エマーソン・フィッティパルディ  ブラジル

driver portrait
F1キャリア / 戦績
Year Car Race Start Won Pod Class Best Pole Front Best Lap Hat Pts Pos
1970 Team Lotus 6 5 1 1 4 1 0 0 3 0 0 12 10
1971 Team Lotus 10 10 0 3 6 2 0 1 2 0 0 16 6
1972 Team Lotus 12 12 5 8 9 1 3 6 1 0 0 61 1
1973 Team Lotus 15 15 3 8 11 1 1 5 1 5 0 55 2
1974 McLaren 15 15 3 7 12 1 2 2 1 0 0 55 1
1975 McLaren 14 13 2 6 10 1 0 2 2 1 0 45 2
1976 Fittipaldi 16 15 0 0 8 6 0 0 5 0 0 3 17
1977 Fittipaldi 16 14 0 0 10 4 0 0 7 0 0 11 12
1978 Fittipaldi 16 16 0 1 10 2 0 0 6 0 0 17 10
1979 Fittipaldi 15 15 0 0 8 6 0 0 9 0 0 1 21
1980 Fittipaldi 14 14 0 1 7 3 0 0 12 0 0 5 15
Total 149 144 14 35 95 1 6 16 1 6 0 281
グランプリ サーキット 開催日
デビュー戦 イギリスGP ブランズハッチ 1970年7月18日 レース結果
ラストレース アメリカGP ワトキンズグレン 1980年10月5日 レース結果
プロフィール

モータースポーツ一家に生まれたエマーソン・フィッティパルディが流星のようにワールドチャンピオンの座へと駆け上がったのは兄のおかげだが、一方で、トップからの急転落にも兄の存在が関係している。ブラジルで尊敬を集めるモータースポーツジャーナリストを父に持つエマーソンは、兄ウィルソンと共に若いうちからレースに没頭した。エマーソンが14歳のとき、兄のメカニックとして地元のゴーカート選手権に参戦。兄に続いてレース活動を開始したエマーソンは、3年後にブラジルのナショナルチャンピオンの座を手にしている。

翌年に再びタイトルを手にしたエマーソンは兄と共にシングルシーターの世界に挑戦する。2人はカートの組み立てやカスタムカーアクセサリーで軍資金を稼ぎ、自分たちの手でフォーミュラVeeのマシンを作り上げた。このマシンでエマーソンは1967年のブラジル王者に輝いている。これらの成果によってエマーソンはヨーロッパでのレース資金を集め、1969年に英語を話せないまま単独でイギリスへ向う。フォーミュラ・フォードのマシンを購入し、資金を捻出するためにメカニックとして働き続けながら3勝を挙げたエマーソンは、シーズン半ばにして早くもフォーミュラ3へ昇格した。選手権の大部分を逃しながらも、エマーソンはこの年のタイトルを手中にしている。

この活躍にビッグチームが注目し始め、1970年にコリン・チャップマンがロータス・フォーミュラ2チームのドライバーとしてエマーソンと契約。チャップマンはなおも印象深い走りを続けたエマーソンと長期契約をかわし、F1テストの機会を設けた。さらに、1970年のシーズン中にはサードカーのドライブという報奨を与えている。21番手からスタートした初レースで8位フィニッシュを遂げたエマーソンは、2戦目にして4位に入り、ポイントを獲得する。だが、4レース目となるはずだったモンツァのイタリアGPで、ロータスに在籍するチャンピオンシップリーダーのヨッヘン・リントがフリー走行で命を落とすという悲劇が起こった。

セカンドドライバーのジョン・マイルズがアクシデントの余波でF1を去ったのを受けてチームは討議を重ね、エマーソンがチームのリードドライバーとなる。その後のワトキンズグレンでエマーソンがグランプリ初勝利を果たし、リントは死後にチャンピオンの座を確定させた。華々しいデビューシーズンを送ったエマーソンだが、翌1971年は厳しい1年となり、伝説のロータス72を駆りながらも3度の表彰台フィニッシュにとどまっている。

1972年は序盤に3勝を含む6連続表彰台を決め、ドライバーズチャンピオンシップの行方を完全にコントロールした。オーストリアGPとイタリアGPでの連勝により、エマーソンは25歳と273日という当時の最年少チャンピオン記録を樹立している。この記録は2005年にフェルナンド・アロンソが更新するまで破られることはなかった。翌年も好調が続いたが、新たなチームメイトとしてロータスに加わったロニー・ピーターソンが脅威になる。タイトルは開幕から4レースで3勝した他に6戦連続で表彰台に上ったエマーソンと、ジャッキー・スチュワートの一騎打ちの形となったが、中盤に3回連続リタイアを喫したことがエマーソンにとってかなりの痛手となった。後のモンツァでわずか1秒足らずの差によってピーターソンがエマーソンから勝利を奪いとった結果、この年の栄冠はスチュワートの手に渡った。これを機にエマーソンはマクラーレン移籍を決意する。

その決断は堅実で、7人の勝者が生まれた接戦のシーズンにエマーソンがドライブしたマシンには、競争力だけではなく信頼性が備わっていた。残り5レースでリードしていたのはニキ・ラウダだが、その次のレースでリタイア。残り3レースの段階でエマーソンはランキング4位につけており、1度の勝利によってポイントリーダーであるクレイ・レガツォーニの後ろまで迫った。イタリアで2位、カナダで優勝をそれぞれ果たしたエマーソンはレガツォーニと同点の52ポイントを手に最終戦へ挑む。結果、レガツォーニの苦戦によってフィッティパルディは4位というレースリザルトで2度目の選手権優勝を遂げた。1975年も競争力を発揮し、ラウダに次ぐランキング2位でシーズンを締めくくっている。

選手権制覇とランキング2位をそれぞれ2回経験したにもかかわらず、1976年に踏み出したエマーソンの歩みはそれほどスマートではなかった。家族の絆と国家のプライドがエマーソンを駆り立てたのは、母国ブラジルの企業『Copersucar(コパスカー)』の支持を得て、兄ウィルソンと共にチームを運営することだった。かつて下位カテゴリで2人が築いた成功の影はなく、それから5シーズンを表彰台より予選落ちの回数が多い状態で終えたエマーソンはF1引退を選んでいる。

それでもレースの魅力は抗い難く、インディカーからの誘いを受けてロングビーチで戦いの場に戻ってきたエマーソン。ここでコンペティティブなレースを終えたことをきっかけにフルタイムのドライバーに復帰し、1989年のインディカー選手権を制した他、インディ500で栄えある勝者に輝いた。同レースでは1993年に2度目の優勝を決めている。しかし、その3年後にミシガンでクラッシュして首を負傷してから1年もたたないうちに飛行機事故に遭ったことを受け、ついに一線を退いた。

【長所と短所】

正確さとフィーリングでドライブするエマーソンは、しばしばレースを頭の中でイメージし、最初から最後までマシンをケアするドライバーだった。うろたえることのないように見えたエマーソンだが、ロータスでチームメイトのロニー・ピーターソンに抑えられるようになってからはこれまでにないミスが見え始めた。母国への誇りから多くのワールドチャンピオンシップを失いはしたものの、多くのブラジル人ドライバーが活躍するための道を切り開いた人物でもある。

【キャリア最高の瞬間】

1972年にモンツァで優勝し、当時の史上最年少チャンピオンになったこと。この記録は33年間破られなかった。

【キャリア最低の瞬間】

1979年から1980年にかけて、自らの名を冠したマシンで無得点のまま17レースが過ぎ去ったこと。ひいては、かつて頂点に立ったスポーツの底辺で引退することにつながった。

【注目のコメント】

「レーシングドライバーの精神は驚くほどの予知能力と調整能力、反射力を備えていなければならない。マシンのスピードがその理由だ」

自身をF1へと導いたコリン・チャップマンについて。

「彼はコンピューターだった。彼とディナーをとっていて、金曜日のハンドリングが良くなく、サーキットのそれぞれ異なる部分でどうなっていたかを彼に説明したとする。彼はガレージに戻って、メカニックを呼び出すんだ。そして、土曜日の朝までにはマシンはファンタスティックになっている。そんなことができるのはコリン・チャップマンだけ。僕が一緒に働いたあらゆるエンジニアやチームマネジャーの中でも、コリンはそれをやるだけの直感力を備えた天才だった」

【トリビア】

エマーソンは1993年のインディ500優勝時に伝統を守らなかったとして今でもアメリカで非難されることがある。慣例となっているミルクではなく、オレンジジュースのボトルで勝利を祝ったのだ。しかも、自身の果樹園業を宣伝するためだったという。

トレードマークのサングラスともみあげで、すぐにそれと分かる風貌をしていた。

甥のクリスチャンは1992年から1994年にかけてF1に参戦。また、2人は1995年から1996年のCARTで互いに争ったこともある。

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