
F1世界選手権でドライブした最初のオーストラリア人ドライバーであり、存命のドライバーの中で最も高齢の一人だったトニー・ゲイズが93歳でその人生の幕を閉じた。
ゲイズは第2次世界対戦で英国空軍の一員としてDFC(空軍殊勲十字章)を授けられ、グッドウッドのレースサーキットとしてのオープンにも一役買った。リッチモンド公との会話の中で、ゲイズは公の領地内に建てられたウェスサンプネットにある飛行場の周辺をめぐる道路が非常に優れたレースサーキットになると言及。リッチモンド公はこの道路を走り、ゲイズが正しかったと結論づける。そうして1948年にグッドウッドがオープンした。
戦後にオーストラリアに戻ったゲイズはヒルクライムに参戦し、結婚後の1949年に再びイギリスへ。1951年にアルタのフォーミュラ2マシンを購入してレース活動を始め、1952年にはHWM-アルタに乗り換えた。
その年は数々の非選手権レースを戦い、4戦に参加した選手権レースではデビュー戦のスパを完走するにとどまっている。
ゲイズはさまざまな形式でレースを続け、1953年には火のついたアストン・マーティンから投げ出されるという大クラッシュを生き延びた。母国の有望な若手を援助すべく1955年に自身のチーム、カンガルー・ステイブルを立ち上げたが、この試みは長く続かず、その年のうちにチームはたたまれた。
レースへの関心が薄れたゲイズはグライディングの世界に興味を移し、世界グライディング選手権でオーストラリア代表となる。後年はオーストラリアに戻っていた。
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