Features

  • 「コンペティティブなマシンに乗ってみたかった」

あのドライバーは今? - マイク・ワイルズ

Andrew Marriott / Me 2010年3月24日
F1にいた当時のマイク・ワイルズ © Sutton Images
拡大
関連リンク

1970年代にマーチ、エンサイン、BRM、シャドウで走ったものの、F1では思うようなキャリアを残せなかったマイク・ワイルズ。だか、彼はその後43シーズンにもわたってモータースポーツの世界で走り続けている。ワイルズがレーストラックを離れることはめったになく、1965年に19歳でレースを始めて以来、走らなかったシーズンは実に1度しかない。それはグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードで、ニック・メーソンが所有するジル・ビルヌーブのフェラーリ312Tで大クラッシュを起こし、車いす生活を送っていた年だった。

驚くべきことに、彼は63歳となった今も、レースやチャンピオンシップで勝ち続けている。2008年にグループC耐久シリーズでヘンリー・ペアマンと乗ったポルシェ962で優勝したばかりでなく、BMW M3でイアン・ローソンとともにブリットカーのタイトルをも獲得している。

そうしたキャリアに加えて、彼は車とヘリコプターのインストラクターの資格も持っており、今も1970年代と変わらずモータースポーツを心から愛する多忙な人物だ。彼の唯一の心残りは、F1で過ごした3年間にあるという。

「一度でいいから、コンペティティブなF1マシンに乗ってみたかった。4つのマシンをドライブしたが、はっきり言ってどれも遅く、信頼性に欠けるものだったんだ」と彼は振り返る。

「ちゃんとしたマシンに乗れていたら、どんな結果を残せたか知りたかったよ。親友マイク・ヘイルウッドは、そんなひどいマシンには乗るな、BRMはやめとけって忠告してくれていたけど、仕方がなかったんだ。私は自分で名を上げる必要があったんだ」

レーシングドライバーになりたいというワイルズの思いは、自宅があるロンドンの近く、チズウィック・ハイロードにあった有名なスポーツカーガレージ、"ザ・チェッカー・フラッグ"のショーウインドーをのぞいた時から始まった。当時、"ザ・フラッグ"は何台もレーシングカーを走らせており、オーナーのグラハム・ワーナーの力もあって、若い野心的なドライバーたちのあこがれの的だった。

何カ月もウインドーをのぞくだけの日々だったワイルズだが、とうとう意を決してショールームに足を踏み入れた。それから間もなく、彼はマシンを磨くようになり、後に販売も担当。やがて、DRWクラブマンズでドライブするに至る。

成功はすぐに訪れ、F4に進出すると、1970年には不動産会社のデンプスター・デベロップメンツのスポンサーシップを獲得し、マーチで非常にコンペティティブな1リッターのF3を走らせていた。

出世を願っていたデンプスターの力で、ワイルズはF5000にのし上がる。ピーター・ゲシンやブライアン・レッドマンらと表彰台争いやバトルを繰り広げるワイルズを見て、スポンサーたちはさらに大きな期待を抱いた。

1974年、ブランズハッチで開催されたイギリスGPで、元ジェームズ・ハントのヘスケス・マーチ731にワイルズを乗せる取引が成立。だが、この頃はグリッドの数より出走台数がはるかに多く、彼は予選落ちした。

しかし、F3とF5000でのワイルズの速さを聞いていたエンサインのボス、モーリス・ナンが彼にドライブをオファー。晴れて"ワークス"ドライバーとなったワイルズだったが、運命はあまり変わらなかった。"バットモービル"と呼ばれた変わった形のエンサインで、オーストリア、イタリア、カナダと続いて予選落ち、ようやくグリッドにつけたのはワトキンス・グレンでのことだった。しかし結果はやはり――完走ならず。

2000年、シルバーストーンのイギリスGT選手権でブルックスピード・クライスラー・ヴァイパーを走らせるワイルズ © Sutton Images
拡大

やがて、エンサインはレースを続ける資金が足りず、苦しむようになるが、ワイルズはすでに先に進んでいた。スタンレーBRMと契約を交わしていたが、かつて栄華を誇ったBRMも風前のともしびだった。

「あれは悪夢だった」と彼は思い起こす。「予選は言うまでもなく、テストですら完走できなかった。次から次へと何かが壊れるんだ」

記録を見ると、彼の1975年は開幕戦アルゼンチンでリタイア、2週間後のブラジルGPも同様――そしてすぐにボブ・エヴァンズと交代させられてしまっている。チームはその後5戦に出場したが、とうとう力尽き、消滅。

1976年はプライベーターのシャドウからイギリスGPで1戦限りの契約にこぎつけた。しかし、残念ながらここでも名を残すことはかなわず――彼のF1キャリアは終わった。だが、F1で成功できなかった数多くのドライバー同様、彼もスポーツカーで成功を収めることになる。最も顕著なのはエキュリー・エコッス時代で、1986年にチームをC2ワールドチャンピオンに導いている。1988年にはニッサンに所属し、ウィン・パーシーと名マシンR90Vを共有した。

この頃、収入を補う必要性を感じた彼はかつての経験を生かし、再びセールスマンの仕事を始めた――今度の商品はヘリコプター。

「ヘリを売るなら、操縦も覚えた方がいいだろうと思ったんだ。飛ぶのは最高の気分だったよ」と彼は言う。「それで、インストラクターになったんだ」事実、F1ドライバーとしては"失格"の烙印を押されたワイルズだが、飛行記録8,000時間を超える彼はイギリスで最も成功を収めたヘリのインストラクターである。

コース上ではヒストリックマシンを走らせ、何度もヒストリックカーレースのグループ6チャンピオンシップに勝利している。これだけ長い時を経ても彼の人柄ほとんど変わらない。今でも、イエロー地に黒のダイヤ柄を一周させたヘルメットを使用する。かつて特徴的なあごを覆っていたひげはきれいに剃られ、昔と変わらない笑顔を浮かべている。そして何より、彼のスポーツへの情熱と愛情は、ショールームのウインドーをのぞいていた少年時代から何も変わっていない。

Andrew Marriott is a freelance Motorsport commentator and journalist

© ESPN Sports Media Ltd.
Andrew Marriott Close
Andrew Marriott is a freelance Motorsport commentator and journalist Andrew Marriott has spent all his working life in motorsports as a journalist, broadcaster, sponsorship consultant and PR man and has reported on grand prix for many different outlets including BBC Radio, the Sun and the Daily Express, since the late 1960s. As a TV commentator or pit lane reporter he has worked for ITV, ESPN, Sky Sports and most recently for Formula One in Cinemas and Silverstone TV