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ハートレーがトロ・ロッソ放出の真相を語る

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2019年1月31日 « メルセデスW10の発表日が決定 | 「夢見たF1とは違っていた」とマグヌッセン »
© Peter Fox/Getty Images
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昨年のモナコGPの段階で、早くも自身を交代させようという計画が持ち上がっていたことを元トロ・ロッソドライバーのブレンドン・ハートレーが打ち明けた。

20歳の時にレッドブルの若手ドライバープログラムのメンバーを外されてから7年後、ハートレーは2017年のUS GPでトロ・ロッソのドライバーとして召還された。異例のカムバックは2018年のフルシーズン契約まで延長され、ハートレーは2019年にレッドブルに昇格したピエール・ガスリーの隣でレースをすることになる。

しかし、ハートレーはシーズンの終わりに放出されてしまった。トロ・ロッソは元ドライバーのダニール・クビアトを呼び戻すことを決め、その相手にはF2選手権でランキング2位になったアレキサンダー・アルボンを選んだ。その決定がハートレー本人に伝えられたのは昨年の最終戦、アブダビでのことだったという。だが、実はモナコの段階で早くも彼を交代させる計画が存在していた。トロ・ロッソがマクラーレンのリザーブドライバー、ランド・ノリスに接触を図った頃だ。

「僕がそれ(モナコGP)について一番強く印象に残っているのは、週末が始まる前の水曜日にメディア対応のためにパドックを歩いていたら、将来のことについて次々と質問をぶつけられたことさ」と彼は『The Players' Tribune(ザ・プレイヤーズ・トリビューン)』に掲載された記事の中で打ち明けている。「今僕は、F1キャリアで片手ほどのレースを終えたばかりだっていうのに、もう終わりのことを尋ねられるんだ」

「でもあの日、それ以上に最悪だったのは、そのうわさに一部の真実が含まれていると分かったことだった。まだほんの数戦しか終わっていないのに、一部の人たちはどうやら僕がそこにいることを望まなかったんだ。正直に言うけど、これはちょっとショックだったよ」

「僕は豊かな経験を手にF1にやってきた。世界耐久選手権(WEC)で2度のタイトルを取り、ル・マンで優勝して、最初の3戦で2回、予選でチームメイトに勝っていた。だから、あんなにも早く僕を交代させる話が出るなんて信じられない気分だったよ」

「あの夜はモンテカルロ・サーキットの壁を見て自分のアパートメントまで歩きながら、今週末、もしここで失敗して、この壁にぶつかりでもしようものなら、僕のF1キャリアはあと数日で終わることになるだろうなと考えていた。僕にとって全てのプラクティスセッションがより重いものになると理解していた。全てのラップタイム、全てのリザルトが精査され、僕をシートから追い出すための材料にされる可能性があるんだってね」

「それまでに経験したことのない独特なタイプのプレッシャーだったよ」

エンジントラブルや不運にも見舞われ、ハートレーはたった4ポイントしか獲得できないまま2018年の最終戦を迎えた。アブダビに到着した時は彼自身、来季の去就を知らなかったという。

「ファンの人たちと同じように、僕もどうなるのか全く分からなかった」と彼は付け加えた。「そういうのがF1の政治ってやつだよね。少しばかり・・・厄介だ。みんな卵の殻の上を歩いているようなもので、明快さっていうものが必ずしもない。だから僕はただ自分にできることをした。自分の仕事をね。予選でチームメイトに勝ち、日曜日の夜は12位でフィニッシュした」

「その1時間後、ミーティングに呼び出された。そしてその数分後、僕はもうF1ドライバーではなくなっていた」

「ガレージまで歩いて戻り、何人かにもう戻ってはこないことを伝えた。それはタフだったよ。ここにいる人たちは男も女も、人生の本当に多くの時間をスポーツとチームのためにささげている。それなのに、いつもそれに見合った称賛を得られるとは限らないんだ。焦点はだいたいチーム全体よりドライバーに向けられてしまうからね。僕はトロ・ロッソとHondaの誇り高きメンバーの1人だった。あの日にさよならを言わなきゃならないのは今まで僕が経験してきた中で一番つらいことの1つだったよ」

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