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  • 1984年ダラスGP

特集:サーキットのドクター

Claire Furnell / Tony Romack / Me 2010年4月15日
ダラスGPでのトニー・ロマックと仲間のドクターたち。ビールのロゴが入ったTシャツを着ているがロマックで、本来なら教会所属の彼の病院では許されないいでたちだった © Getty Images
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これまで、元F1ドライバーやジャーナリストの視点から、数々のグランプリを振り返った物語をお伝えしてきましたが、今回は読者のお話をお届けします。若いドクターとして、1984年のダラスGPをコース脇から見るチャンスを得たトニー・ロマックの物語です。

【トニー・ロマック】

私がF1に興味を持ったのは、1970年のモナコでヨッヘン・リントがジャック・ブラバムを追い回し、最終ラップで追い越したのを見てからだった。当時、アメリカでF1が唯一放映されていたのは、『Wide World Of Sports(ワイド・ワールド・オブ・スポーツ)』という番組の中で遅れて放送されるレースだけだった。その年の終わりまでに(当時は12歳だった)私は『Autoweek(オートウイーク)』の定期購読を申し込み、長い間大事に保管していたものだ。

1978年にマリオ・アンドレッティがチャンピオンになると、地元紙は月曜版に前日のレースウイナーを記した1行記事を載せるようになった。だが、悲しいことにテレビでの放映はなかなか増えなかった。

多くのファン同様、私もいつかレースに行ってみたいと思い描いていたが、1984年にF1がダラスへやってくることになり、その夢がついに実現した。私はERでのローテーションを終えたばかりであり、務めていた病院がコースドクターを派遣する契約を結んでいた。ERドクターのほぼ全員がF1ファンだったが、私に割り当てられたのはピット脇の救護室担当という地味な場所だった。それでも、ドクターバッジがガレージへのチケットであり――4日分の休暇を犠牲にしても惜しくはなかった。

最初の患者の1人がアイルトン・セナだった。彼は手にできたまめにつける特殊なタイプのテープを探してやってきた。私は彼の探していたものを見つけ出し、処置はすぐに終わった。去っていく彼にこう伝えたのを覚えている。

「良いクルマを手に入れたら、あなたがチャンピオンになることはみんな知っていますよ」

その週末は38度を超える猛暑で、テレビクルーたちはドクターのインタビューをこぞって取りに来た。私のアドバイスは、"水分を取って、良いシューズを履くこと"だった。舗装が終わってまだ日が浅く、さまざまなサポートレースと高温が原因で、路面が次々と崩壊していったのを覚えている方もいるだろう。

サーキットで目を引いた巨大なジェットコースター。残念ながら今はもうないが、25年経った今もコースはテキサス州催事場として健在だ © Tony Romack
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点滴が必要になるほどのドライバーはあまりいなかったものの、多くのファンが脱水症状や水ぶくれで治療を必要とした。最大のアクシデントはプラクティス中の出来事で、マーティン・ブランドルがティレルをクラッシュさせ、両足首を骨折して病院に運ばれた――とてもコースサイドで対処できるようなけがではなかった。

また、私のステーションの目の前でニキ・ラウダがスピン、クラッシュしたのも見た――マシンはニュルブルクリンクでの彼のクラッシュと同じくらいひどい惨状だった。彼は元気で、多少の物理療法が必要なだけだったので、ライバル病院のトレーラーへ案内し、そこで治療を受けてもらった。

これを快く思わなかった同僚たちによって、レースデーに私はバックストレートに配置転換されてしまった。しかし、むしろうれしかった。なぜならパッシングが試みられるのはほとんどバックシケインだったからだ――試みという表現を使うのは、誰かが実際に成功した記憶がないからだ。

それでも、なんとかスタートラインは見学に行くことができた。写真がそれを証明している。ポールはナイジェル・マンセルだったが、彼は誰とも話そうとしなかった。私は最初にレースを見た1970年以来のロータス・ファンだったため、フロントローにロータスが並んでいて大変うれしかったのを覚えている。

最高の写真はフェラーリのものだった。これだ、と思うアングルを見つけたのだが、シャッターを押そうとしている時に誰かに突き飛ばされた。相手はルロイ・ニーマン(アメリカの有名モダンアーティストで鮮やかな色彩のスポーツ画で知られている)で、同じアングルがお好みのようだった。

レースは素晴らしかった。マンセルは最終ラップでドライブシャフトを壊し、マシンを押してフィニッシュラインを越えようとした――が暑さで失神。地元テレビのニュースでは、長い間そのショットをスポーツ放送で流し続けたものだ。

優勝はケケ・ロズベルグ。ルネ・アルヌーはグリッド上のトラブルで最後尾からスタートしながら2位でフィニッシュした。すべてが最高に楽しかった。加速、コーナリング、ブレーキング、どれも自分の目で見た方が確実に迫力がある。ほとんどのクルマがターボチャージャー付きだったために、音は今ほどうるさくなかった。

F1が二度とダラスに戻ってこなかったことがとても残念でならない。

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Tonio Liuzzi gives his views at the end of every grand prix weekend Tonio Liuzzi has raced in Formula One since 2005, driving for Red Bull, Toro Rosso and Force India before landing his latest seat at HRT for 2011. He has been an ESPNF1 columnist since 2010, giving a driver's insight into every race weekend