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感情はスポーツの一部とフェルスタッペンに共感のベッテル

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2018年11月23日 « クビサ、復帰は「不可能はない」という証明 | ハースF1がフォース・インディアのマシンに正式な抗議 »
© Clive Mason/Getty Images
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ブラジルGP後に発生したマックス・フェルスタッペンとエステバン・オコンのコース外乱闘についてセバスチャン・ベッテルが見解を述べ、レーシングドライバー以外の人たちにはグランプリ週末中にどれほど感情が激しく上下するか、なかなか理解できないものだと述べた。

周回遅れのオコンがレースリーダーのフェルスタッペンを巻き込んで順位を後退させた後、チェッカーフラッグを受けたフェルスタッペンはオコンを見つけ出すと胸部を繰り返し小突いてから荒々しく立ち去った。この件はレーススチュワードによって審議され、フェルスタッペンには"社会奉仕"なるペナルティが科されたが、それがどのようなものになるのかFIAはまだ決定していない。

この件に関する意見を聞かれ、ベッテルは最初は言葉を濁した。「えーと、意見はあるけど、僕の考えをいうべきかどうかは分からないな」

ベッテルは昨年、バクーでセーフティカー中にルイス・ハミルトンのメルセデスにぶつけにいったかのような動きを見せてFIAの審議を受けたことがあり、ブラジルの件についてさらに意見を求められると、レース中、そしてレース後に渦巻く激しい感情をドライバー以外の人が理解するのは難しいと説明し始めた。

「結局のところ、すごくシンプルなことだよ」と彼は付け加えた。「僕らは感情を持った人間で、感情というのはどっちにも転ぶ。何かいいことがあれば喜びでいっぱいになるし、ハッピーになる。でも逆に、ハッピーじゃなかったり不機嫌になったりすることもあるんだ」

「自分たちにとって世界を意味するような何かのために僕らがここに来て戦っているのは明らかなはず。皆さんや見ている人たちにとってどれだけの意味を持つかは分からないよ。人々が見ているのはショーだからね。ショーについて報道するのは彼らの仕事。僕らにとっては仕事であると同時に、人生でもあるんだ。みんなちっちゃな子どもの頃にゴーカートを始め、F1に乗るのを夢見ていた。夢をかなえてF1マシンに乗り、勝利を争うようになれば、すごく大きなものが懸かってくる」

「よくやったらご褒美にケーキを一切れもらえて、ダメだった時はお預けされるっていう程度じゃ済まない。すごく多くのものが懸かっているんだ。そう考えれば感情的になるのも説明できるだろう。言ったように、僕は感情もスポーツの一部だと思っているし、これからもずっとそうだと思う。そして時には後からたくさん話さなきゃならないような特定の状況になる。僕もなったことがあるよ。でも、その振り子はどっちにも揺れるものなんだ」

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