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  • 人気、不評そして危険なコース

トップ10:オールドサーキット

Laurence Edmondson and Martin Williamson / Me 2010年6月10日

かつてグランプリを開催していたが、今は存在しない、あるいは姿を変えてしまったサーキットを振り返ってみよう。

1969年のフランスGP、クレルモン-フェランで勝利へ突き進むジャッキー・スチュワート © Sutton Images
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フランス、クレルモン-フェラン

死火山の周囲に建つクレルモン-フェランは、ニュルブルクリンクのショート・高速・タイトバージョンと表現されることがある。全長8.055kmだったクレルモン-フェランはリンクのおよそ3分の1だったが、ストレートらしいストレートがなく、休みなくドライバーたちがコーナーを相手にする様子はエキサイティングだった。グランプリ開催は4回(1965年、1969年、1970年、1972年)だけだったが、走った者にとっては印象的だったようだ。1969年のイベント時にはドライバーたちが乗り物酔いに備えてオープンフェースのヘルメットを着用すると主張。1972年の最後のグランプリでは跳ね上げられた石によってパンクが10回も起きており、エマーソン・フィッティパルディのリアタイヤから飛んだ石でヘルムート・マルコが片目の視力を失い、キャリアに終止符を打った。ランオフの少なさから1988年にレイアウトが見直され、3.86kmに短縮された。

ブラジル、旧インテルラゴス

インテルラゴスの旧サーキットには、今でも残るタイトでツイスティなインフィールドに加えて、素晴らしい高速セクションがあった。オリジナルのレイアウトは間にロングストレートを挟んだ4つの高速コーナーから成り、マシンは20秒ほど全開のまま駆け抜けた。大きなバンプがあちこちにあったため、非常に危険なコースとみなされ――特に1980年頃、グラウンドエフェクトが全盛だった頃に大問題となった。周囲のスラム街が拡大していたことも加わり、ブラジルGPはより魅力的なリオデジャネイロのジャカレパグア・サーキットへ移っていった。1990年に再びグランプリが開催されたときは1,500万ドルをかけて改修され、現在のレイアウトになった。

オーストリア、エステルライヒリンク(現A1リンク)

オーストリアの山腹に位置するエステルライヒリンクは、F1で最もエキサイティングなサーキット1つとして語り継がれている。大きな標高変化と超高速のカーブは真のドライバーズサーキットとされ、わずかなランオフエリアと極端に狭いピットストレートは非常に危険だった。最も危なかったのは180度ターンのボッシュカーブで、外側を囲むバリアがわずかなミスも許すまいと、不気味に立ちふさがった。安全性への懸念から、1987年を最後にF1は開催されなくなったが、意外にも死亡者が出たのはプラクティス中にマーク・ドノヒューがクラッシュした1975年の事故だけだ。1995年にレースが再開された時にはA1リンクと改名されていた。しかし、コースは完全に造り直されており、ヘルマン・ティルケの手によってレイアウトは中和された。

スイス、ブレムガルテン

1955年のル・マンで犠牲者を多数出したメルセデスの事故によって、スイスでモータースポーツが禁止されるまで、ブレムガルテンでは5回のF1グランプリが開催された。しかし、1934年にこのサーキットで行われた初めてのレースでもヒュー・ハミルトンが命を落としており、これもまた禁止の引き金になったかもしれない。並木に囲まれたサーキットに明白なストレートは存在せず、タールマックの敷かれた(当初はモーターバイク用に設計された)狭いコースはウエットになると非常に危険だった。禁止令以降、施設は荒廃していき、ベルンの都市開発に飲み込まれて完全に姿を消した。

イタリア、ペスカーラ

F1の歴史で最長、そしておそらく最も危険なサーキットで選手権が開催されたのはたった1度、1957年のことだった。レイアウトはカペル、モンテシルバーノとペスカーラの町を結ぶロングストレートによって構成され、曲がりくねったアブルッツォの丘陵地帯を駆け抜けた。そのうち1マイルは片側が150mものがけだったという。初めてサーキットが使用されたのは1924年。定期的に非選手権レースを開催していたが、安全上の問題から1960年代に使われなくなった。1957年のイベントではヴァンウォールを駆るスターリング・モスが20万人の観客の前で優勝。40年後、リチャード・ウィリアムズの著書"The Last Road Race(ザ・ラスト・ロードレース)"の中でモスはペスカーラについてこう表現している。「素晴らしいと思ったよ。暴走する若者の気分さ。実に楽しかった。これがレースというものだよ」

1950年、ニュルブルクリングを走るアルベルト・アスカリ © Getty Images
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ドイツ、旧ニュルブルクリンク

1980年代に建てられたモダンサーキットは1920年代の獣の影でしかない。1925年にオープンした時、オリジナルのコースは全長28.265km、幅は9mほどしかなく、174のターンと波打つ路面を持っていた。安全が今ほど重視されなかった当時でさえ、危険すぎるといわれ、1930年代後半にはより短い22.810kmのノルドシュライフェ(北コース)が使われるようになった。それにもまして挑戦を難しくしたのは夏でも雨や霧が多い気候で、距離が長いことから同じラップでも場所によってコンディションが違った。コースをマスターできた者はトップドライバーにもそうおらず、安全性の不安から1970年に大幅改修された。しかし1976年、北コースでの最後のグランプリでニキ・ラウダが命の危機にさらされる恐ろしいアクシデントが発生――コースは封印された。

イギリス、ブルックランズ

死亡事故の多発によりヨーロッパでロードレースの是非が問われ始めたことから、1907年世界で初めて建設されたレース専用サーキットだ。バンクが特徴的なオーバルコースは場所によってバンクの高さが9mもあり、これほどの傾斜にタールマックを敷くことは困難だったため、コンクリートで仕上げられた。コースの中心には黒い点線、50フィートラインとして知られる線が引かれていた。このラインに乗ることで、ドライバーはステアリングを使わずにバンクのついたコーナーを回ることができるという理論だ。1926年にイギリスGPが初開催され、戦争開始まで自転車レースなど他のイベントを含め、定期的にレースが開催された。1939年に戦争が始まると、この場所は軍用機製造の中心地となり、コースの大部分が工場建設のために破壊された。戦争終了後はレースが再開できる状態ではなく、ヴィッカース・アームストロングに売却。その後もさまざまな用途で使われたが、1998年、再開発のために売却された。

カナダ、モスポート

北アメリカにとって秋はアメリカGP、カナダGPの連戦の季節。どちらも色づいた木々が立ち並ぶサーキットで開催された。当時カナダGPの舞台として利用されたのがモスポート・パークで、オンタリオ東部の森に囲まれた田舎道を走る素晴らしいロードコースだった。だが、次第に安全が重視されるようになると危険性が指摘され、設備にも古さが感じられるようになった。ランオフの少なさが最大の問題となり、グランプリは1978年にモントリオールに移転。スポーツカーを主催するドン・パノスが1998年にコースを買収し、現代的に改修した。

1956年、マセラティ250Fでモンツァをリードするスターリング・モス © Getty Images
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ベルギー、旧スパ・フランコルシャン

ベルギーのスパ・フランコルシャン・サーキットは現在のF1カレンダーで最も古い開催地の1つだ。最初のレースは1922年で、グランプリは1925年から開催されている。オリジナルのサーキットは全長15kmで幅が狭く、非常に危険なことで有名だった。高速コースだが2000年までは公道だったため、誰でも走ることができた。そのスピードゆえに、スパは安全面であまりいい記録を持っていない。1960年のグランプリでは数分の差でクリス・ブリストウとアラン・ステイシーの2人が死亡し、1966年にはクラッシュしたジャッキー・スチュワートが農家の貯蔵庫に逆さまに突き刺さり、ガソリンまみれになったこともあった。旧コースでの最後のレースは1970年。F1には危険すぎると考えられており、ドライバーたちは前年にレースをボイコット。1983年に再開された時はすっかり整理され、短くなっていた。

イタリア、旧モンツァ

1922年に建てられ、何年も最速サーキットの名を欲しいままにしてきたモンツァほど感慨を呼び起こす場所はない。グランプリ用に建てられた最初の会場で、エントリーが有料となったのもここからだ。当初は2つのコースで構成されていた。1つは2本のストレートを持つアメリカ式のオーバルで大きなバンクのついたコーナーが2つあった(1938年に取り壊されている)。もう1つはロードコースを模して作られた。人気度は抜群だったが、危険性もまた非常に高かった。1928年にはドライバーと27人の観客が死亡。安全のために一部の使用を中止したにもかかわらず、5年後には3人のトップドライバーが同じレースで死亡した。新設されたバンク付きサーキットでグランプリが再開されたのは1955年だが、マシンにかかるストレスが懸念されるとの理由で、わずか2戦で廃止されてしまった。ロードコースの方も決して安全とはいえず、1961年にウォルフガング・フォン・トリップスがクラッシュで14人の観客を巻き込んで死亡している。現在のコースはより低速となり、安全になった。

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Martin Williamson is managing editor of digital media ESPN EMEA

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Martin Williamson is managing editor of digital media ESPN EMEA Martin Williamson, who grew up in the era of James Hunt, Niki Lauda and sideburns, became managing editor of ESPN EMEA Digital Group in 2007 after spells with Sky Sports, Sportal and Cricinfo