エディ・ジョーダン  アイルランド

  • 氏名 エドムンド・ジョーダン
  • 生年月日 1948年3月30日
  • 出身地 アイルランド・アイルランド
  • 年齢 66歳215日
  • チーム Jordan
  • その他 チームオーナー, チーム代表, コメンテーター
driver portrait
プロフィール

チーム代表として過ごした時代にエディ・ジョーダンはF1パドックに待望されたカラーとキャラクターをもたらした。乏しい予算でそれをやってのけたジョーダンだが、チームの全盛期である1999年にはハインツ・ハラルド・フレンツェンがタイトル争いの重要な一角を担っている。

アイルランド銀行に勤めていたジョーダンが初めて生のモータースポーツを観戦したのは仕事がストライキの際に訪れたジャージー島でのカートレース。その後、すぐにカートを購入したジョーダンは1年が経過しないうちにアイルランド選手権で優勝している。それからドライバーとしての短いキャリアが続いた。アイリッシュ・フォーミュラ・アトランティックで成功を収めたジョーダンは、さらにF2へ参戦したものの自分にはマネジメントの方が合っていることに気づき、1979年に非常に限られた予算でレースチームのジョーダンを立ち上げる。

1987年にチームは勢いを増し、ジョニー・ハーバートをイギリスF3のタイトルへと導いた。ジョーダンはその後F1にドライバーを輩出するF3000へ進出して頭角を現す。1989年にジャン・アレジがチャンピオンシップを勝ち取り、チームはコンストラクターズ部門のトップに立った。1991年にチームは限られた予算ながらもついにF1参戦を果たし、厳しい戦いの中で引けをとることなくランキング5位に入っている。この年にミハエル・シューマッハがスパ・フランコルシャンでデビューしたのも同チームからだったが、シューマッハはわずか1レースでベネトンへと引き抜かれていった。

以降、1990年代にチームは進歩を遂げ、スポンサーにより多くの金額を要請し始める。1989年には元チャンピオンのデイモン・ヒルと契約。そのチームメイトにラルフ・シューマッハを迎え、2人は同年のベルギーGPで1-2フィニッシュを決めた。1999年までにジョーダンはフェラーリやマクラーレンを相手に優勝争いを演じるようになる。2勝を挙げたフレンツェンはシーズンが最終局面に入るまでチャンピオンシップリーダーたちをいつでも狙える位置にいた。フレンツェンとチームがそれぞれのチャンピオンシップで3位に入った同年がF1におけるジョーダンのベストシーズンだった。

それから5年でチームの勢いは弱まり、 ホンダエンジンを失って徐々にグリッド後方へと下がっていった。この間の勝利は激しい雨がカオスをもたらし、赤旗で終わった2003年ブラジルGPのみ。しかも、当初はキミ・ライコネン(当時マクラーレン)が優勝と判断されるも、審議を経て次戦サン-マリノGPでジャンカルロ・フィジケラとジョーダンにトロフィーが渡されるという混乱ぶりだった。

ジョーダンは2005年の初めに6,000万ドルでチームをミッドランド・グループに売却。2006年までにチームはミッドランドF1へと名前を変えた。ジョーダン本人は2009年に『BBC』の解説者としてパドックに復帰し、今でもF1で最もよく知られた人物の一人である。

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