情報を入手し、不正かつ詐欺的なアドバンテージを得たとしてマクラーレンにいくつかの処罰が下された。彼らはコンストラクターズランキングから除外され、1億ドルという記録的な罰金を科された。

【1994年と1997年:シューマッハのスポーツマンシップに反する行為】

1994年のオーストラリアGP、アデレードでデイモン・ヒルとクラッシュしたミハエル・シューマッハは初のワールドタイトルを獲得した。シューマッハは接触がレーシングインシデントだったとの主張を崩していないが、ヒルの方はシューマッハがダメージを負ったベネトンマシンで故意にぶつかってきたと言っている。そして迎えた1997年のヨーロッパGP、シューマッハは再びタイトルを手にするためにジャック・ビルヌーブを故意に押し出そうとする動きを見せた。だが2回目の試みは失敗に終わった。

【2009年:人種差別問題】

ワールドチャンピオンのルイス・ハミルトンをまねて顔を黒塗りにしたファンが2009年スペインGPの映像に映し出され、F1に人種差別主義の汚名が着せられた。2008年にも同サーキットのテストセッションで似たような事件が起きており、問題となっていた。この時は顔を黒塗りにし、"ハミルトン・ファミリー"と書かれたTシャツを着たグループが物議を醸し、FIAが人種差別反対キャンペーン『EveryRace(エブリ・レース)』を展開するきっかけとなった。

強引な手段で自ら問題解決を図ったセナ © Getty Images
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【1990年:セナvs.プロストとダーティライン】

どんな犠牲を払ってでも冷酷に勝利を追及するアイルトン・セナの姿勢は1990年日本GPではっきりと示された。ポールポジションを獲得したセナだったが、ポール側のグリッドに不満を感じていた彼は、コースのダーティサイドではなくレーシングライン側をポールにすべきだと主張。だが有利な側への移動を希望したセナの要望は拒否される。スタートでライバルのアラン・プロストに先行されたセナは、第1コーナーでプロストをリタイアさせてワールドタイトルを手に入れた。

【1994年:セナの死】

1994年5月1日、タンブレロでウオールに衝突した時、セナはほぼ即死だったと思われる。だがFIAとイタリア当局は彼が後に病院で死亡したと強硬に主張している。イタリアの法律ではスポーツイベントで死者が出た場合、すぐに調査が行われなければならず、イベントをキャンセルしなければならない。セナが即死だったとすると、レース主催者はレースを中止して推定650万ドルの損失を出すことになるため、これを避けるために死亡の発表を遅らせた可能性がある。この事故でウィリアムズ・チームは何年にもわたりイタリア検察当局から過失致死の容疑をかけられ、裁判で執拗に追及された。だが無罪判決を言い渡され、確定している。2004年に再審理が開始されたが、新たな証拠が出てこず、2005年に再びクローズされた。

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