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フランス出身のF1ドライバーでモナコGPのウイナーだったジャン-ピエール・ベルトワーズが脳卒中の発作を2度起こして亡くなった。77歳だった。

1967年から1974年にかけて87のグランプリに出場したベテランのベルトワーズは才能あるドライバーで、26歳のときに成功を収めたモーターサイクルのキャリアを離れてレースカーの世界へ身を投じた。その1年後、ランスで重大な事故に見舞われたベルトワーズは手足を16箇所骨折し、以降は左腕の動きが制限されてしまう。それにもかかわらず、さらに1年後の1965年にはコースに復帰し、フランスチームのマトラでフォーミュラ3のタイトルを手にした。

グランプリデビューは1966年で、ドイツGPにてフォーミュラ2クラスでの優勝を決める。1967年モナコGPはF1マシンでの初レースだったが、予選を通過できなかった。1967年にはマトラとフルシーズンでF1参戦する契約をかわし、オランダGPで表彰台に上っている。

しばらくマトラにとどまったベルトワーズだが、1971年にはクリス・エイモンにナンバー1ドライバーの座を奪われた上、スポーツカーレースのブエノスアイレス100kmでイグナツィオ・ギュンティの死亡事故を招いたとして6週間のレーシングライセンス停止処分を科された。

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1972年にはBRMへ移り、大雨のコンディションになったモナコGPでキャリア唯一の優勝を決めた。性能の劣るマシンを駆り、勇敢でスキルの高いドライブによって勝ち取った成果は、BRMにとって最後の勝利となった。しかしながら、これは一貫してコンペティティブなマシンを生み出すのに苦戦したBRMのシーズンにおける、例外的な結果だった。さらに2年をBRMのレースドライバーとして過ごしたベルトワーズは1974年南アフリカGPで最後の表彰台に立っている。

その後はリジェでF1テストを行ったものの、競争力が発揮できるのはフランスのツーリングカーやラリークロス、アイスレーシングの場に限られていた。

ベルトワーズはダカールにある別荘で息を引き取った。

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