エステバン・グティエレス メキシコ
- 氏名 エステバン・グティエレス
- 生年月日 1991年8月5日
- 出身地 メキシコ・モンテレイ
- 年齢 28歳162日
- チーム Lotus ART, アルファロメオ・レーシング, ハースF1チーム, フェラーリ
| Year | Car | Race | Start | Won | Pod | Class | Best | Pole | Front | Best | Lap | Hat | Pts | Pos | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2013 | Alfa Romeo | 19 | 19 | 0 | 0 | 16 | 7 | 0 | 0 | 8 | 1 | 0 | 6 | 16 | ||||
| 2014 | Alfa Romeo | 19 | 19 | 0 | 0 | 13 | 12 | 0 | 0 | 11 | 0 | 0 | 0 | - | ||||
| 2016 | Haas | 21 | 21 | 0 | 0 | 16 | 11 | 0 | 0 | 10 | 0 | 0 | 0 | - | ||||
| Total | 59 | 59 | 0 | 0 | 45 | 7 | 0 | 0 | 8 | 1 | 0 | 6 |
| グランプリ | サーキット | 開催日 | ||
|---|---|---|---|---|
| デビュー戦 | オーストラリアGP | アルバート・パーク | 2013年3月17日 | レース結果 |
| ラストレース | アブダビGP | ヤス・マリーナ | 2016年11月27日 | レース結果 |
カルロス・スリム・ドミット率いるエスクデリア・テルメックスのメンバーとして、若くしてジュニアランクで急速に成長したエステバン・グティエレスは、確かな実績と共にF1にたどりついた。キャリア序盤に"選ばれし者"と呼ばれたグティエレスは2013年にザウバーのレースドライバーとして評判に応える機会を得ている。
グティエレスのキャリアは母国メキシコでカートシリーズのロータックス・マックスから始まり、あっという間に国内で一番の有望株として自らの存在を主張した。16歳でフォーミュラBMW USAに参戦し、翌年はフォーミュラBMWヨーロッパの王者に輝いている。
翌年には競争の激しいF3ユーロシリーズへと進み、最初の4ラウンドを逃しながらも総合9位の結果を残した。この年の終わりにはBMWザウバーの若手ドライバーテストに参加する。2010年はGP3で戦い、16戦中5勝を挙げて同シリーズの初代チャピオンとなった。再びザウバーでテストドライブの機会を得たグティエレスは同チームのリザーブドライバーに就任。
2011年のレース週末はザウバーと密接に働く傍ら、ロータスARTのドライバーとしてGP2シリーズにも参戦し、バレンシアのレースで勝利をつかんだ。また、モントリオールのカナダGPではザウバーのレースドライバーだったセルジオ・ペレスの代役が必要となったものの、リザーブドライバーのグティエレスはメキシコにいたため、この役割は経験豊かなペドロ・デ・ラ・ロサの手に渡ってしまう。それでも、2011年もザウバーの若手ドライバーテストに参加し、2日間の作業を担当した。
2012年はGP2で3勝を挙げたが、冷静さを失う場面も多く、それが本格的なタイトル争いの妨げとなる。最終的にランキング3位で終えたグティエレスは『Telmex(テルメックス)』の支援を手に、2013年に先だってザウバーのレースドライバーに指名された。
スロースタートを切ったグティエレスのF1キャリアだったが、より円熟したドライバーへと成長する兆しは見せている。日本GPの7位がこの年唯一の得点だったとはいえ、テルメックスがザウバーとの契約を延長したことで2014年もシートを確保した。だが、その年のザウバーは不振にあえぎ、グティエレスが手痛いミスでモンテカルロでのトップ10フィニッシュを逃したこともあってノーポイントに終わる。2015年の椅子を失ったグティエレスだが、フェラーリの新リザーブドライバーに指名され、母国メキシコのスポンサーとともに新天地へと向かった。
いったんレースの現場を退きながらも、2016年からF1に参戦するハースF1チームがフェラーリと技術提携を結んでいる関係から、グティエレスに新たな道が開かれる。ロマン・グロージャンを1人目のレースドライバーに指名したハースが、グティエレスの母国メキシコで久々のグランプリが開催されている期間中に、もう一人のドライバーがグティエレスであることを明らかにしたのだ。
グティエレスがそのキャリアを託したハースは周囲の予想以上の形でデビューイヤーをスタートさせるも、活躍するのはチームメイトのグロージャンばかりで、マシントラブルにしばしば悩まされたグティエレスは思うような結果を残せなかった。それでも徐々に僚友と匹敵する走りを見せるようになったグティエレスだが、シーズン中盤以降はチーム自体の競争力がライバルと比較して低迷し、結果として入賞には至らず。苦境の中でもグティエレスは第14戦イタリアGP予選で本来の走りの片りんを示し、トップ10入りを果たしている。翌年のシートについてはシーズン終盤までハースF1の決断を待ったグティエレスだったが、チームが残留させたのはグロージャンのみで、グティエレスのシートはルノーをドライブしていたケビン・マグヌッセンの手に渡った。
【長所と短所】
速さがあるのは確かな反面、一貫したパフォーマンスを発揮できるかには疑問がもたれている。2012年はGP2でタイトルを追いながらも3位に終わったが、しばしば見られたコース上での性急な決断がタイトル獲得を阻んだことにほぼ間違いはない。
【キャリア最高の瞬間】
GP3シリーズで圧勝し、"選ばれし者"とのニックネームを確固たるものにしたこと。
【キャリア最低の瞬間】
1ポイントも獲得できなかった2014年末にザウバーから放出されたこと。
【注目のコメント】
「F1の競争がいかにタフかは完全に分かっている。GP2では期待していたほどの一貫性を発揮できなかったけれど、その経験から学んだから僕は2012年をキャリアの中で最も実りのあるシーズンだとみなしている」
「(F1に行くのは)僕の兄弟姉妹、そして特に両親に多くの尽力を必要とする家族のプロジェクトだった。僕のキャリアに対して最初に投資したのは父で、彼がいなければ僕はここにいなかっただろう」
【トリビア】
GP2で戦っていた2012年、グティエレスは悪運につながるとして髪を切るのを拒否していた。
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2016年11月26日 タイムを見いだそうとプッシュするグティエレス © Lionel Ng/Sutton Images |
2016年11月25日 ソフトタイヤを履いてコースに向かうグティエレス © Goria/Sutton |
2016年11月12日 タイムを縮めようと必死なグティエレス © Gasperotti/Sutton |
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