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  • 最も美しいF1マシンは?

トップ10:F1マシンカラーリング

Laurence Edmondson / Me 2010年3月24日

1974年 - 1996年 マールボロ・マクラーレン

獲得した8回のタイトルのうち、マクラーレンは7回をマールボロ・カラーで達成している。そのため、F1全史の中で最もよく知られているカラーリングといえるだろう。ファンはレッド&ホワイトのカラーに、エマーソン・フィッティパルディ、ジェームス・ハント、ニキ・ラウダ、アラン・プロスト、アイルトン・セナの成功を連想する。4分の1世紀近くにわたり、マールボロ・シェブロンをまとったマシンがグリッド上にいたことになる。あまり知られていないが、イエローのマールボロ・ライト・バージョンというのもあり、1986年のポルトガルGPでケケ・ロズベルグのマシンに使われた。マールボロのスポンサーシップは、親会社フィリップ・モリスがフェラーリにくら替えしたため、1997年に終了。

1972年 JPSロータス

ブラック&ゴールドのジョン・プレーヤー・スペシャル(JPS)ロータスをねじ伏せながら走るロニー・ピーターソンのノスタルジックなイメージは、1970年代のF1ファンの心に焼き付いている。このタバコブランドは、ロータスがタイトルを獲得した1972年に初めてチームのマシンに現れた。1973年にJPSは再びロータスでチャンピオンシップに勝利し、マリオ・アンドレッティがチーム最後のタイトルを獲得する1978年までスポンサーを務めた。JPSカラーのロータスは1982年に復活するが、このときは大きな成功には結びつかなかった。しかし、2人の未来のワールドチャンピオン、セナとナイジェル・マンセルが乗ったことで、親会社インペリアル・タバコは十分に宣伝効果を得たことだろう。

1975年 マルティーニ・ブラバム

マルティーニ・ストライプはさまざまなモータースポーツで見ることができるが、特に成功を収めたのがブラバムBT44Bだった。ベルモット製造社のマルティーニは、1970年代初期にル・マンでポルシェに関係していたが、シーズンを通して得られるF1の宣伝効果に期待。1972年と1973年にイタリアのF1チーム、テクノのスポンサーとなるが、思うようなフロントグリッドでの活躍は見られなかった。やがて、1975年にバーニー・エクレストンのブラバムと契約を結び、当初はホワイト地にレッド&ブルーのストライプ、そしてマルティーニのロゴが描かれた。後にアルファロメオの登場により、マルティーニ・ロッシのレッドに進化。

1988年 ベネトン

アパレルメーカーとしてファッションを知り尽くしたベネトンだけに、1988年に登場したマルチカラーのB188は、確かに集団の中でも、ひときわ目立っていた。原色で塗り分けたデザインはすぐに見分けが付き、ブランド名とともにグリッド上でも元トールマン・チームを押し上げた。メインスポンサーがタバコ会社キャメルに取って代わった1991年に姿を消した。

1968年 ゴールドリーフ・ロータス

F1マシン上に初めてスポンサーカラーというものが登場したこの年、ロータスのマシンは伝統のグリーン&イエローからレッド&ゴールドに変わった。それまでのマシンはナショナルカラーを基本としていたため、純粋主義者たちにとっては落胆だったかもしれない。だが、新しいカラーの時代を切り開くとともに、スポーツに広告料をもたらした。

1991年 セブンアップ・ジョーダン

ブルー&グリーンといえばこれ・・・ジョーダン191だ。初のジョーダンF1マシンに登場した7 Upカラーリングは、チームの活躍によって多くの人々を振り返らせた。どの角度から見てもこの炭酸飲料ブランドが誇らしげに目を引いたものだが、これには裏話があり、決して多額の契約金ではなかったエディ・ジョーダンが策を弄し、チームが資金力を持っているかのように見せかけるため、7 Upをタイトルスポンサーに仕立て上げたのだ。1年限りのカラーリングだったが、彼の計画は成功したようで、1992年にはスポンサーが殺到したという。

F1史に残る奇抜なカラーリングといえばBARの初代マシンだろう © Sutton Images
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1999年 ジップ・BAR

1998年にティレルを買収したブリティッシュ・アメリカン・タバコは、できる限り多くブランドをアピールしようと考えた。当初の計画ではジャック・ビルヌーブのマシンをラッキー・ストライク・カラーで、リカルド・ゾンタの方を555カラーで走らせるつもりだった。しかし、これはFIAが認めず、1種類のカラーリングで出走するようチームに命令。そこでBARはマシンの中心にジッパーを描き、片側にはラッキー・ストライク、もう片側には555カラーというデザインを施した。こうしてF1史上最も奇抜なカラーリングが誕生した。

1999年 バジング・ホーネッツ・ジョーダン

F1でのタバコ広告規制が厳しくなる中、チームはイベントによってはブランド名をマシンから消さなければならなかった。その結果、中には奇妙な文字が配されることに・・・。BARはLucky Strike(ラッキー・ストライク)の代わりにLook Alike(ルック・アライク)、ルノーはMild Seven(マイルド・セブン)の代わりにTeam Spirit(チーム・スピリット)を使ったが、その中でも秀逸だったのがBenson and Hedges(ベンソン&ヘッジス)に代わってBuzzing Hornets(バジング・ホーネッツ)を考案した1999年のジョーダンだった。ノーズコーンに赤い目を描きエンジンカバーに黒のストライプを配したスズメバチのデザインは、ただBeson and Hedgesをそのまま載せるより、はるかにスポンサーの関心を引いたに違いない。

2006年 シルバー・マクラーレン

2006年、マクラーレンはミラー効果のあるシルバーフィニッシュをマシンに施し、文字通り輝きを放った。ドライバーの目に反射光が入るのではないか、あるいはスポンサーロゴが見えにくいのではないかといった懸念は、デビュー戦のバーレーンで一掃された。このキラキラマシンを発表する前に、チームはチーム創設者ブルース・マクラーレンのオリジナルカラーに敬意を表して、プレシーズンテストではオレンジのマシンを使っていた。

1992 キヤノン/キャメル・ウィリアムズ

成功したからこそといえるかもしれないが、ウィリアムズFW14Bのカラーリングには言葉にできない何かがあった。当時は、イギリス中のほとんどの子供がスケーレックストリック社製のレプリカを持っていて、マンセルとセナのモナコの激闘をベッドルームで再現して遊んだものだ。デザインはシンプルだったが効果的で、マンセルのノーズコーンに誇らしげに浮かび上がる赤のナンバー5がまた素晴らしかった。

Laurence Edmondson is an assistant editor on ESPNF1

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Laurence Edmondson is deputy editor of ESPNF1 Laurence Edmondson grew up on a Sunday afternoon diet of Ayrton Senna and Nigel Mansell and first stepped in the paddock as a Bridgestone competition finalist in 2005. He worked for ITV-F1 after graduating from university and has been ESPNF1's deputy editor since 2010