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ホセ・フロイラン・ゴンザレスが逝去

Jim
2013年6月16日 « ホーナー、女王から勲章を授与 | ボッタスの適応力に高評価 »
天に召されたホセ・フロイラン・ゴンザレス(享年90) © Getty Images
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フェラーリに初の世界選手権勝利をもたらしたホセ・フロイラン・ゴンザレスが逝去した。享年90。

フェラーリ社長のルカ・ディ・モンテゼモーロはゴンザレスの訃報に際し、「真の友人を失った」と悲しみを言葉にした。

「ゴンザレス逝去の報を受け、悲しみに包まれている。ついこの間も、彼が一番情熱を捧げる話題であるマシンやレーシングについて言葉を交わした。これまでの年月を通して、彼はドライバーとしても一個人としても常にフェラーリに携わり、われわれの歴史において不可欠な役割を果たしてくれた。彼の死はわれわれにとって真の友人を失ったことを意味する」

ゴンザレスはドライバーとしても肉体的な存在感としても印象的な人物だった。背が低く丸々とした顔にがっしりした体格だったゴンザレスは"パンパス・ブル(大草原の猛牛)"の愛称で親しまれており、現代人の目にはレスラー体型の人物が名ドライバーになるなど考えも及ばないかもしれない。ただ、体力が狡猾さと同じくらいに価値のあった時代だったゆえに、ゴンザレスはトップドライバーの一人として活躍している。また、オールマイティなスポーツ選手としても知られた。

アルゼンチンのアレシフェスでカーディーラーの息子として生まれたゴンザレスはその当時、最も熟練したドライバーだと考えられていたにもかかわらず、同胞であるファン・マヌエル・ファンジオが成し遂げた偉業の影に隠れがちだ。同じ時代を生きた多くの者たちと同様、ゴンザレスもまた多くのチームを渡り歩いたが、あまり成功は多くない。

1949年に父親が事業を立ち上げた後、ヨーロッパへとレースの旅に出られることになったゴンザレス。F1デビューは1950年モナコGPでスクーデリア・アルゼンティーナから参戦、マセラティをドライブしている。アルファロメオに乗り換えたファンジオに代わっての出走だった。運がめぐってきたのは1951年。フェラーリに移籍したゴンザレスはエントリーした全5戦すべてで表彰台フィニッシュを成し遂げ、イギリスGPではトップチェッカーを受けている。これがフェラーリにとってのF1世界選手権初優勝だ。『The Times(ザ・タイムズ)』はシルバーストーンで壮絶なバトルを繰り広げたゴンザレスとファンジオの両名を"完全無欠の達人"と表した。

1952年もチームを移ったゴンザレスの次なる所属先はマセラティ。競争力はあったものの、マセラティにいた2シーズンで勝利を収めることはかなわなかった。フェラーリに戻った1954年はイギリスGPを再び制覇――同日にはスポーツカーレースでさらに35周を走破して優勝してもいる。続くドイツとスイスのレースは2位でゴールし、同年はドライバーズ選手権をファンジオに次ぐ2位で締めくくった。また、モーリス・トランティニアンをパートナーにル・マン24時間耐久レースの優勝も飾っている。

ただ、北アイルランドのレースでフリー走行中にクラッシュを喫し、シーズン最終戦を逃したゴンザレスは母国アルゼンチンに戻り、自動車修理工場の事業に力を注ぐ。アルゼンチンGPへの参戦は継続しており、1955年には2位、1957年には5位入賞を果たした後、1960年が最後のレースとなった。

ゴンザレスの死により、F1グランプリウイナーの中で存命する最年長は87歳のジャック・ブラバムである。

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