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アメリカのレジェンド、ダン・ガーニーが逝く

Jim
2018年1月15日 « フェラーリはメルセデスの倒し方を知っているとベッテル | インディドライバーも考慮すべきとチルトン »
© Sutton Images
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熟練した万能レーサーで、レースカー製造における開拓者的な革新がモータースポーツ界に重要な役割を果たしたダン・ガーニーが肺炎からの合併症により2018年1月14日、永眠した。享年86。

ガーニーはインディカーで7勝、NASCARカップで5勝、F1では1962年から1970年にかけて4勝しており、1967年にはA.J.フォイトと組んでル・マン24時間レースにも参戦している。F1、インディカー、NASCAR、そしてスポーツカーのトップレベルのレースで優勝を果たしたドライバーはダーニー以外にマリオ・アンドレッティとファン-パブロ・モントーヤしかいない。

ガーニー家は声明を発表し、「ダンは本日の正午前、そのハンサムな顔に最後の微笑を浮かべてまだ見ぬ世界へと旅立っていきました。深い悲しみの中、この地球で過ごす間にあなたがくれた愛や喜びに心から感謝すると共に、私たちは"安全を祈願"します」と述べている。

また、フォイトも声明を通して「ダン・ガーニーは素晴らしい革新者であっただけでなく、公道コースであろうとオーバルであろうと、インディカーだろうとストックカーだろうと偉大なドライバーだった。私は決してレジェンドという言葉を使わないが、それでも、ダンの場合はわれわれのスポーツにおける真のレジェンドだった。1967年のル・マンで親しくなり、勝利が私たちを近づけさせてくれた。彼は本当にすごいヤツだった。インディカーではライバル同士だったが、常にお互いを心から尊敬しあっていた」とコメントした。

「歳を重ねると共に親密になり、誕生日や病の時には電話し合う仲になった。昨年、エドセル・フォードと一緒にロングビーチで時間を過ごせたことを今はうれしく思っている。いろんな話をしたね。古い時代の話をたくさんした。彼がいなくなったことを信じるのは難しい。とてもさみしい。私の思いはエヴィと彼の家族と共にある」

さらに、マリオ・アンドレッティは『Twitter(ツイッター)』に追悼コメントを投稿している。

「ダン・ガーニーよ安らかに。最初に彼に刺激を受けたのは私がまだ集団の中で彼のようになりたいと夢見ていた頃だ。最後に彼から刺激をもらったのは昨日のこと。そう、つまりは永遠に続くのだ。彼は私のことを誰よりも分かってくれた。だからこそ、2001年に出した私の本の序章を彼が書いてくれたのだ」

ガーニーがレースを始めたのは1955年。参戦したレースシリーズではほぼすべてに優勝している。F1ではフェラーリ、BRM、ポルシェ、ブラハムをドライブした後、自チームを創設した。1967年には自らのマシンでベルギーGP優勝を成し遂げており、自身のデザインしたF1マシンでF1レースに勝ったただ一人のアメリカ人レーサーである。

引退したのは1970年、キャリア通算で51勝をマークした。

ロングアイランド出身のガーニーはレースカーのみならず航空業界でも今なお使用されるウィッカービル、通称ガーニーフラップを開発したほか、フルフェイスのヘルメットを使い始めた最初のドライバーの1人でもある。

加えて、ガーニーは1979年から2008年までオープンホイールレースとして活動していたチャンピオンシップ・オート・レーシング・チーム、通称CART(チャンプカーとも呼ばれる)を創設した1人だ。

インディアナポリス・モータースピードウェイのJ.ダグラス・ボールズ会長は声明の中で「世界の舞台で活躍した伝説的なアメリカ人ドライバーであり、オーナーであり、マシンコンストラクターの話をすれば、必ず史上最高の1人としてダン・ガーニーの名が挙がる。その3つのエリアすべてにおける彼の技術が彼の足跡となり、このスポーツに多大な影響をもたらすことになった。ダンはあらゆる意味でレース界の巨人だ。奥方エヴィとガーニー家の皆さまに謹んで哀悼の意を表する。ダン・ガーニーの安全を祈願して」と話した。

またIMSAのスコット・アザートン代表もガーニーを追悼して次のように述べた。

「"伝説"という言葉は時に乱用されてしまうことがあるが、ダニエル・セクストン・ガーニー(ダン・ガーニーの本名)を語る場合にはそれが唯一、適した表現だと思う。ダン・ガーニーはスポーツカーからNASCAR、インディカー、そしてF1まで、われわれのスポーツで参戦したほぼすべてのレースでドライバーとして成功を遂げたアメリカのレーシングレジェンドだ。ダンは革新的なマシン製造者であり、コース上のパフォーマンスを卓越したモータースポーツ界における生涯のスチュワードだった」

ガーニーは1962年にデイトナ・インターナショナル・スピードウェイで開催された第1回デイトナ・コンチネンタルを制している。このレースは現在、ロレックス24として知られるようになった。同サーキットのチップ・ワイル会長はこう語っている。

「ダンの成功、そして彼の存在が、この施設を世界的な名声を得る施設にするという、わが創設者であるビル・フランス卿が当初心に描いた願いをかなえることにつながった。彼はドライバーとして、このスピードウェイを最高のロードレーシングサーキットへと確立するのを助けてくれた。その何年も後にはIMSAのチャンプカーのオーナーとして、このスピードウェイのレガシーを確固たるものにしてくれた。彼の人生と関わることができたのはわれわれ全員にとって幸運なことだった」

【記事中の一部情報は『Associated Press(AP通信社)』提供】

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