エリック・ブーリエ  フランス

driver portrait
プロフィール

エリック・ブーリエはチームが"Genii Capital(ジェニー・キャピタル)"の所有になってからのニューフェイスだ。2009年にルノーがチームの大部分を売却した際、ブーリエはジェニーが所有する"Gravity Sports Management(グラビティー・スポーツ・マネジメント)"の密接な関係と、GP2のDAMSチームで代表職を務めた経験から抜擢されている。

ブーリエは若くフレッシュだが、決して能力に不足することはない。現職についた1年目にはルノーを財政的な危機にある入賞圏外のチームから、ビッグ3を脅かしてスポンサーにとって魅力的あるチームへと生まれ変わらせた。

フランスの"Institut Polytechnique des Sciences Appliquees(先端科学の工科大学)"で航空宇宙工学を修めた後、すぐにDAMSでF3000とル・マンの仕事にかかわったブーリエ。2001年はワールドシリーズ・バイ・ニッサンに参戦するレーシング・エンジニアリングでチーフエンジニアに任命される。2年後には再びDAMSでマネジングディレクター兼テクニカルディレクターに就任した。チームをコントロールしながら、数々のシリーズにおけるプロジェクトを監督し、フランスがチャンピオンシップで勝利したA1 GPのチームも率いている。

2008年にはグラビディのCEOとなり、ジェローム・ダンブロジオをDAMSへと送り込んだ。また、DAMSでGP2初勝利を上げた小林可夢偉は2009年にトヨタからF1デビューを果たし、素晴らしいレースを見せている。

2010年1月、ブーリエはF1での経歴なくしてルノーの代表職に。36歳の若さでのこの人事をリスキーだと見る向きは多かったものの、シーズン開始とともにルノーは最も改善されたマシンの一台であることを示し、ブーリエがその力を証明した。

ブーリエがチーム内に築いた環境はロバート・クビサに2012までチームに残留することを納得させ、ヴィタリー・ペトロフが帳尻合わせのペイドライバーとして起用される。しかし、このラインアップは2011年のプレシーズンテスト期間にラリーに出場したクビサが命にかかわる重傷を負ったことで崩壊。ブーリエはスタードライバーのクビサに代えてニック・ハイドフェルドを据えるも、画期的な前方排気で臨んだこのシーズンは成績が徐々に落ち込んでいく。

ベルギーGPではブルーノ・セナがハイドフェルドと交代したが、2012年にはドライバーラインアップが一新された。キミ・ライコネンのF1復帰を説き伏せたブーリエがそのチームメイトに選んだのはDAMSのGP2チャンピオン、ロマン・グロージャンであり、チームはコンスタントに表彰台フィニッシュを決めることに成功。アブダビGPではライコネンが新たな名称"ロータスF1"の名の下での初勝利を飾った。ライコネンは翌年の開幕戦でも優勝したが、2013年はこれが唯一の勝利だった。

ブーリエがロータスで築いた成功に目を止めたのは、マクラーレンが1980年以来初めて表彰台フィニッシュを果たせなかった2013年の不調を受けてチームに戻ってきたロン・デニスだった。デニスがとった改革措置の一つが、2014年シーズンを前にウィットマーシュに代わってブーリエを起用すること。ブーリエの新たな役職はレーシングディレクターだ。

ブーリエがマクラーレンで迎えた初年度は開幕戦でルーキーのケビン・マグヌッセンとジェンソン・バトンが2位と3位に入ったものの、その後は前方でのバトルができずにフラストレーションを感じさせるレースが続いている。

このページのトップへ上へ

最新画像

2014年11月25日

マクラーレン・ホンダの初公式テストに臨むブーリエ

2014年11月25日

ジャーナリストと話すブーリエ

2014年6月22日

エリック・ブーリエ

     

関連画像リスト

このページのトップへ上へ