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ステファノ・ドメニカリ  イタリア

  • 氏名 ステファノ・ドメニカリ
  • 生年月日 1965年5月11日
  • 出身地 イタリアイモラ
  • 年齢 54歳68日
  • チーム フェラーリ
driver portrait
プロフィール

ステファノ・ドメニカリを半分に切ったら、まるで金太郎飴のごとく、そこには必ず"フェラーリ"と書かれていることだろう。

イモラの優秀な銀行家の息子として生まれた彼は、モータースポーツの世界で生きるために生まれてきた――彼にとってチームとは、1つしか存在しない。週末ともなるとサーキットに通っていた子供の頃の彼は、パドックやメディアセンターにも頻繁に顔を出した。

ボローニャ大学でビジネスを学ぶと、卒業するやいなや、フェラーリに履歴書を送付。ビジネスの会計制度担当として念願の入社を果たす。同時に、フェラーリのプライベートテストコース、ムジェロでレースディレクターを務めるために、クラーク・オブ・ザ・コースのライセンスを取得した。

1995年から人事やスポンサー管理の責任者を務めると、1998年にチームマネジャーに昇格する。その後も出世街道を歩み続け、2003年スポーティングディレクターに就任。2008年のジャン・トッド離脱後、ドメニカリはチーム代表の役割を引き受けた。

2008年はチームの16回目のコンストラクターズタイトル獲得に貢献したが、ドライバーズタイトルはわずか1ポイント差でルイス・ハミルトンに奪われている。

ライバルに対し、ペースを欠いたマシンに苦しみ続けた2009年は成果を残せないまま終わった。その苦労にさらに追い打ちをかけたのが、ハンガリーGPで大けがを負ったフェリペ・マッサの事故だ。ドメニカリはその代役を見つけるという気の重い仕事を任された。さまざまなうわさが流れたものの、最終的には10年レースから遠ざかっていたテストドライバーのルカ・バドエルがシートを得たが、2レース後、フォース・インディアから引き抜かれたジャンカルロ・フィジケラと交代させられてしまう。数々の問題に直面したチームは、ランキング4位でシーズンを終えた。

チームは2010年シーズンにキミ・ライコネンに代わってフェルナンド・アロンソを迎え入れ、再び強さを取り戻す。計4勝を挙げたアロンソはタイトル獲得も見えていたものの、アブダビGPでの戦略ミスがチャンスを潰した。ドメニカリはイタリアメディアから批判の集中砲火を浴びたが、それ以上に世界のメディアから厳しく追求されたのはシーズン中にドイツGPでアロンソを先行させるようマッサに指示を出したことだ。

マラネロが2011年に送り出したマシンはレッドブルに匹敵するものではなく、シルバーストーンでアロンソが決めた1勝がまたしても人々を驚かせた。しかし、ルカ・ディ・モンテゼモーロ社長の断固とした支持の下、2012年のフェラーリは前年よりはるかに強力なシーズンを送る。それでもアロンソは最終戦ブラジルGPでわずかにタイトルへ手が届かず、2010年の惜敗が繰り返されることとなった。

2013年にはシーズン序盤にアロンソが2勝をマークするも、フェラーリの勢いは次第に弱まっていく。翌年の大幅なレギュレーション変更で序列は大きく入れ替わることが期待されたが、フェラーリはメルセデスエンジンを搭載するチームに対して出遅れ、バーレーンGPでフラストレーションのたまる結果に終わった後、ドメニカリは2014年4月14日をもってチーム代表を辞任した。

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