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  • 永遠の問題児?

トップ10:シューマッハ事件簿

Laurence Edmondson / Me 2010年8月20日
マカオである意味有名になったシューマッハ © Sutton Images
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【1990年マカオ】

F1入りする前から、ミハエル・シューマッハは下手にバトルをしない方がいい相手として知られていた。F3においてマカオGPは特別な意味を持ち、このスポーツで成功を収めようとする新人ドライバーにとっては必勝のイベントだ。彼はそれをよく知っていた。シューマッハのリードで入ったファイナルラップ、その後ろには同じように闘志を燃やすミカ・ハッキネンがピタリと張り付いていた。勢いはハッキネンの方にあり、ストレートでスリップに入り、オーバーテイクの動きを見せる。しかしシューマッハがそれをブロックし、ハッキネンのマシンはバリアに衝突。ハッキネンは明らかに取り乱しており、そのまま優勝を飾ったシューマッハがライバルにブレーキテストをしたのではないかと言われている。

【1994年シルバーストーン】

1994年のイギリスGP、シューマッハはドライバーズチャンピオンシップで37ポイントもの大きなリードを築き、非常にコンペティティブなマシンに乗っていた。予選は2番グリッドだったが、フォーメーションラップ中にウィリアムズのデイモン・ヒルを2回もパスしてグリッドについた。レース開始後、シューマッハにストップ&ゴーペナルティが科されたという連絡がチームに入る。だがシューマッハはこれを無視。そのままレースを走り続けた。13周目、とうとう黒旗が提示されるがそれでもピットに入らず、本来ならペナルティによって中団に落ちるはずのところでアドバンテージを築いた。27周目、ようやくストップ&ゴーを消化するが、その頃には後続に対して巨大なギャップが出来上がっており、2番手で復帰。彼はこの行為で失格処分となり、後に2レースの出場停止が確定、イタリアGPとポルトガルGPを欠場した。またベルギーGPでもマシンのスキッドブロックに過度の摩耗が見つかり、失格になっている。

【1994年アデレード】

こうしたシューマッハの資格はく奪や欠場は、ドライバーズチャンピオンシップでデイモン・ヒルの追い上げを許した。F1サーカスが最終戦のオーストラリアにたどり着いた時、シューマッハのポイントリードはわずか1点まで削り取られていた。しかし、それがレース中の彼の行為に対する言い訳にはならない。レースをリードしながらもウィリアムズからプレッシャーをかけられていたシューマッハは自らラインを踏み外し、コンクリートバリアにマシンを衝突させてダメージを負った。その事実を知らなかったヒルは次のコーナーで彼をパスしようとインに飛び込んだ。だがその次の瞬間、シューマッハがライバルに向かってステアリングを切り、結果、2台ともリタイア。王座はシューマッハのものとなった。何年か後にヒルはこう語っている。「マイケル(シューマッハ)にはほかのF1ドライバーたちと一線を画す部分が2つある――絶対的な才能、そしてレーススタイルだ。前者については心から称賛を送るが、後者についてはつい冷めた目で見てしまう」

スパで再び刃を交えたシューマッハとヒル © Sutton Images
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【1995年スパ・フランコルシャン】

その圧倒的な輝きと同時にしばしばダークサイドを見せるシューマッハ。見ている側は彼を愛するべきか、憎むべきか分からなくなる。1995年ベルギーGP、彼は16番グリッドから優勝した。だが、やややり過ぎだったと感じた者は多かった。レース中盤までに雨が降り始めたため、先頭集団はウエットタイヤに交換すべくピットイン。しかしシューマッハはスリックのまま走り続けた。タイヤの温度はどんどん下がり、激しくスライドするベネトンのマシン。すぐにシューマッハはウエットタイヤを履いたヒルの射程圏内に入った。ヒルがシューマッハをパスするのが当然の流れだったが、シューマッハは激しく抵抗。それがラ・スルスのような低速コーナーでも、ブランシモンのような高速コーナーでもお構いなしにブロックを繰り返し、執拗にライバルの前にマシンをねじ込んだ。レース後、あれほど激高したヒルを見たことはない。「何度も危機一髪の場面があった。こんなことに巻き込まれるのはゴメンだよ、許容範囲を超えている。どういうつもりか知らないが、もし故意にやったのなら許せないね。F1マシンはゴーカートじゃないんだ。許されることとそうでないことがある」と語ったヒル。FIAも同じ考えだったようで、優勝は取り消されずにすんだものの、シューマッハには執行猶予付き1レースの出場禁止が言い渡された。

【1997年ヘレス】

フェラーリ移籍1年目の1996年は厳しいシーズンだったものの、この年、シューマッハはチームにとって1979年以来のタイトル獲得のチャンスを手にして選手権の最終ラウンドを迎える。1994年と同じように1ポイントのリードで最終戦に臨んだのだが、またしても過剰防衛で一線を越えてしまった。ドライ・サック・コーナーでシューマッハをパスしようとインサイドに飛び込んだビルヌーブ。シューマッハは――3年前のヒルへの動きを再現するかのように――右に切り込み、自らのサスペンションにダメージを負った。対するビルヌーブのウィリアムズは無傷だった。「でもクルマはすごく嫌な感じがしていた。すごく激しいぶつけ方だったんだ。軽く当たったとかいうレベルじゃなかったよ」と新ワールドチャンピオンに輝いたビルヌーブはレース後に語っている。一方、シューマッハの方はというとFIAにより、チャンピオンシップランキングから抹消されるという結末が待っていた。

【1998年モントリオール】

当時は罰せられなかったが、カナダGPでピットストップを終えたシューマッハの出口でのアグレッシブな動きはF1に新しいルールを導入するきっかけとなった。ピットインを終えた彼のフェラーリはコースインした直後、何も知らないハインツ・ハラルド・フレンツェンのいたレーシングライン上に割り込んだ。行き場をなくしたフレンツェンのウィリアムズマシンはスピンを喫し、グラベルにはまってレースを終えた。それ以来、ピットから出たばかりのマシンは本コースとピットレーンとの間を仕切る白線を越えてはならないことが定められたのである。

【2001年ニュルブルクリンク】

この頃になるとシューマッハのアグレッシブな戦術は周知の事実となっていたが、まさか実の弟にまでそれを発揮するとは誰も思っていなかった。奇しくも2010年のハンガリーGPでルーベンス・バリチェロに対して見せた動きと驚くほど似ていた。ラルフをピットウオールすれすれに追い詰めたシューマッハはもう少しで大事故を引き起こすところだった。

【2002年A1リンク】

シューマッハのキャリアの中で最も論争の的となる事件だが、これは彼一人を責めるわけにはいかない。オーストリアGPでシューマッハを勝たせようと、フェラーリはチームメイトのバリチェロにポジションを譲るよう指示を出した。だが、表彰式のセレモニーではさすがにドライバー2人も困惑顔。すでにドライバーズチャンピオンシップで十分なリードを築いていたシューマッハにとって、この一件はフェアなレーサーというイメージに傷をつけただけだった。そして1998年のモントリオールと同様、スポーツに"チームオーダー禁止"というまた新たなルールが付け加えられた。とはいえ、こちらの方はあまり厳守されていないようだ。

モナコでコースをふさぎ、マシンを押し出されるシューマッハ © Press Association
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【2006年モナコ】

モンテカルロ市街地コースでのポールポジションは、時としてカレンダー上の他のどのレースよりも価値がある。2006年のポール争いは本当にし烈だった。最後の走行に入った時の暫定ポールはシューマッハ。だがフェルナンド・アロンソが迫ってきていた。最終アタックの中間セクターまでにシューマッハはタイム更新が不可能であることが明らかになったがアロンソ――コース上で後ろにいた――はタイムを更新中。最後の抵抗としてシューマッハが取った行動は、最終コーナーで故意に間違ったラインを取り、アンダーステアのままバリアまで注意深く進み、狭いサーキットをふさぐようにフェラーリのマシンを止めるというものだった。当然黄旗が振られ、ポールを狙ったアロンソのアタックは台無しに。そしてポールはシューマッハのものになった・・・はずだった。スチュワードはシューマッハの"ミステイク"を快く思わず、レース最後尾スタートを言い渡している。

【2010年モナコ】

4年後、同じサーキットに戻ってきたシューマッハは2006年の行為についてメディアから厳しい追及を受けた。毅然と批判をはねつけた彼だったが、レースでは再び新たな論争を巻き起こしてしまう。2台のバックマーカーによる事故が発生し、マーシャルがコース上の処理をするためにセーフティカーが投入された。シューマッハの前を走っていたのは因縁のライバル、アロンソだ。結局、最終ラップまでセーフティカーが先導することになったが、トップのマーク・ウェバーがフルスピードでチェッカーを受けられるようにとの配慮から、ペースカーはコースを去った。これを見てアロンソをパスする好機と考えたシューマッハは、最終コーナーで大胆にアロンソのインに飛び込んだ。しかしながら、ルールの文面を厳守したスチュワードから20秒の加算ペナルティを与えられ、ポイント圏外に脱落している。

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Laurence Edmondson is an assistant editor on ESPNF1

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Laurence Edmondson is deputy editor of ESPNF1 Laurence Edmondson grew up on a Sunday afternoon diet of Ayrton Senna and Nigel Mansell and first stepped in the paddock as a Bridgestone competition finalist in 2005. He worked for ITV-F1 after graduating from university and has been ESPNF1's deputy editor since 2010